騎士団長の後悔
エミューリアがディニラビア帝国に行ってから一週間が過ぎた。この間特別異常な事は起こらなかったのだが、オーネストは仕事に支障が出る程に落ち込んでいた。集合時間を間違えるわ、書類を作れば100%不備があるわで一番の側近のエレビアとブライアン副団長はフォローで毎日大変だった。今は通常業務だけだがこのままの状態で王族護衛などの公務が入ってしまったらまずいと思いなんとかオーネストをまともに戻そうとエレビア、ブライアン、ヴォルフ、レオンが困っていると朧月が音もなく現れた。
「ご報告があります!」
「…どこに行っていたんだ?」
腑抜け状態のオーネストだが団員の人数の変化には気付いておりそう問うと
「は、エレビア殿の命を受けディニラビアに影無様と共に潜入しておりました」
「…」
「必要だと判断しましたので」
ゆっくりエレビアに目を向けるとエレビアは涼しい顔で答えた。オーネストもここ数日の自分の状態について自覚していたので返す言葉がなかった。
「…で?何かあったの?」
オーネストは少し緊張していた。ああ言ってエミューリアを見送ったが実際エミューリアはどんな事になってしまっているのか不安で仕方なかった。だから朧月の言葉を固唾を飲んで待つ。
「エミューリア様ですが、ディニラビア帝国、特に皇帝にはひどく気に入られておりかなり手厚い歓迎を受けておりました。与えられた部屋もアルバソルの自室よりも広いくらいでした」
「そうか…」
とりあえずひどい扱いは受けていないことに安堵するオーネスト。むしろ想像以上の好待遇に驚いていた。
(よかった、エミューリアはとりあえず無事なんだな。そこまで手厚くもてなされているならとりあえずは安心かな…)
そう思ったオーネストの気持ちは次の言葉でぶち壊された。
「しかしエミューリア様は用意された自室に入られた瞬間に妙に落ち着きがなくなられました」
「ん?どういう事だ?」
朧月はディニラビアで見聞きした内容を報告した。
「はい、何やらヴァインリキウスが部屋の説明を進めるにつれ挙動がおかしくなり顔色も悪くなっていました」
説明を受けただけで?オーネストの心に一つの不安が生まれ大きくなり始めていた。
「そしてある瞬間にエミューリア様は血相を変え叫び、取り乱し、部屋の中を逃げるように動き回りました」
「なに!?」
本人が望んでいない婚姻であることはよくわかっている。しかし取り乱すにしても少しタイミングが変な気もする。それにエミューリアは心がしっかりした強い人だ。叫んで逃げ回るなんて明らかな異常事態。オーネストを含めその場の全員が顔を見合わせた。そして朧月の次の言葉にオーネストは自分の判断を強く後悔することになった。
「エミューリア様が明らかに取り乱したのはヴァインリキウスが妙な事を言ってからでした」
「妙な事?」
「はい、何やら名前のようでした」
「名前?」
オーネストたちは意味がわからないといった様子で首を傾げた。朧月はその時に聞いた名前を間違えずに口にした。
「彼はこう名乗っていました。“立石信行”と」
「なんだと!?」
その名前を耳にした瞬間オーネストは激しく立ち上がった。あまりに激しく立ち上がったので机も椅子も倒れて周りの四人と目の前の朧月は固まった。
立石信行、その名前はオーネストーーーまことの記憶と心にも深く刻まれていた。さつきのストーカーであり、さつきを殺した張本人だ。
その話はさつきが死んでしまった一週間後に聞かされた。あの日さつきをはねた車はそのまま逃走し、近くの山に乗り捨てられており、その近くで犯人が首をつって死んでいた…そしてその犯人こそが長年さつきをストーキングしていた立石信行であることを…
「………!」
「団長!?」
今度は一気に体全身の力が抜けていくのを感じた。そしていきなりその場に膝をつきエレビアたちを驚かせた。心配し声をかけてくれたがオーネストの耳には入ってこない。
(そんな…結局また…ボクは間違えたのか…?)
頭がクラクラする。思考もまとまらない、でもどうにかしなければこのままではまたさつきは不幸になってしまうかもしれない…
考えに考え、オーネストは一つの結論を出した。
「助けにいかなくちゃ…」
結論に従いすぐにでも出ていこうとするオーネストをヴォルフが止める。
「おい!どこに行こうってんだ!?」
「離してくれ…」
振りほどいていこうとしたがヴォルフは手を離そうとしない。急がなくてはいけないのに…、と冷静さを失っているオーネストは掴まれていない左腕に“武装展開”で武器を生成しようとしたが、手に集まる魔素がどこかに吸いとられ武装が作れない。その隙にブライアンがオーネストを羽交い締めにする。
「離せブライアン!」
「落ち着いてください団長!落ち着いて周りを見てください!」
「なにを…」
抵抗は続けながらオーネストはゆっくり周りを見渡すとエレビアが右目を押さえて座り込んでいた。
「エレビア…?」
相当痛むのか涙を流しながらエレビアは立ち上がる。
「落ち着いてくださいオーネスト団長」
今も痛みがあるのか右目は閉じたまま左目でキッと睨んできた。その瞳を見てオーネストの気持ちはなんとか落ち着きを取り戻した。
「すまない、エレビア、ヴォルフ」
「全くだ!!」
悪態をつきながらヴォルフは手を離した。オーネストは壁にもたれてうなだれた。そんなオーネストに痛みが少し和らいだ様子のエレビアが声をかけた。
「急にどうされたのかお聞かせ願いますか?」
「…」
当然の質問だろう。だがどう説明すればいいのかわからなかったら。この世界は前世と違い魔法といった不可思議な現象は存在するのだが、“転生者”というのは前世と同じくらい信じられてはいない。その上で立石信行の危険性を認識してもらうのはかなり難しい事だ。こうしている間にもエミューリアはあの男に何かされているかも知れない、そう考えるといてもたってもいられなかった。
「理由はちゃんとは説明できない、でもエミューリア様に危険が迫っているのは確かなんだ、だから行かせてくれ」
「しかし…」
皆が戸惑っているのを感じた。あんな説明では納得できないのは当然だろう。しかしちゃんとは話せない、どうすれば…次の言葉が続かなくて焦っていると部屋の入り口からこの場所では初めて聞く声が聞こえてきた。
「エミューリアに危険が迫っているというのはほんとうなんですの?」
全員が声の方を見た。そこには普段は絶対にこんなところにこない人物、シーラ・B・アルバソルが立っていた。
「シーラ様?」
驚きポカーンとする皆を気にもとめず真っ直ぐにオーネストの前にやって来た。そして同じ質問を繰り返す。
「エミューリアに危険が迫っているというのは本当なんですの?」
静かに強く聞いてくるシーラに圧倒されながらもゆっくりとオーネストは答えた。
「は…い」
「何か根拠はあるのかしら?」
「い、え。証拠などはありませんが…でもわかるんです」
ヴァインリキウスの正体がわかったから。
「このままではエミューリア様は幸せにはなれません!」
前世でストーカーされ、挙げ句に自分を殺した人間の生まれ変わりと一緒にいてエミューリアが幸せになれるとは思えない。生活面では不自由なく過ごせるのかもしれない、でも朧月の報告から想像するにかなり怯えていたらしい、それはそうだ前世で死ぬまで追い回された相手が死んで生まれ変わってからも目の前に現れたんだから、しかも今のあの男はかなり力がある国の皇帝だ。前世のように警察や周りの人間が助けてくれる可能性はないと思っているだろう…だからこそ、事情がわかっているボクが助けに行かなくては…
「あなたの言っていることは何の根拠もない絵空事に聞こえますわ」
「うっ…」
「それにこのまま単身勝手に行動すればそれなりの罪に問われてしまいます」
「…」
返す言葉もなかった。このまま勝手につっ走り仮にエミューリアを救い出せたとしてもディニラビア帝国が黙っていない。必ず報復があるだろう
「でも…それでも…」
自分と一緒が一番幸せと言ってくれたエミューリア、そんな彼女に向き合わず過去の記憶に怯え、結果として彼女の幸せをと言いながらずっと逃げていただけだった。現世の身分、過去のトラウマ、今の彼女の気持ち…色々なことから目をそらして逃げて、最終的に彼女を追い詰める結果になってしまった。今は後悔しかない、だからこそ
「この場でクビにしていただいても構いません!どうか行かせてください!」
「団長!?」
驚く団員たち、しかし後悔で頭がいっぱいの今のオーネストには周りは見えていなかった。そんなオーネストの胸ぐらを一人の団員が掴んだ。
「ふざけんなてめぇ!」
「ヴォルフ!?」
「なに勝手なこと言ってやがるんだこの野郎!団長をやめる?てめぇが俺たちに誓ったことを忘れたのか!」
「!!」
その言葉に息を飲むオーネスト。ヴォルフは怒りと失望が混ざった声で叫ぶ。
「『獣人に対する世間の目を変えてみせる』って言ったのはてめぇだろうが!忘れちまったのか?あぁ!?」
「忘れては…いない」
実際忘れていたわけではなかった。でも目の前の事で頭がいっぱいで周りが見えず考えが及ばなかった。ヴォルフの怒りは止まらない。
「俺たちが仲間だって言ったのも全部嘘だったのかよ!」
「嘘じゃない…!」
「じゃあなんで一人でやめるなんて事を…」
「ヴォルフ、手を離せ」
今にも噛みつきそうなヴォルフをレオンが間に入り二人を引き離す。ヴォルフは「フー、フー」とまだ激しく息をしていた。そんなヴォルフを抑えながらレオンはオーネストに向き直る。
「ヴォルフかなぜ怒ったのかはおわかりですね?」
「…ボクが団長をやめようとしたから」
この答えにヴォルフが再び動こうとしたが今度はブライアンが止める。レオンはさらに続けた。
「その答えでは正解とは言えません。今のあなたは本当に周りが見えておられないようですね」
レオンがため息混じりに首を振った。
「確かにそれもありますが、それ以上にあなたが一人で何か大きな問題を抱えようとしているのが許せないのですよ」
「え?」
レオンが言っている意味がわからなかった。その様子に今度はエレビアが口を開く。
「レオンの言う通りです。ヴォルフが先走ったので出遅れましたが私も同じ気持ちです。オーネスト団長、あなたは何か私たちに言えないようなものを抱えていませんか?」
「!!」
その問いを聞いて全身に電流が走ったかのように感じた。何も返せず黙っているとエレビアはオーネストの前まで進み出た。
「最近は特にわかりやすかったですよ、だからこそ忍の二人を密かに送り込んだのです」
「…」
「オーネスト団長、こういう時こそ私たちを使ってください」
強い意思を秘めた瞳で真っ直ぐにオーネストを見つめる。オーネストにはその目は真っ直ぐすぎて直視できず目をそらしてしまう。
「確かに、君たちの言う通りボクはある事情を抱えているよ、でもそれはボク自身の問題であって…」
「今さら何を言ってるんですか」
オーネストの言葉を遮ってエレビアが無理矢理オーネストの顔を正面に向ける。
「私たちはあなたを慕ってここにいるんです」
後ろで「俺たちはブライアンさんを慕っているだけで…」と反論しようとしたヴォルフの口をブライアンが止めていた。
「あなたも散々私たちの問題に首を突っ込んだくせに本当に今さら何を言い出すんですか」
第3騎士団のメンバーはすべてオーネストがスカウトした。その中には友人を人質にとられ無理矢理魔法の実験をさせられていたものや、貴族の暇潰しの相手にさせられていたものなど様々な事情を持っていた者も多い、そしてそれらすべてにオーネストが首を突っ込み仲間にしていった。
「あれは…団員を増やすためで…」
「それでも私たちの問題であったことは変わりません。ここまで私たちの問題に首を突っ込んでおいて、自分の問題だから?まったく、あなたは何を言ってるんですか」
エレビアが頬を少し膨らませ睨んでくる。
「私たちだってあなたの問題に関わる権利はありますよ」
その場の全員が頷いた。オーネストはまだ尻込みしていた。
「しかし…」
自分の問題は前世に関係していることだ。この世界の皆には関係がない、そう考えているとヴォルフがブライアンを振りほどいてオーネストの前に行く。
「うだうだ一人で考えんな!こういう時こそ俺たちを頼れっていってんだよ!」
「!」
普段オーネストにあまり協力的ではないヴォルフから思わぬ言葉を聞いてオーネストは目を見開いて驚いた。当のヴォルフは顔をそらしてしまった。少し顔が赤いような気がする。
「ヴォルフの言う通りです団長、うだうだ一人で考えるのは時間の無駄です」
エレビアがオーネストの前にひざまづく、それに続くようにブライアン、レオン、ヴォルフ、朧月もひざまづいた。
「私たちはあなたにどこまでもついていきます」
「みんな…」
部下の忠誠に感謝しながらもまだ迷いが残るオーネスト。しかしその迷いはシーラの一言でなくなった。
「あなた方の気持ちはわかりましたわ」
今まで黙ってみていたシーラが進み出てきた。オーネストたちの目線がそちらに集まる。
「先ほどは少し厳しく言いましたが、実はわたくしはその罪を提案に来たのですわ」
「どういうことですか?」
「正しくはあなた方にわたくしの責任でエミューリアの救出に向かっていただきたいのです」
「!?」
思わぬ言葉に全員が固まる。シーラは理由を話し始めた。
「あの子がディニラビアに半ば強引につれていかれる時、わたくしは何もできませんでした。それどころかわたくしではなくあの子が選ばれた時心の奥で安心していました」
そんな自分に改めて嫌悪を感じ顔を歪ませる。そしてオーネストをチラッと見た。
「あの子の気持ちわたくしは知っていました。ですが止めることはできませんでした」
「しかし、ソーレ王子からお聞きしましたがあのような兵器を見せられたのでは仕方がないのでは?」
「あの兵器を見ていなくてもわたくしは止められなかったと思います。…ですがこんなわたくしではお慕いしているあの方の隣に立つことなんてできません」
拳を握りしめるシーラ。
「…それに、あの子の沈んだ顔は見たくありませんから」
「シーラ様…」
シーラは一度目をつむりパッと顔を上げた。その顔には強い決意が浮かんでいた。
「第3騎士団に命じます。ディニラビア帝国からわたくしの義妹のエミューリアを奪い返してきなさい!」
「はい!」
その場にいた全員がシーラにひざまづいた。そんなオーネストたちにシーラは頭を下げた。
「どうか、わたくしの義妹をお願いします」
エミューリア救出の意志が固まった時、部屋の外にシーラの従者が慌てた様子でやってきてシーラにある情報を伝えた。それを聞いたシーラは目を丸くした。
「なんですって?」
「シーラ様?」
従者から話を聞いたあとのシーラは明らかに様子がおかしかった。心配になり手を貸そうとしたが「大丈夫です」と近くのテーブルに寄りかかった。少し息を整えオーネストたちに今聞いた報告を伝えた。
「ディニラビア帝国がアルバソルに宣戦布告をしてきました」
初めて書く長編は難しいです。書きながら何度も心が折れそうになっています。
でもどんなに内容がアレでも最後まで書ききります




