王女の苦悩
アークゴブリンの事件から二ヶ月、アルバソル王国は平和そのものだった。王都襲撃の事件は減り、魔物の暴走事件もなくなった。そんな“平和”の中、王位継承権第四位のエミューリア・B・アルバソルは王宮内にある図書館で自らが抱えるある問題について考えていた。
「まことさんとこの世界で再会して数ヵ月が経ったけど…」
目の前に何冊か積まれた分厚い本の内の一冊を読みながら無意識に独り言が口からこぼれる。
「二人の仲が進展しない!!」
バン!と机を叩いて喚くエミューリア。普通の図書館なら王族とはいえ説教されるが、ここは王族のみが入ることが許される図書館の特別スペースだ。防音の壁もあるので外に声が漏れることもない。エミューリアは今読んでいた本を閉じ次の本に取りかかる。
「予想はしていたけどいい事例が全くないわね」
新しい本をペラペラめくっているとある人物が
部屋に入ってきた。その人物はエミューリアに気づくと近づいてきた。
「エミューリア?最近図書館にいることが多いね、何してるの?」
入ってきたのはエミューリアの実の兄で王位継承権第一位のソーレ・J・アルバソルだ。
「…」
エミューリアは答えない。無視しているわけではなく集中していて気づかないということをわかっているソーレは邪魔にならないように側に座り適当にエミューリアが読んでいる本の内の一冊をなんとなく手に取ってタイトルを見た。
「これは!?」
本のタイトルを見たソーレはさすがにエミューリアに声をかけずにはいられなかった。
「ちょっと、エミューリア!?」
「え?んん?…お、お兄様!?」
エミューリアからすれば急に目の前に兄が現れたようなものなので積んでいた本の山が崩れてしまうくらい驚いた。本を拾い改めてソーレはエミューリアに質問した。
「エミューリア、この本はなんだい?」
「え?タイトルの通りですけど?」
「うん、だから聞いてるんだよ?『破門された貴族』って、過去に国内で破門された貴族について記録されたものだよね?」
「ええ、そうですけど?」
「他には『国外追放された王』に『地位の剥奪』、『王族をやめるには?』に…『王国純愛物語』?」
「最後のは城下で流行っている恋愛小説です。一国の王様と平民の女性の恋物語なんです。最後には王が王位を捨てて平民の女性と国外へ駆け落ちするんですけど…」
「内容は聞いてないよ、これ全部王位や貴族の位をなくしてしまう内容だよね」
「えっと~…そうですね☆」
可愛くとぼけるエミューリア、ソーレは不安いっぱいの顔で本を閉じる。
「エミューリア、王族であることに不満があるのかい?もしそうならちゃんと相談してほしい」
「違います!不満なんてあるはずがないでしょう!?これはその…もしもの時のために読んでいるのです!」
「もしもの時?それはどういうこと?」
(「平民であるオーネストと駆け落ちする場合…」なんて言えないよね)
本当のことを言えるわけもなくなんとかごまかしてその日は終わった。
次の日もエミューリアは図書館に籠っていた。今日は焼いてもらったクッキーを持ってきていた。昨日の反省もあり手元に置く本は二、三冊にしておいて一冊は全く別ジャンルの本を置くことにした。
「昨日はビックリしたわ、お兄様はお忙しいからここに来ることはないと思っていたのに…」
今日はオーネストとくっつく方法を考えるのと同時にエミューリアの本来の仕事でもある他種族との外交に関する調べものもしていた。その時ふと背後に気配を感じ振り返らずに声をかける。
「シーラお義姉様?珍しいですね、何かご用ですか?」
「…」
シーラは答えず綺麗で艶のある黒髪をなびかせながらエミューリアの真ん前までズカズカとやって来て腰に手をあて睨み付ける。髪と同じ色の黒い瞳が今は嫉妬の炎に燃えている。
「どういうことかしら?」
「は?えっと、なにが?」
「なにが?じゃない!!」
シーラは地団駄を踏む。
「あなた!昨日ソーレお義兄様と喋っていたでしょ!ここで!二人きりで!!」
「あぁ!その事ですか!」
シーラ王女はソーレ王子が大好きだ、それはもう公務が滞るほどに…シーラは実兄のドラゴと同じくらい優秀であるのだが、「自分の気持ちが最優先!」といった感じの人なので王宮の人は頭を抱えている。今もどこで聞いたのか昨日のソーレ王子と二人で話していたことにご立腹のようだ。
「あなた、私の気持ちは知ってるのよね?」
「もちろんです。ソーレお兄様は全く気づいていませんが私は知ってます」
「ならばなぜ昨日ソーレお義兄様と!二人きりで!ここにいたのかって聞いてるの!!」
「お義姉様近い、近い」
息がかかるほど顔を近づけてくるシーラに気圧されるエミューリア。昨日のソーレと違い手元の本に目もくれないのがまだまし…いや、別の意味で厄介だ。
「シーラお義姉様、前にも言いましたが、私は恋愛対象としてソーレお兄様を見たことはありませんし、お兄様も私のことをそんな目で見ていません」
「そんなのわからないわ!」
「わかりますよ」
「なんでわかるの!?」
「兄弟の絆で…」
「ムキー!」
ソーレ王子が絡むとこの姫様は滅茶苦茶面倒になる。普通ならうんざりしてしまうがエミューリアはそんなシーラが好きだった。
「お義姉様落ち着いてください。ほら、深呼吸」
「スー、ハー、スー、ハー…」
「落ち着きました?先程兄弟の絆と言いましたがあれは冗談です。本当は秘密なんですが…お義姉様にだけお教えしますね」
「…?」
急に声をひそめ『秘密』と言われ耳を澄ますシーラ。エミューリアは必要以上に小さい声で『秘密』を話す。
「実は、お兄様の好みを聞いたことがあるんです…!」
「なっ…え!?………本当?」
食いつくシーラ。エミューリアはさらに声をひそめる。
「先程も言いましたがお義姉様だけに教えるんですからね?誰にも、特にソーレお兄様に言ってはいけませんからね?」
唾を飲み込み首肯するシーラ。エミューリアに対する怒りは完全に忘れている。
「他愛ない会話の中でたまたま聞いたんですけどね?話しているお兄様は少し照れていたので間違いないと思います」
「は、早く教えなさい!」
「落ち着いてください、私がなんとなくお兄様の好みを聞いたらですね?お兄様はこう言ったんです。『僕の好み?そうだなぁ、黒い毛並みかな?』って言ってました」
「黒い…髪!?」
「ええ!そうですお兄様は黒が好みだそうです!」
よく聞いたらおかしい箇所があるのだが、興奮して気づかないシーラ。気づかず続けるエミューリア。
「『黒色を見ていると落ち着く』らしいですよ」
「そ、それが本当なら…私!」
自分の髪を触ってぶるぶる震え出すシーラ。そのまま図書館の出口に向かう。
「お義姉様!?」
エミューリアに呼ばれ振り返ったシーラの目はキラキラと輝いていた。
「今回は許してあげるわ!それじゃあね!」
すごい勢いで部屋を出ていくシーラ、その様子を不思議そうに見送ったエミューリアはふっと微笑んだ。
「ソーレお兄様の好きな犬の毛色を聞いてあそこまで喜ばれるなんて…きっとなにか思い付いたのね」
お互いが認識のずれに気づかず、後日ソーレは自分の髪をやけにアピールしてくるシーラに戸惑ったのだった。
別の日エミューリアが図書館に入るとドラゴと側近のアルプスがいた。
(げっ)
この間の魔物討伐の一件もあったので二人きり(実際は側近もいるのだが)になるのは避けたかった。幸いまだ入口付近なので気づかれていないだろうと思い引き返そうとした時図書館の中から声がかかる。
「どうした?入ってこないのか?」
「!!」
絶対に音を立てていなかったし、見えることもないはずなので呼ばれて飛び上がるエミューリア。呼ばれたらさすがに無視できず仕方なく中に入る。
「…ドラゴお義兄様、珍しいですね図書館に来るなんて」
ドラゴは本は読むがいつも側近に取りに行かせている。なのでドラゴが図書館にいるのはたいへん珍しいことで、目的もなんとなく想像がつく。
「ところでエミューリア、お前の“働き”について話があってな」
ほら来た、とエミューリアは内心頭を抱える。エミューリアの行っている他種族との交流に関してドラゴはあまり肯定的ではなかった。しかし否定をすることもなかった。そのかわりことあるごとに「国の利益を優先的に考えろ」と言われ続けてきた。なのでエミューリアはいつもアルバソル王国に利益になるように行動してきた。しかし今回の魔物討伐に関しては事前に解決したものの、アルバソル王国にとっては利益どころか驚異にすらなってしまうとこだった。エミューリアが間接的に関わっている事は知らないはずだがドラゴは勘が鋭いので油断できない。
ドラゴは本を閉じ側近に片付けさせる。ドラゴは本棚にもたれかかり顔をほころばせた。
「よくやっているな」
「んん!?」
思わぬ言葉に妙な声を出すエミューリア。気にせずドラゴは続ける。
「エルフなどの他種族との関係の確立、魔物の暴走を事前に察知しての素早い対応、その他にも長い目で見ればアルバソルに利益をもたらす立派な働きだ」
「は、はぁ、ありがとうございます…」
言葉は確かに誉めているのにどこかトゲを感じる。だがどこかわからないのでやっぱり違和感を感じる。どう返したらいいか考えているうちにアルプスが戻ってきた。
「では俺はいくぞ」
「は、はい!」
自分の気にしすぎ、そう判断しドラゴを見送るエミューリア。しかしすれ違い様に聞こえたドラゴの一言に凍りついた。
「今回の魔物の件だが、少なくとも義兄上だけには秘密にせず伝えておくことをオススメするぞ?」
「!!」
ドラゴの顔を見ると口許が笑っていた。「どこまで知っているのか?」図書館を出ていくドラゴの背中にその一言を言うことができずエミューリアはその場にしばらく立ち尽くした。
図書館を出たドラゴにアルプスが少し不満そうに声をかける。
「やはりドラゴ様はエミューリア様に甘いような気がします」
「そうか?」
「今回のアークゴブリンに関する一件は国益を考えると見過ごせない事かと」
「それに関してはそうだな。いくら知能や理性があるとは言っても魔物は魔物だ。そんな奴らと関係を築けたとしてもアルバソルの利益になるわけがない」
「それにエミューリア様の行動に関してももっと抑制した方がよろしいかと」
「義理の兄としては耳が痛いな」
可笑しそうに笑うドラゴにアルプスは少しムッとなった。それに気づいたドラゴは咳払いをした。
「そうむくれるな、エミューリアがこの国にいられるのもそう長くないかもしれんしな」
「え?」
予想だにしていなかった言葉にアルプスは歩みを止めた。
「それはどういう事ですか?」
「あの男が我が妹を狙っているからな。それに近いうちに我が国に来るかもしれん、エミューリアはその時の交渉材料にもなるからな」
「…申し訳ありません。私の考えはまだまだ未熟でした」
「気にするな、お前なりにこの国を思っての事だろう?」
ドラゴがアルプスの頭を撫でる。アルプスは顔を伏せドラゴに自分の表情が見えなくし、頬が緩まないように唇を噛み締めた。
(何よりも、“この国”が最優先だ)
ドラゴはアルバソルに訪れるであろうある驚異に対しての最善策を模索していた。