左目の下、君と春
思えば、あれが1番「彼らしくない」行動だったのかもしれない。
看護師として働き始めてから、4年目の春。久々の休みに洋服でも見ようかと、電車に30分ほど揺られて、ショーケースを見ながらぶらぶらと歩いていた所だった。
「あの!」
声をかけられて振り返ると、ひょろりと背の高い男と目が合った。年は20代後半くらいか。無難な服装、無難な髪型、いわゆる「普通」を絵に書いたような。
「あー…その、えっと…うわ何やってんだ俺……」
向こうから声をかけておきながら、目が泳ぎまくっている。
「えっと、何なんですか?」
もごもごと要領を得ない口ぶりに少し苛立ち、やや口調がきつくなったのが分かった。
「あ、…いや、その、つまり」
「ナンパ、です。」
照れくさそうに髪をくしゃりと掻いた男に、なぜか嫌悪感は感じなかった。
このあと、時間ありますか。
よかったらご飯でもどうですか。
ナンパと言う割に、女性慣れしていなさそうな口ぶりがおかしくて、ついOKの返事をしてしまった。初対面の男といきなり向かい合って昼食なんて、我ながら思い切ったものだ。フォークで巻き取ったジェノベーゼを口に運びながら、そんな事を思う。
「おいしいですね、これ」
沈黙に耐えかねて、無言でナポリタンをつつく向かいの男に声をかける。
少し嘘をついた。ここのは、ちょっとバジルが強すぎる。
すると、先程から黙りこくっていた彼とやっと目が合った。あ、この人、泣きぼくろある。
彼は息を吸い込み、ややあって口を開いた。
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「って、聞いてる?」
「聞いてるよ」
「あの店、来月で閉まっちゃうんだって。それまでに行こうよ、もう1回」
「あっお前、また重いもの持って」
キッチンのすみの段ボールを持ち上げどかそうとすると、彼は慌てた様子で駆け寄ってきた。毎度毎度こうして慌てふためくのが、少し可愛くもある。なんて言ったら怒るかもしれないけれど。貸せよ、と手から段ボールを奪われる。
「心配しすぎだって。ちょっとくらい動いた方がいいんだよ」
「だからって、子供になにかあったら……」
少し膨らんできたお腹をさすったあと、隣に立った彼を見上げる。
「あ、泣きぼくろ」
「はぁ?」
怪訝そうな口調が面白くて、笑みがこぼれた。