肉がなければトルテを食べればいいじゃない
「クリス君。三ヶ月前に行われた全支部の冒険者の身体検査の結果を覚えているかね?」
「冒険者の身長、体重、胸囲、肥満、視力、聴力、色覚、その他の傷病の有無の初の検査ですね。先月に調査結果が本部より送られてきました」
「そうだ。我が支部の傾向は把握しているかな?」
「はい。我が支部の冒険者は肥満度こそ低いものの全体的に体格が小さく、傷病者の数も増加傾向にあります。傷病の治りが遅く、発生から長期間に渡って仕事に戻れなくなる者も少なくありません」
「さすがクリス君だ。さて、君は何が要因だと推測する?」
「はっ、フロレンス周辺の土地の食料事情の影響が大きいかと。栄養不足だと思われます」
支部長は豪快に笑いました。
「君には敵わないな。私に代わって支部長にならないかね」
「遠慮しておきます。私に街の経営は勤まりません」
「君はいつも自分に厳しいねえ」
もう一度笑って締めくくりました。おなじみのやりとりなのでしょう。
食料事情という単語が気になって質問してみました。
「街の入口に屋台がいくつもありました。りんごが特産品だと聞きましたが…食料事情が悪そうには見えませんでしたけど」
「うむ。りんごが特産品であるのは間違いない。だが、肉と魚が決定的に足りないのだよ。ここは内陸部で新鮮な魚は手に入らず、肉はほとんどが近隣の街からの買い入れに頼っているのが実情だ。りんごの栽培と養蜂が盛んなフロレンスの菓子文化はなかなかのもので、甘味は街を支える商品でもあるのだが、決して他の街も肉や魚が豊富とは言えない。譲ってもらえる量にも限度があるのだ。りんごと蜂蜜で腹は膨れんのだよ。そこで君の持つダイズに注目したわけだ」
なるほど納得です。ですが、わたしが持っている大豆はたった一袋ですし、栽培には時間がかかります。大豆だけですべてが解決するわけでもありません。それを伝えると、支部長さんは手を叩いてウエイターさんを呼びました。
「メルヴェイユトルテを二つと、コーヒーのおかわりを」
支部長さんはコーヒーカップをぐいとあおって飲み干しました。
少しして、ケーキのお皿とコーヒーが二つずつ運ばれてきました。チョコレートでコーティングされた二層のココアのスポンジケーキの間にりんごのジャムが挟まっています。
「メルヴェイユトルテはこの店の名物でもあり、フロレンスの名物でもあるんだ。いかがかな?」
フォークで大きめに切って口に入れると、チョコレートの甘さとりんごのジャムの酸味が広がりました。
「めっちゃ美味しいです!」
コーヒーとの相性が抜群です。こちらに来てから何も口にしていなかったので、もうエンドルフィンがガバガバです。
「食べながらでいいから聞いて欲しい。問題はもう一つあってね。仮に街の食料事情が好転したとしても、個人個人が栄養のある食事を選択しなければ意味がない。自分自身の栄養不足を自覚できる人間ってのはそうそういないからね。大抵は体を壊したあとに気づくんだ」
そう言われて、アンジェリカや支部長さんに大豆の効能を説いた自分がうしろめたくなりました。だいたい、わたしだって自分の体に無自覚だったからバイト中に倒れたのです。
「だから、自身による栄養管理が難しいのなら、他人がやればいいのだ。そしてそれは、我々のような大きな組織が責任を持って取り組むべき重要な課題になるだろう」