ウエンツ・エイジド・コーヒーハウス
「ウエンツ・エイジ…?」
葵さんにもらったメモの通りにギルドの建物の裏に回ると、上品なコーヒーの香りが漂ってくる喫茶店がありました。カフェテラスの屋根に木製の看板がぶら下がっていて、そこには "Wentz Aged Coffee House" というお店の名前が彫られています。
両開きの扉は開け放たれており、中を覗くとお客さんで賑わっていました。誰が支部長なのか、そう言えば葵さんから風貌を聞き忘れました。ギルドの職員の制服を着ている人も多いです。
中に入ろうか迷っていると、わたしに向けて手招きをしている人がお店の奥にいました。隣に立っているのは秘書官のクリスさんではないですか。安心すると同時に恐る恐る手招きの主の元に向かいました。
一番奥のテーブルに、ヒゲを蓄えた体格のいい中年の男の人が座っていました。いかつい顔で、この人が件の支部長かとびくびく近づいたら破顔一笑、立ち上がって握手を求められました。ダブルジャケットの制服がよく似合っている、おじさまと呼びたいダンディな人です。
「タカハシ・りぼん君だね?初めまして、フロレンス支部長のアルフォンス・マクミランだ。こっちの彼は私の秘書官のクリス・グレイ君。クリス君から大体のことは聞いているよ。アオイ君と同郷だそうじゃないか」
「た、高橋りぼんです。よろしくお願いします」
支部長さんのがっしりした手を握ると、力強く握り返されました。正直痛いです。
「まあ、座りたまえ。コーヒーでもどうかな?」
「は、はい、いただきます」
クリスさんがウェイターを呼んで注文すると、すぐにコーヒーが運ばれてきました。ミルクの入ったお洒落な小瓶が添えられています。なんとなく怖い人の前でミルクを入れるのが憚られて、ブラックで一口飲みました。
お、苦味と酸味のバランスがほどよいマイルドなコーヒーです。ブルーマウンテンに近い感じです。
「どうだい?ここのコーヒーは美味い だろう」
「はい、とっても美味しいです」
少し緊張がほぐれました。思えば、ここにきてやっとのホットドリンクです。
「君、ひょっとしてアオイ君に何か吹き込まれたかね?例えば、私を怒らせたら冒険者として活動できなくなるとか」
「い、いえ、決してそのようなことは…」
「いやいや、何か言われたんだろう?済まないね、アオイ君はときどき何も知らない人に性質の悪い冗談を吹き込むのだよ」
「…へ?冗談?」
「はい。アオイさんは少々いたずらが過ぎるときがあります。もし何か言われたのであれば、本気にしないでください」
一気に肩の力が抜けました。なんとクリスさんのお墨付きとは、葵さん、茶目っ気があるにもほどがあります。啜ったコーヒーが心に沁みます。
葵さんから渡された鑑定書を渡すと、支部長さんはカップを置いてざっと目を通しました。
「ふむ、可もなく不可もなく、報告通りだね。…おや?所持品欄にある『ダイズの生豆』と『ニホン語で書かれた本』とは何かな?」
わたしは大豆と食品成分表を見せて簡単に説明しました。クリスさんは物珍しい程度の反応でしたが、支部長さんは特に大豆に強い関心を示しました。
「ほう。君の国ではこの豆が『畑の肉』と呼ばれているのか。その食品成分表なる本によればレンズ豆よりも栄養価が高い、と。例えばだが、ダイズは肉や魚の代わりになるのだろうか?肉も魚も食べなくても、ダイズさえあれば体が丈夫になるのかね?」
支部長は身を乗り出してぐいぐい食いついて来ます。ちょっと近い近い、ちょっと怖いです。
「い、いえ、大豆だけでは栄養が偏りますし、これ一つあればいいという食品はないです。レンズ豆は大豆よりも鉄分と亜鉛を多く含むので、組み合わせて食べるといいと思います」
「なるほど、他の食品と組み合わせて…か。ダイズは収穫までにどれくらいの期間がかかるのかね?」
「約半年…だったと思います」
「ふむ…」
コーヒーカップの取っ手を弄びながら考え込む支部長さんを見て、クリスさんが不思議そうに問いました。
「支部長、この豆の何が気になるのでしょうか?私にはただの豆にしか見えませんが…」