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栄護士りぼん 異世界大豆生活  作者: 多胡真白
第1話 肉と天使とわたし
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肉と天使とわたし

著者は栄養について勉強中の素人です。できるだけ調べて書いていますが、栄養学校の方や本職の栄養士さんから見ておかしな点があれば指摘していただけると嬉しいです。

 月並みの表現で恐縮ですが、気がつくとわたしは森の真っ只中でうつ伏せに寝ていました。どうやら本当に眠っていたようで、体を起こすと頭がふらふらして大きなあくびが出ました。大きく息を吸いながら両手を挙げて背筋を伸ばします。

 ん〜、いい天気です。暖かな陽が木々の葉を青々と照らし、穏やかな風が頬を撫でます。ちょっと青臭い茂みのにおいも、排出ガスやスーパーに漂う加齢臭に比べればアロマの香りです。まどろみから覚めるまで、風の音と息遣いに身を任せました。

 これが森林浴なのですね。こんなにリラックスしたのは久し振りな感じがします。すっかり落ち着くと、自分の置かれている状況が不思議に思えてきました。

 はて、わたしはなぜここにいるんでしょうか。というか、

「ここ、どこ…?」

 スマホスマホ、とジーンズのポケットに手を入れると、そこには何もありません。反対側、おしりのポケットも空です。財布もありませんでした。

 寝る前の記憶をたどろうとしましたが、驚いたことに何も思い出せません。ただ、うっすらと記憶にあったのは、どこかの静謐な広間の中央で女の人と大事な話をしている場面でした。神々しいとしか形容のしようがないオーラを纏う女の人の眼前に跪くわたし。あれは一体何だったのでしょうか…。

 前方にトートバッグに似た布袋が転がっていました(イケてるキャンパスライフに欠かせないアレです)。手に取るとごわごわしていて、全体的に年期の入った汚れや痛みが染み込んでおり、縫製もお世辞にも出来がいいとは言えません。

 バッグを開けようとしたとき、事件は起こりました。川のせせらぎが聞こえる背中のほうから、ガツンという鈍い音と何かの動物の断末魔とでも言うべき悲鳴がしたのです。危機を感じて体がガチガチに固まりましたが、悲鳴は急激に小さくなってゆき、何度か聞こえると完全に静かになりました。

 正体不明の音に巨大な恐怖が募り、冷や汗が額と背中と脇を伝わります。一切振り向かずに逃げ出したいのはやまやまですが、人はパニックになると原因を突き止めたくもなるようです。わたしはバッグを胸に抱えて木と茂みに隠れながら、音のした方向にそろそろと近づいていきました。

 少し森が開けた場所に、煙のない焚き火がありました。焚き火のそばには中型犬ほどの大きさのイノシシ…いえ、長い直線の角が頭から生えたでっかい兎が倒れていました。角は途中で折れており、傍に鋭い先端が落ちています。兎の片目に剣…剣?がそれはもう根深く刺さっていて、目と口から流れる赤黒い血が地面を濡らしています。バラエティ番組で流したらモザイク必至の絵面ですが、何だか現実味がなくて何の感傷も恐怖も湧きませんでした。

 しかし、兎と焚き火を挟んで倒れている物体を見て一気に血の気が引きました。人です。人がうつ伏せに倒れていて、ぴくりとも動きません。そろりそろりと近づくと、華奢な女の子でした。歳は……子供?高校生くらいに見えます。綺麗な顔立ちで、まるで西洋のお人形さんみたいです。

 見た感じ兎と違って大きな出血はなさそうです。わずかに胸が浮き沈みしているのがわかって、ひとまずほっとしました。どう見ても人里離れた森にAEDはありませんし、素人のわたしがこの子に心臓マッサージなんかしたら肋骨を折ってしまいそうです。

 ただ…女の子はガチな質感のある鈍い銀色の鎧を着ています。一瞬ガチなコスプレイヤーの動画撮影を邪魔してしまったのかと自分の空気の読めなさ加減が嫌になりましたが、それにしては演出が凝り過ぎているように感じます。特に兎。目に剣を刺して血を流すなんて趣味が悪いです。

 でも撮影じゃなかったらと思うと、このまま放っておけません。でもでも鎧は重そうですし、外し方もわかりませんし、わたしの体力で人一人背負うのは到底無理です。

 女の子の傍で一人途方に暮れていると、女の子が震える指で脇腹を指したではありませんか。

 まさか、見えない箇所に傷を負っているのでは?慌てて脇腹をまさぐって傷を探します。

「ぶひゃっ!そ、そこ違うし!」

「じゃあここ?それとも反対側?」

「ぶひゃひゃひゃひゃ!」

 痛みに苦しむ女の子の悲鳴は心にくるものがあります。しかし今は傷の手当てが優先です。心を鬼にして念入りにまさぐりました。

 本当に華奢な体です。いえ、華奢と呼ぶにはいささか病的な感触がありました。やせこけているという表現がしっくりきます。

 さんざんまさぐり、女の子はすでにぐったりしています。傷らしい傷も見つからずにパニックになりかけたとき、ぐぅぅ〜と盛大な音が聞こえました。

 あ、お腹が空いてたんですね。もしかして、女の子が指差したのは腰骨に巻いてあるポーチで、そこに食料が入っていると言いたかったのかもしれません。

 ポーチは背中側にバッグが来ていたので、中身を探すのは簡単でした。何かを包んだ油紙を見つけて開くと…枯れ木のような何かの破片がいくつかあります。軽く嗅いでみると、漢方のような独特の臭いと言いますか、湿気と埃の混じった臭いがありました。薬でしょうか?

 ともあれ、薬でお腹は膨れません。バッグの中をいくら探しても食べられそうな物は見当たりませんし、周りを見ても生で食べられそうな野草はなさそうです。あるのは血の海に沈んだ死にたてほやほやの新鮮な…

「うさ…ぎ…?」

 そうです。大きな兎がいるではありませんか。料理の授業で、地元のフランス料理店のヒゲもじゃシェフが授業の最後に見せてくれた兎の調理を思い出しました。丸々一羽(内蔵は取り除いてありました)をまな板に載せ、ナイフを構えると一息で、かつスピーディーに肉を作り出しました。わたしたちは牛や豚、鶏を食の対象として全身で理解していますが、兎と聞いて思い浮かぶのは、鼻をひくひくさせて草をもくもく食べる、元気に生きている姿です。死んだ姿ではありません。食材として頭では理解していても、あっという間に解体された兎にショックを受けた生徒が少なからずいた授業でした。

 わたしもその一人だったのですが、今の問題は焚き火の火力です。シェフは食中毒の危険性を強調し、十分過ぎるくらいの加熱をするよう指導しました。枝を拾って焚き火をつついてみたら、赤く光る炭が出てきました。素手で触ったら間違いなくひどい火傷をする熱気があります。これなら大丈夫そうです(あれがわたしの知る兎と近ければ)。なるべく乾燥している枝を拾って焚き火にくべました。

 女の子が太ももにくくりつけていた頑丈なナイフを借りて、意を決して兎のお腹に突き刺します。あのときは確か、頭を切り落としてから皮をべろっと剥いていましたが、このサイズでは無理です。生温かいお腹の中に手を突っ込んで内臓をかきだし、どこの部位かもわからない肉を切り取り、川で血を洗い流しました。火を通りやすくするために小さく切り分け。丈夫な枝に刺して焚き火に入れました。


 焼き上がった肉はナイフで切って焼け具合を確認し、軽く冷ましてから女の子に食べさせました。わたしの腕の中で小さな口をゆっくりと動かす女の子はまるで赤ちゃんのようで、昔飼ってたハムスターのゴローを思い出しました。かわいいです。この子みたいな妹がいたらよかったのきなあ…と、一人っ子のわたしは叶いもしない望みにため息をつきました。

 よほどお腹が空いていたのでしょう。用意した肉を次々と平らげてしまった女の子は徐々に顔色が戻ってきました。女の子の水筒に水を入れて渡すと、一気に飲み干して息を吐きました。

「落ち着いた?」

「ええ…ありがとう。もう平気」

 女の子は体を起こしてわたしに向き合いました。ところが途端、なぜか女の子は尻餅をつき、顔面蒼白で震えてわたしを指差しました。

「あ、あなた…」

 え?顔に何かついてる?頬を撫でて手のひらを見ても、さっき解体した兎の血がついてるのみです。女の子の指先を目で追うと、正しくはわたしの胸を差しています。目を下に向けると、ファッションセンターきまむらで買った980円のチュニックがびっちょり赤く染まっていました。無難オブ無難のストライプが見る影もありません。初めての解体に夢中で全然気づきませんでした。わたしの技術が拙いせいで兎の腸がだらしなく飛び散り、辺り一面大惨事です。

「ああ、怪我じゃないから安心して。そこの兎のお腹をかっさばいたときについた血だから。わたしジビエ作るの初めてで、美味しくなかったらごめ…」

 女の子はわたしがしゃべり終える前に口を手で押さえてえづいたかと思うと、

「オボエエェ!」

「ぎゃー!」

 胃の中に収まったはずの、かつては兎だった何かを一気にぶちまけました。

「な、なんてことしてくれたの…」

 まさか…も、もしかして食中毒!?そんな、芯まで火が通ったのを確認したのに!やばい、やばいです。学校にばれたら停学ものです。

「O157!?サルモネラ!?カンピロバクター!?どうしようどうしよう!」

「落ち着いて…何でもないわ」

 女の子は川で口をすすぐと、あらたまってわたしと向き合いました。こうして正面で見ると、同性からしても目が眩むほどの美少女です。吸い込まれるような瞳、コンディショナーのCMのヘアモデルになれそうな髪。本人のあずかり知らないところでファンクラブがてきそうです。

「せっかく用意してくれた食事をもどしてしまってごめんなさい。わたしはアンジェリカ。アンジェラと呼んで」

「アンジェリカ…さん?」

「『さん』は不要。『アンジェラ』」

 おお…外国の方はフランクです。近い近い。

「ア、アンジェ…ごめんなさい、アンジェリカでよろしくお願いします」

 それに対して、見知らぬ人との距離感がわからないスクールカースト中間層のわたし。格付け完了です。

「あなたの名前は?」

「わ、わたくしめでございますか。高橋…り…んです」

「タカハシ…ごめんなさい、何て? 」

「り、りぼん…です…」

「リボン?って、あのリボン?変わった名前ね」

「うぐっ」

 はい、俗に言うキラキラネームです。心あるお友達は「りん」と和風の名前で(和風ってのも変ですが)呼んでくれますが、その優しさがときに辛いです。あと数年したら就活で面接官の方に同情を込めて名前を呼ばれるんですね、わかります。

「それじゃ、あらためてよろしくね、リボン」

 アンジェリカは数分前にゲロったことが嘘のような一片のはじらいもない笑顔で握手を求めてきました。その眩しい笑顔たるや、A・M・T(アンジェリカたん・マジ・天使)…!と心の中で叫ばずにはいられません。

 アンジェリカの手は華奢でした。この手であの兎を仕留めたとはちょっと信じられません。

「アンジェリカ、あの動物は何なの?兎みたいだけど」

「あら、オオウサギを知らない?普段は大人しいけど、発情期に入ると角で相手を持ち上げるようにして飛びついてくるの」

 イノシシの兎版といった動物でしょうか。角を向けて…とは、想像しただけで全身が痛くなります。

「どうやって仕留めたの…?」

「ふふん。慌てずに待ち構えて、あいつが首を持ち上げるタイミングでこうやって突いたのよ」

 アンジェリカは自慢げに鼻を鳴らし、剣を持った振りをしてジェスチャーしてくれました。あっぶな。

 しかし限りなく嘘っぽいです。ドヤ顔で語る声と手が震えています。大方、びびって動けなくなったところに上手い具合に兎が突っ込んできて、剣が刺さった衝撃で跳ね飛ばされたんでしょう。

「ふーん。あ、そうだ。お腹は大丈夫?気持ち悪くなったら言ってね。何もできないけど」

「ええ、もう大丈夫。実は、わたし肉がダメなのよ」

「そうなの?宗教上の理由…とか?」

「いいえ、そのままの意味よ。肉が苦手で、食べられないの。だからポーチに干し野菜を入れておいたんだけど…見つからなかった?」

「干し野菜…?あれ、薬じゃないの?」

「立派な保存食よ?にんじん、キャベツ、レーズン、ふき。以前バッグが盗まれたことがあって、ポーチに分けて入れておいたのよ」

 と、アンジェリカは欠片を一つ一つつまんで説明します。さつまいも以外の干し野菜を携帯食にする人は初めて見ました。栄養が凝縮されて体にはよさそうだけど、量は全然足りないし、何よりカロリーとたんぱく質が圧倒的に足りません。華奢な理由が一つわかった気がしました。

「これじゃお腹も空くよ…。干し肉…が食べられないなら、乾パンとかチーズはないの?」

「もう食べちゃったわよ。今日で街に帰るつもりだったもの。それと…ついでに言うけど、血も苦手で…」

 はっとしました。だからわたしのチュニックを見て真っ青になったんだ。

「ご、ごめん!川で洗ってくるから!」

「これを着て。お礼にあげる」

 アンジェリカは離れた場所に置かれていたバッグから麻のシャツを出してわたしに差し出しました。手縫いっぽい縫製ですが、裁縫の心得があるのでしょうか。

 わたしがシャツを受け取ると立ち上がり、兎に刺さった剣を抜こうとしましたが、何度か引っ張ってみて諦めたようです。落ちている折れた角をバッグに入れて戻ってきました。

「わたしは街に戻るわ。あなたも街に戻ったら、ギルドに行ってわたしの名前を告げてちょうだい。そのときに改めてお礼をさせてもらうわね」

 えっ?ここがどこかもわからないのに一人になれと…?わたしは焦って、背を向けてすたすたと歩き出したアンジェリカに駆け寄りました。

「ちょ、ちょっと待って!わたしも一緒に行く!」

 こうして、わたしはトートバッグを胸に抱えてアンジェリカについて行くことにしたのでした。

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