8話
殿下は本当に町に出ることに慣れているようで、溢れんばかりの人の間を器用によけていった。
私が初めて行き、男達に捕まったあの町はここほど人が多くなかったので、ふつうに通ることが出来た。なのでこんなにも人の間を通ることは大変な事なのだと、はじめて知った。
「君、なにか行きたい場所でもある?」
「行きたい場所、ですか?」
わたしは特に欲しいものなどなかったし、そもそもこの町に、どのようなものがあるのかよく分からない。
わたしの顔を見て、なにか分かったのか殿下はああ、と呟いた。
「なら、女どもが好きそうな店、行く?」
その言い方は、女を馬鹿にしているみたいだった。殿下は女が嫌いなのだろうか?
結局、行きたい場所も見当たらなかったので、殿下の言っていた「女どもが好きそうなお店」に行くことになった。
そしてそこに行くまでの間も殿下はわたしの手を離さなかった。
「ここが女どもが好きそうなお店、ですか?」
「うん。」
連れてきてもらったお店は、高そうなものばかりがある装飾品店だった。確かに女性はこういうお店が好きだ。でも、わたしは、お洒落をするのは姉や妹のためのものというイメージなので、こういうものはよく分からない。せっかく連れてきてもらったのに、今わたしが考えていることは、嬉しいよりも、お店の中に入る勇気が出ないだった。
「あれ?あんまり好きじゃなかった?」
「いえ、でもこんな全てが高価そうなお店には、怖くて入れません。」
殿下は只でさえ大きい目をさらに大きくさせた。綺麗な紫色の瞳がこぼれてしまいそうなほど。
そして急に笑いだした。
「ハハッ、君本当にお嬢様?何、高価そうって?いつも君が身につけているものの方が、よっぽど高いよ。ハハッ、だ、だめだ。笑いがとまんない。」
お嬢様みたいではないと殿下は言った。まさか、わたしがレベッカではないと気がつかれてしまったの。わたしが身代わりだということを。
でも本当のわたしもお嬢様なんだけどな。そんなに平民みたいなんだろうか?なんだか自分で思って自分で傷ついた。
わたしが落ち込んでいることなど気がつかず、殿下は笑い続ける。
そんなにおもしろいのか。お店に怖くて入れないことが。だが、ばれたということでは無さそうだ。だって、ばれたならもっと怒るだろう。少なくとも笑うことはしないはずだ。
「殿下、そんなに面白いですか?」
あんまりにも笑い続けるので、そろそろわたしも怒れて来た。
「ああ、ごめん。怒んないでよ。君みたいな女、初めて見たから。」
案外あっさりと殿下は謝った。王族でも人に謝るのか。そっちの方に心を持っていかれ、怒っていた気持ちなど、どこかに行ってしまった。
「じゃあ、入ろうか。」
「ええっ?本当に入るんですか?やめましょうよ。壊してしまいそう。」
「いいからいいから。」
と、わたしの手をぐいぐい引っ張って行く。こうなってしまったら、入るほかない。
入ったというよりも入らされたという形でドアをくぐった店内は、とても綺麗だった。興味の無いわたしでも、心が奪われてしまうくらい美しい。
「で、殿下。やっぱり出ましょう?こんなところにわたしには無理です。」
「なんで?まだ入ったばかりじゃん。ほら、これなんか君に似合いそうだよ。」
殿下はそう言って、金の細工がほどこされた蝶の髪飾りを差し出した。
「こんな綺麗なものわたしには似合わないです。」
「ええー?そうかなー?君の珍しい黒の髪に映えると思うんだけど。」
殿下はひと房だけ下ろしてあるわたしの髪にふれた。
「君の髪は綺麗だね。」
なんて、囁く殿下に思わず顔が赤くなる。これは不可抗力だと思う。誰だってこんなかっこいい人に囁かれたら、赤くなるはずだ。
心の中であたりまえなんだと言い聞かせる。
この人は、何でこう女性を赤くさせるんだろう。こういうことにかけては、本当にどこで学んでいるのだろうか。
「ええ、お客様に、よくお似合いになると思います。」
突然、このお店の店主が話しかけてきた。
今までのことは見られていないはず。というか見てないでくれ。恥ずかしすぎるから。
「だよね。じゃあ、これ貰おうかな。」
店主の言葉に殿下は頷く。
殿下、その店主に騙されてはいけません。それはお世辞ですから。買わせようとしてるんですよ。と動きそうになる口をわたしは必死で止めた。
「で、でも、わたし、お金持っていませんし。」
わたしの言葉に殿下は、心外だ、眉を寄せる。
「僕が女にお金を払わすような男に見えるの?そんな訳ないでしょ。」
これは殿下の勝ちである。わたしの全ての作戦を殿下はさらりとかわした。
まあ、作戦という程のものでは無かったが。
お店を出た殿下の手には、蝶の髪飾りが入った袋がある。その袋を眺めていると、心配そうな顔で殿下がわたしの顔をのぞきこんできた。
「うわっ、ななな、な、何ですか?」
驚いて変な声が出てしまう。本当にまあこの人は、心臓に悪いことばかりをしないでほしい。
「ハハッ、何その声、」
「笑わないでください。それで何ですか?」
今日で二回も殿下はわたしのことを笑う。
でも、さっきと違うのは、今回はすぐに殿下は笑うことをやめた。そしてまた、心配そうな顔でのぞきこんできた。
「あのさぁ、本当にいらなかった?僕、勝手に買っちゃったけど。」
なんだ。そんなことを心配してたのか。別にいらなかった訳では無い。
「嬉しかったですよ。でも、わたしには似合わないだろうし、すごい高かったので、わたしでいいのかなと思いまして。」
「ああ、なんだ。そんなこと思ってたの?大丈夫。君によく似合うよ」
わたしを安心させるように、また殿下は笑った。そしてわたしはまた赤くなった。本当にやめて欲しい。
「殿下、天然で女性を口説くのやめた方がいいですよ。いつか、誰かの奥さんを横取りしてしまう日がくる気がします。」
「どういうこと?」
不思議そうに殿下は首をかしげた。