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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~ 作者:冴吹稔

ブリュッヘの婚礼

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降り出した雨の中

 裏庭には原始的な起重機が据え付けられていて、荷馬車の一隊はそれを使ってワイン樽のいくつかを降ろしたところのようだった。
 荷物を降ろしたあとの馬車の上には、毛織物の天幕がたてられつつある。どうやら今夜はここで休むつもりらしい。
 ゆっくりと近づいていくと、驚いたことにピーテルのほうからこちらを目ざとく見つけ、声をかけてきた。

「やや! これは驚いた。夏に会ったデーンのお人らじゃないか。確かええと、楽師のトールに、そっちは――」
「ヨルグ・トーケッソンだ」
 ヨルグがむすっとした調子で答える。あまり積極的に名告りを上げる方ではないから、彼の名が相手の印象に残っていなくても仕方がないのだが。

 馬車の上からは数人の男たち――それぞれの馬車の御者や荷担ぎたちが顔をのぞかせ、何事かとこちらを見ていた。

「ああ、そうそう、ヨルグだったか。いや、危なく忘れるところだった。一緒にいた靴屋の親父さんは来てないようだが、やっぱりあんた方もここの祭りでひと稼ぎってわけかい?」

 俺はヨルグと顔を見合わせた。ピーテルのすぐ後ろには例の兄嫁があたかも本人の妻のように寄り添って立っている。

「まあ、祭りでひとくさりやることになってるよ」
「そいつはいいや! 実はうまい話があるんだが、手を貸してくれないかね? 実はイエファーであんたらの噂を聞いたんだ。えらく面白い出し物をやるらしいじゃないか」

はて、何やら妙な雲行きだ。俺は親しげなそぶりのまま、彼に探りの突きを入れた。

「うまい話、ね……それはそうと、あんたこそ親父さんはどうしたんだ? 体が不自由みたいだったし、連れてきてるわけでもなさそうだが――」

 揺さぶりをかける前に、一呼吸。

 少々迷った。彼に何か企みがあると仮定してみたものの、それとなく聞き出すうまい言い方をどうにも思いつかない。意を決して腕を振り上げ、爆弾を投げ込んだ。

「またイガイのお世話になったってわけかな」

「えッ?」
 ピーテルは一瞬きょとんとして、何を言われているのかわからない風だ。数秒もすると彼は顔を真っ青にして震えだした。

「あ、ええとつまり、もしやあんたは俺がイガイの毒で兄貴を――何てこった! そんなふうに思われてたなんて」
 彼の両目に涙がにじんだ。
「……あんまりだ」

(あれえ?)
 居心地の悪い空気が辺りを包む。ピーテルはがっくりと膝を折ってその場に座り込み、おいおいと声を上げて泣きじゃくり始めた。

「……違ったのか」

「違う、違うよ……当たり前じゃないか。なんで俺が兄貴や親父を殺さなきゃならないんだ。兄貴は獲ってきたイガイを自分で料理したんだよ。好物なのにちょっとしかなかったもんだから一人で食って、それで……」

(どうしよう、これ)
 俺は自分がとんでもない過ちをしでかしたことに気が付いた。

 考えてみればこの男に会った時、俺たちは異常な状況に置かれていた。仲間の安否は不明、ノースの掠奪者だということを隠しながら慣れない土地を徒歩で横断し、盗賊や得体のしれない蛮族に神経をとがらせながらの一週間。
 そのせいで彼のちょっとした癇に障る部分を、自分の中で過大に膨らませてしまっていたのではあるまいか。
 イレーネとの婚礼を控えているせいもあって神経過敏になっていたのもあるが、この春以来、どうも敵意と陰謀に親しみ過ぎたようだ。

「すまない……どうやらあんたについて大変な誤解をしていたらしい」

――それをあろうことか、本人相手にぶちまけてしまった。


「ああもう! だからいつも言うとるやんか、ピーテル。いらンことまで人にしゃべらんとき、儲け話の匂いに見境なく飛びつかんとき、て!」
 黙っていた兄嫁がピーテルの頭の上に固めた拳をのせ、ぐりぐりと捻りたてた。
「いてッ! いてててッ! やめて義姉さんッ!」

「……その義姉さん呼ばわりもやめえ。うちらやっとることはもう夫婦と変わらんし、妙な義理立てされても却って人目におかしな具合やろ」

 その後ぬるめの折檻と説教がひとしきり繰り返され、目を丸くして呆然とたたずむ俺たちに、兄嫁はようやく頬を赤らめて一礼した。

「なんかえらい誤解させてもうてたみたいやけど、ピーテルは大それたことのできる柄やないんです。お義父さんはザンデの教会に預けてきましてん」

「そうだったんですか」
 ものすごくいたたまれない。
「あー、なんかその、済まねえ。ほんと」

 俺たちはすっかり小さくなって二人に謝罪した。まあある意味、みんなを巻き込んだ騒ぎにならなくて正解だったというわけだ。

「ああ……俺は深く傷ついたよ……なあ、楽師さん。この上は、俺の儲け話に是非とも一役買ってもらえるよな?」
「またあ! 懲りもせんとあんたは!」
 兄嫁がぽこぽことピーテルを小突き回す。だが俺はといえば申し訳なさですっかり萎縮し、あとで思いかえしてみれば判断力に不調をきたしていたのだった。

「まあ、話だけは聞こうじゃないか……」
「おい、トール」
 ヨルグが不安げな顔で俺の袖を引っ張る。

「なあに、もちろんあんたらが疑ったような話じゃないとも。楽師さんにフランドル伯の宴席でとびっきりの面白い話と歌を披露してもらえればいいんだ。イェファーの時みたいに」
 ピーテルはまだ涙も乾かないままの顔をほころばせ、夜営の準備を始めていた部下たちを呼び集めた。
「おーい、作業ちょっと休め! みんな集まってくれ」
 老若取り混ぜた数人の男たちがばらばらと集まり、俺たちの前にひとかたまりになる。先ほどの泣きわめく姿を見ていたせいか、彼らが行商人へそそぐ視線は微妙に生温かい。

「こちらのトールさんは腕のいい楽師、そっちのヨルグさんはええと、木こりだったかな。俺たちの商売を手伝ってくださるはずだ、頼まれたことは何でもやって差し上げるんだぜ。ええと、こっちの端から順番に、御者のヤンとパウルとシグムンド。荷担ぎのクラウドとウィルフレッド、用心棒のビョルンだ」

 名前から察せられる通り、イングランドからフリースラント、ドイツと出自も様々な男たちだった。中でもビョルンと呼ばれた男に目を引かれた。古ぼけた鉄兜を頭にかぶり、髭をたくわえ腰に剣と斧を吊った姿は、どう見ても北方人のそれだ。

「あんた、デーンの人かい?」
 俺がノルド語で声をかけると、彼はそばかすの浮いた色白な顔を引きゆがめたように笑い、無言でうなずいた。
「ビョルンは一週間前、カレーからこっちへ来る途中にベルグ(※)の僧院からちょいと海側にある街道で雇ったんだ。無口だけど腕が立つし信用できる男だよ」

 確かに強そうな男だ。だがボールドウィンが話していたこととの妙な符合が気になった。
「大丈夫なんだろうな、ピーテル。このあたりには夏にイングランドから敗走したデーンの残党がうろついてるって聞いたが」

「とんでもねえ、楽師の旦那! ビョルンのやつぁ、旅の間に二度も、その『デーンの残党』から俺たちを守ってくれたんですぜ」
 御者の一人、シグムンドと呼ばれたごま塩頭の男が唾を飛ばしながら用心棒を弁護した。
「その通りだとも。やつは元はイエファーの船乗りだそうだ。海賊に襲われて一人だけ海に飛び込んで助かったんだとさ」
 ピーテルも脇から口を添える。まあ、用心棒として実績のある男なら、心配いらないかもしれない。現に俺たちの仲間にもデーンの残党といえば言えなくもない、アースグリムがいる。

「で、あんたの儲け話ってのは何だ?」
「それなんだがな……」

 さて、ピーテルの話というのはどうにも苦笑せざるを得ない代物だった。

 彼はフランドル伯との契約で、収穫祭の祝宴に出すワインを今でいうフランス、ブルゴーニュのあたりから運んできたという。
「そりゃあ、豪儀だな」
「お、わかるのかい? 隅に置けないね」
「聞いたことぐらいはある」
 ブルゴーニュのワインといえば、21世紀でもボルドーと並んで高級品として知られていたはずだ。

「で、だ。さっき運び込んだやつは領主さまはじめ、やんごとない身分のお歴々が飲む分だ。樽ごと納入したんだが何せかさばる。いつまでも置いておくわけにもいかないし、そもそも樽自体からして安いもんじゃあない――そこで、『祝宴のあとで樽はこちらで回収する』という契約にしてる」

 ん? それってつまり……

「あ。まさかあんた……」
「あとはわかるだろ。底の方に少し残った状態で引き上げる――引き上げさせてもらう。代りに宴席には次の樽を出す。うまくいけば、五樽分の代金を頂いたうえで、一樽分相当くらいの量が俺の手元に残る、ってわけさ」

 そのワインをまた他所へもっていって売ろうというわけか。何ともあこぎ。そしてセコい。
「二重売りしようってのか……いくらぐらいするんだ、あのワイン」
 確証はないが、ざっと見積もって200リットルくらいは入りそうな樽だった。積み下ろしの際には当然荷担ぎの二人だけでなく、御者たちやピーテル自身も汗を流すことだろうか。

「樽一つが中身だけで、だいたい10ソリドゥス。樽も4ソリドゥス程度はする」
 計算はあまり得意な方ではない。俺は必死で頭の中で筆算を試みたが、どうにもぼやけるので仕方なく地面に小枝で、不細工にアラビア数字を書きつけた。
 ピーテルたちが怪訝な顔で見ているが、まさか妖術使いと告発されることもあるまい。まだ9世紀だ。

 カロリング朝の貨幣単位でいう1ソリドゥスは12デナリウス銀貨に相当。ディルハム銀貨にしておおよそ四枚弱といったところか。ディルハム一枚が大まかに日本円一万円程度のイメージとすれば、あの樽一つがおおよそ四十万円相当。秤量銀で考えれば5エイリル程度だろう。

(四十万……ピーテルが本来ボールドウィンから利益をいくら取るのかわからないが、宴席のどさくさに紛れて余計に四十万をせしめる腹か……)

 俺たちが夏にアルフレッドからせしめた銀の額に比べれば、ごく可愛いもの。だが俺にとってこの上なく大切なこの婚礼に、そういう矮小な邪さを紛れ込ませるのはどうにも抵抗がある。

 俺の沈黙を拒絶と受け取ったのか、ピーテルは口から泡を飛ばして自己弁護を始めた。
「なあ、俺の商売なんてまだしもまっとうな方だぜ!? もっと田舎のほうに行けば、ワインを水増しして売るなんてことはざらにある」

「当たり前だろ。この水の悪い土地で井戸水なんか混ぜられた日には腹を壊す」
「うん。だが俺は混ぜものなしで売るんだ。それに樽の底のほうなんて、大体がブドウの搾りかすとか澱でいっぱいだ。上客に出すようなもんじゃない。そいつを回収して濾して売るだけの話だよ」
 胡散臭いが筋が通っているようでもある。しかし胡散臭い。
「うーん……」
 迷っている俺の頭の上に、ポツリ、と冷たいものが落ちてきた。フランドルの晩秋から冬につきものの、冷たく陰鬱な長雨がその指先を地上へ伸ばしてきたのだった。

「まあ、ちょっと考えさせてくれ……ほら、あんたらもどうやら、今夜は馬車の上で寝るってわけにはいきそうにないぜ」

「ほんとだ」
 ピーテルは灰色の目を瞬かせて曇り空を見上げた。
「仕方ないなあ……おおーい! 司厨係さんよぉ!」

 建物の奥から白い亜麻布の前掛けをした男が出てきて、ピーテルに何やらわめいている。

――しょうがねえ、あんたのとこの一党、俺たち料理人の部屋で寝ていいぜ。その代りといっちゃなんだが、ワインの樽をもうちょっと奥まで詰めるから、手を貸してくれ。

――いいとも、願ってもない。残りの樽も屋根の下に入れちまおう。

 ピーテルが俄然商人の顔になって、俺のことなど眼中にないといった風に、部下たちを指揮しはじめた。彼はもう、俺のほうを見てただ一言叫んだだけだった。

「頼んだぜ、トールさん!」

「……仕方ない。いったんみんなのところに戻ろう」
 俺は何とも煮え切らない気分を抱えたまま、ヨルグを促して居館に戻った。この血気の多い若者が怒って暴れ出さなかったのがなんとも不思議だった。


 明日に備えてのごく簡素な食事のあと、俺はイレーネを伴って、あのローマ壁画の部屋へ引っ込んだ。
 午後から降り始めた雨は一向に降りやまず、明かりとりの小さな窓の外では、軒から滴る雨だれが階下の壁に張り出した物置の屋根を叩く、ささやくようなぱたぱたという音がひっきりなしに続いていた。

「ふふっ。また、何ともおかしなことを頼まれたものだね」
 ピーテルとの顛末を明かすと、イレーネは意外なことにただおかしそうに笑うだけだった。
「怒らないんだな」
「そりゃ、まあちょっと婚礼にケチをつけられるような感じがしないでもないけど。トールが心配したようなことでなくてよかったよ。大掛かりな陰謀なら、まさにぼく自身がその渦中にいたわけだし」
「正直、ああいうでかい陰謀は、金輪際ごめんだな」
「うん。母の故国でも賄賂や不正は横行してたというけど、うん、まあ君が持ちかけられた程度の話ならかわいいものじゃないかと思うね」

「……そうか」

 皮袋を開けて、ウードを取り出す。
 フリーダにあずかってもらった『コメット』は、先にこの部屋に運び込まれていた。どっちにしても宴席では歌わないわけにもいかない。弦も新調したことだし新しい歌を作ろうか、と思ったのだ。 


  ……苦しみの夏は はや過ぎ去り

  穏やかな夕風と かがり火が

  我らを慰め癒す秋が訪れた


  ここに掲げよう、三つの盃を――


「どうもノらないな――」

 ジャッ、とでたらめに1ストローク。無粋な不協和音はすぐにその残響を手のひらで止められ、虚空にかき消えた。
 ノらない原因ははっきりしている。酒を飲む事を忘れるような歌にするか、大いに酒を進ませるような歌にするか、ここに至って俺はまだ決めかねているのだ。

 ため息とともにウードを脇に置き、イレーネの膝に頭をもたせる。
「小僧ども、どうしてた?」
「うん。アイソポスは不評でね……母上が上演させてた劇のやつをうろ覚えでやったら、ちょっと面白がってもらえたよ」

「ははは、聴衆の耳はどんどん肥えるから恐ろしいなぁ」

 ふと訪れた静寂。どちらからともなく顔を近づけ、唇を重ねようとした、その時。どこかで妙な物音がした。何か木製品が壊れるような、バリバリ、ガタゴトいう音だ。

「聞こえた?」
 イレーネが眉を曇らせて斜め上のほうに視線をさまよわせた。
「うん」
「何だろう?」
 見当もつかない。もうあたりは暗く、城の廊下を歩き回るにも明かりを用意してもらう必要がある。

 俺たちはその夜、なんとなく気がかりな感じを抱えたまま眠りについた。だが、その翌朝、俺は前夜の判断を悔いることになった。

「たっ、大変だぁーーー!!」
 朝早く、裏庭のほうから男の悲鳴が響いた。騒ぎはすぐに城中に広がり、緘口令を敷く暇も無いほどだった。


 ピーテルが持ち込んだワインの樽の一つが上蓋を割られ、その中に男が一人頭から逆さに突っ込んだ状態で、絶命していたのだ。 
※ ベルグは現在のダンケルクよりやや南にある街。この時代には修道院があったことが記録に残っている。
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