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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~ 作者:冴吹稔

冬が来るその前に

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青い女の追憶

 春に建設した水門は、村の男たちに点検と補修という厄介な仕事を増やしていた。外敵に対する防御は固められたが、何事にも相応の負担やデメリットは付きまとうものだ。
 アンスヘイムの入り口を壁でふさいだことで、洗濯や炊事で出た廃水が防壁の内側に滞留して、水質が悪化しやすくなるという問題も発生している。

 そういうわけで俺はその朝、同じく当番に当たったヨルグとアースグリムとの三人で、ボートに乗り込んでフィヨルドに漕ぎ出していた。
 村にあったボートのうち、最も老朽化した一隻の代わりに、夏にフリースラントで買ったフェーリング『ローセブッド(バラのつぼみ)』がこうした作業にも投入されることになっている。

「ちょいと寒いがいい村だなあ、ここは」
 アースグリムが村のほうを振り返りながら、しみじみとそう言った。
「俺もそう思うよ」
 ごく自然に肯定する。ちょうど村の奥ではヴァジの家の鍛冶工房のあたりから黒い煙が上がっていた。炉の内部が還元傾向にあるしるしだ。これから出来上がる製品はなんであれいい出来に違いない。アンスヘイムはいい村だ。これからもっと豊かになるだろう。


 ホルガーも一目置いた歴戦の傭兵は、アンスヘイムに来てからというもの、しごくのんびりと過ごしていた。俺と同じくホルガーの客分として扱われ、昼間はまだ村の外に出たことのない少年たちに剣を教えたり力仕事の手伝いをしたりし、夜にはしばしば、例の大きな長館の炉辺で遠い土地の珍しい話を語る。
 その場に居合わせれば俺は彼の話にウードで和したし、アルノルは自分の見聞に照らして面白おかしく注釈をつけたり、関連のありそうな話を紹介したりした。

 なかでも印象的なのだったのは、彼の二つ名『青い胸』についての物語だった。盾に大青(ウォードで紋章のように描かれたあの胸もあらわな青い女は、彼がかつて実際に見たものだというのだ。

「――まだ傭兵稼業に手を染めるずっと前、ちょうどヨルグと同じくらいの時分だった。俺は親父たちに連れられて、ブリテン島に初めてのヴァイキング行に向かってた。スコットランドでいい土地を手に入れたってやつのうわさを聞いたんで、ブリテンの北側を回ってみようってことになったんだ」彼はそう語った。

 だが不幸にも、彼の乗った船はブリテン島の目前で嵐に見舞われた。ちょうどこの夏にデーン艦隊がたどった運命と似て、アースグリムたちの船も入り組んだ北ブリテンの沿岸を吹き流され、舵やオールを失って彷徨った。
 やがて本島と沖合の大きな島の中間ほどにある岩礁に乗り上げて、身動きが取れなくなって一昼夜たった雨の夜に――
「島なんかないと思ってた方角から、そいつらは船で漕ぎ寄せてきた。俺たちが使うような長い船じゃなく、古めかしい丸くて小さな船だ――舵が両舷に一本づつあったのを覚えている。船の上には肌を塗っているのか刺青か、あるいは本当にそんな色なのかわからないが、とにかく真っ青な肌の男たちがいた。指揮を執っていたのは胸乳むなぢを露わにした若い女で、これも男たちと同じく肌は真っ青だった」
「青い肌ねえ……ピクト人かな? あ、いやなんでもない。続けてくれアースグリム」
「ああ。で、奴らは俺たちを捕えて自分たちの船に乗せ、小さな島へ連れ帰った。抵抗した者は残らず殺されたよ」

 幸運にというべきか、アースグリムはその女頭領に気に入られたらしかった。愛人として遇され、細やかなもてなしを受けたのだという。その一方で、他のデーン人たちは半ば奴隷として使役された。漂流で体力を失った彼らは、そんな生活に長くは耐えられなかった。
「……仲間を解放してくれと何度か女に懇願してみたが、なにせ言葉もろくに通じない相手だ。俺が閨で奴隷女のように飼われている間に、外から聞こえる仲間の声は次第に途絶えていった。親父は死ぬ間際に俺のいる館の壁際まで来て、こう言ったもんだ。『アースグリムよ、お前だけでもなんとかここを逃げ出して、国に帰れ。母さんにリーベの勇士ヘルゲの最期を伝えてくれ』とな」
 アンスヘイムの男たちの間から低いうめきが上がった。戦士にとって、自由を奪われ消息を知るものもいないままに死ぬのは、恐ろしいことなのだ。

 半年ほどたったある日、かねてから抜け目なく機会をうかがっていた彼は見張りの不備が生じたすきをついて逃げ出した。女主人の細々とした金目のものをくすねて浜辺でボートを奪い、冬が明けたばかりの波荒い海へ漕ぎ出したのだ。

「誰も追ってこなかった。そのころには俺はやつらの言葉を少し覚えていたが、切れ切れに聞こえる喚き声から察するに、どうやらその日は『船を出すと長い間島に戻れなくなる』といわれる忌み日らしかった……俺にとってはいっそ好都合だったわけだ。不思議なことに海に出てしばらくすると、来た方角には霧がかかって島がどこにあったかわからなくなった」

 そのあと潮の流れや海鳥の飛ぶ方向を頼りに、どうにかアースグリムは内ヘブリディーズ諸島のいずれかにたどり着いたらしい。ブリテン北西部のそのあたりには、既に100年ほど前からノース人の入植がはじまっていたのだった。アイスランドの発見もそうした活動の延長上にある。

「俺は行く先々でこの話を語ったが、誰にも信じてもらえなかった。そのうち誰からともなく『青い胸』アースグリムと呼ばれだし、それが俺の二つ名になった――おおよそ『ほら吹き』といった意味あいだ。まあ、俺も面白がってそれを受け入れ、盾にあの絵を描くようになったわけさ」
 話し終えるとアースグリムはなんとも形容しがたい、神妙な面持ちでこう言い添えた。
「化け物だとしても、あれは俺にとって最初の女だった。やつらは親父たちの仇でもあるが、俺にとっては命の恩人でもある……妙な話だが、俺はいつか、最後にはあの島に帰ることになるような気がしてるんだ、ずっとな」

 興味深い話だ。ブリテン北部には古来からピクト人と呼ばれる――おそらくはケルト系の――先住民が住んでいた。ローマ時代の記録にも散見される彼らは、大青ウォードなどの染料で体を彩色し、敵対者を威嚇したという。
 やがてアイルランドから渡ってきたスコット人がブリテン北西部に住みつくようになり、その後長い抗争の時代を経て、二つの民族は融合していった。
 アースグリムが出会ったのは、ブリテン本島から地理的に隔離され孤立した、ピクト人の末裔かもしれない。史料の裏付けには乏しいが、そうだとすればいろいろと説明がつく。彼が盾に描いた女の姿が実物と同じく大青で彩色されている事は、青い染料の種類が限られていることを別にしても、なにやら納得させるものがあった。

 だがその一方で――その場では口には出さなかったが――俺はスコットランドに21世紀まで伝わる妖怪伝説を一つ、思い出していた。
 まさにアースグリムたちの船が彷徨った範囲と思われる、スコットランド北西のミンチ海峡には、セイレーンよろしく船乗りに詩歌の勝負を挑み、打ち負かした相手を殺して海に引き込むという、青い肌をした海の亡霊――『ブルーマン』が出没するのだ。

 それにしても戦場往来の古強者の内側にくいこんだ、このロマン的心情の強烈さには、少なからず似たところのある俺も大いに驚かされる。
 近くのフィヨルドで軍港建設にいそしむ、蛇のクラウス率いるノルウェー南部の戦士たちは、休暇をもらうと小船でアンスヘイムまで骨休めに来る。 銀を支払って酒を分けてもらったり、途中で仕留めた鳥や釣った魚などを持ち込んだりして小規模な夜宴を催し、村の若い娘に言い寄ったりもする。

 つい先日も、クラウスの部下の一人が村娘の心を射止めて婿に入り、インゴルフとゴルム翁が立会人となって婚礼が行われたという。大らかなものだ。
 アースグリムは違う。彼は手近な女にちょっかいをかけたり言い寄ったりということをしない。本人に訊いたところ、富豪や貴族の処でもてなしの一環として、そばに侍った奴隷女を楽しむことはあったという事だ。だが、彼は『恋愛』には無関心に見える。

 人によってはこういうだろう。
「あの男は妖怪に魅入られ、呪いを受けているのだ」と。
 だが俺には、彼の心理はなんとなくわかるようにも思えた。いろいろな意味で強烈な体験の中で出会った、初めての女性――それが彼の中では極めて大きなものになっている。
 海を隔て、霧に閉ざされた行き着くあてのない島ともなれば、それは幽明を隔てた相手への思いにも似て、ひたすらにつのるのだろう――愛憎あい半ばであればこそ、なおのこと強く。



 防壁の影が黒く落ちた水面を、ローセブッドが滑っていく。紅葉した何かの木の葉が風に吹かれて落ち、曇り空を映した灰色の中でそこだけが、モノクロ写真を部分彩色したように色鮮やかに輝いて見えた。船の後にはくっきりとした曳き波が残り、落ち葉を巻き込んで弄んだ。

「おっと、漕ぎ方やめ! そこにくいがあるぜ」
 ヨルグが舵柄をぐっと胸元に引きながら叫んだ。舵が利き始めるとローセブッドは徐々に減速し、水中から突き出た杭を避けて緩やかに回り込んでいく。

 急に吹き付けてきた海からの風を受けてボートは一瞬大きく傾き、元のコースに戻そうとするヨルグをひどく手間取らせた。
「危ねえ危ねえ。ひっくり返ったら道具が海に沈んじまうぜ」

「浮かないのか、それ」
 俺はボートの底に横たえられた、長い棒の先端にカンナの刃を付けたような形のしろものを指差した。ヨルグがうなずく。
「樫の心材に近いとこらしくてさ、重いんだよ。船縁から及び腰で突き出しても作業ができるようにな。それに鉄の刃がつけてあるからギリギリのところで浮かずに沈むんだ」
「なるほど」

 鉄は貴重品だ。スカンジナビアでは鉄分を含んだ沼地の泥――条件の良い場所なら泥炭を採取して、それを炉で加熱することで少量ではあるが高純度の鉄を得る方法が広く行われている。泥炭ならそのまま燃料とセットというわけだ。
 アンスヘイムの近隣にはよい沼があって、そこから採れる鉄をヴァジ親子が日々フル回転で加工してはいるが、到底村全体の需要を満たすには追いついていない。
「これ沈めちまったら、俺の斧が召し上げられて、刃を作り直すことになるんじゃないかな……」
 ヨルグは戦々恐々と言った態だった。

 こののみの親玉のような長竿つきの道具は、防壁や水門の潮汐線付近に付着した、貝やフジツボなどの水中生物を削り落とすためのものだ。現代的にいえば大型のスクレイパーといったところか。
 こうした付着物は、それ自体は海水中の有機物やプランクトンなどを吸い込んで摂取するいわば天然の浄化装置のようなものなのだが、中には後世の船乗りたちを悩ませたフナクイムシなど、木製品を蚕食する悪辣なものもある。
 それに、水門の可動部分にこれらの付着物がつくと開閉が困難になることも考えられる。俺たちは今ちょうど、防壁の内側を一通り見回り、水門の扉部分に差し掛かっていた。
「まだ小さいが、びっしりつき始めたな」
「今のうち落としとかねえとな」
 マツ材で作られた防壁の水面付近には、びっしりと黒っぽい小さな貝がついていた。これがさらに増え、大きくなって押し合いへし合いして張り付いているところを考えるとかなり気持ち悪い。たぶんイガイの仲間だろう。もう少し暖かいところのもののような気もするが、案外ウェセックスで鎖蛇号が係留されていた間に、船体に付着してやってきたのかもしれない。

「これは食えるのかな?」
 アースグリムが興味深そうに壁面のそれを一瞥した。
「食えないこともないと思うが、赤ん坊のおむつを洗った水が流れ込むような、それも水門で流れの悪くなったところに育ったやつだ。やめといた方が」
「かーっ、なんとも役に立たん代物だな……じゃあさっさとこそげ落としてしまうか」
「船に積んで陸揚げできれば、焼いて肥料にしたりできるんだろうけどなあ」

 可能な限り壁にボートを寄せ、長竿で丹念に貝を削り落としていく。ガツガツという音とともに手に伝わるざりざりした感触がなんとも言えない。竿は確かに見た目より重く、遠くの壁面までカバーするにはかなりの力を要した。アースグリムは慣れない作業ながら、俺よりよほど器用に竿を操って、防壁をきれいにしていく。

「そういえばあれだな、楽師のトールよ。琥珀採りにはいつ行くんだ? 楽しみにしてるんだが」
「どこから伝わったんだ……ああ、ちょっといろいろ準備が必要だと思うんだが、今週のうちに出られればいいな。――あんたも来るか?」
「行きたいとも! 琥珀を手に入れられれば一儲けできるからな」
 浮世離れしたこの男でも、富への興味までは失っていないようだ。アースグリムはやや彫りの浅い潮焼けした顔に期待の色を浮かべ、目を輝かせた。

「やれやれ、ムスタファはほんの少しでいいと言っていたんだが、この調子だとどうにも大がかりなことになりそうだな」
「そりゃそうだろ。小船で行ける場所じゃなし、鎖蛇号か大山羊号か、どっちにしたって船一隻を出すことになるんだぜ」
 ヨルグがにやにや顔で指摘する。

「確かにそうだな」
 ヨルグから聞いた話だけで考えても、琥珀が産するというバルト海の沿岸までは、ここからへーゼビューまでにおおよそ倍する海路になる。そこまで船を動かすには大人数を賄う食料と水、場合によっては武具も運ばなければならない。となれば、そのコストに見合うだけの収穫をもぎ取ってこざるを得ない。
 アルフレッドの積み上げた財宝の中にも、琥珀はなかった。おそらくあの島国は流通ルートからは大きく外れているのだろう。

 俺の長い沈黙を拒絶の意味にとったのか、アースグリムは自分を連れていくことの有用性を主張し始めたらしかった。
「なあ、あんた琥珀が掘り出されるところを見たことはあるか? ないだろう――俺はある。磨く前の琥珀ときたらまるで泥の塊か埋もれ木のように見えるんだ。素人にゃなかなかそれとは判らないぜ。俺を連れていけば――」

 これは盲点だった! 俺ときたら、なんとなく磨かれた後の黄色いつるつるした裸石ルースを想像してしまっていたのだ。泥の中から掘り出されるものが土塊や埋もれ木と大差ない外見をしていたら、いったいどうやって――
「連れていく! 連れていくとも、アースグリム! どうやら俺はあんたを大いに頼りにすることになりそうだ」
 俺は大声で叫びながら両の手で彼の腕をとった。
 
 ブルーマン=ピクト人説。考えれば考えるほどそれ以外にありえない気もしてくる。地理的に符合するし何より青色=大青ウォードと考えるとしっくりきます。
 だれか唱えてそうな気がしてならないのですが、ネットでの検索では見つからず。どなたか既出のものをご存知でしたらご教示ください。読みたいので。
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