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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~ 作者:冴吹稔

霧の海の120

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Hjálpa! 四人はアイドル

 昨日とは打って変わって晴れ上がった空の下。俺たちは白っぽい土埃を足元に巻き上げながら草地を横断し、修道院へ向かった。
 決して急がず、かといってことさらに慎重なそぶりも見せずに、漫然と旅をしてきたといった具合の歩調を保つ。外套はゆったりした裁断で十分な通気性があるのだが、流石に色が黒いのが災いして、ひどく暑い。

 修道院を囲む土手と、それに付随して建設された防壁から100mほど離れた、開けた場所に出た。修道院の西側に位置するここからは、防壁の上に顔を出した簡素な見張り櫓が見える。ヘーゼビューやイェファーにもあったような、木製のものだ。
 その上にぽつんと佇む男が見える。暑いのだろう、兜をつけず襟元を大きく開け、力の抜けた様子で櫓の胸壁に寄りかかってこちらではない方角を見ていた。

「見回りの一隊にでも遭うのではないかと肝を冷やしましたが、ここまでは首尾よく来られましたか」
 アルフレッドが胸をなでおろす。
「ここからはどうするのですかね、楽師殿」
 オウッタルに水を向けられ、俺は少し考えて答えた。
「名乗りでも上げてみますか。挑戦と取られればとられたで、何か応答してくるでしょうし。まあ念のため王は偽名で」
 偽名で、と言うところでアルフレッドがうなずいた。


 10mほど前進し、俺はウードを片手に、思い切り息を吸い込んで声を張り上げた。
「俺の名はトール!」
 残響をかき消すように、オウッタルが叫ぶ。
「ハラルド!」

「え」
 思わず隣のサーミ帽を見た。
「必要なときは偽名として使用していいと、蓬髪王よりお許しを貰ってまして」
 すっとぼけた様子でオウッタルがそう答えた。本気か。

「ウィリアム!」
「アルフォンス!」
 ウェセックス組が続く。気合を入れて名乗りを上げたものの、見張り櫓に陣取ったデーンの戦士はこちらに全く興味を示していないように見えた。
(くっ……無関心攻撃!?)
 肘の関節が掻き消えたような手ごたえのなさ。だがもう仕方がない。賽だか匙だか分らないが色々と投げられてしまったのだ。

 俺たち4人は、ウィンチェスターからの旅の間ほんの3回ほど合わせただけの曲を、ぶっつけ気味に演奏し始めた。オウッタルにいたっては完璧に飛び入りの態だ。それでも彼はまあ、良くやった。単管のホルンでは出せない音を、朝顔部分に手を突っ込んでフォローするようなことまでやって見せたのだから。

 イェファーの宿で5時間にわたって熱演した、キリスト教アレンジ版『西遊記』。そのエンディングテーマを俺は再び歌った。


 ……1エイリルは 8ディルハム

 計って使えば エコノミカル

 オリーブ油とぶどう酒 大特価

 小麦大麦主要穀物 大暴騰


 オリーブ油とぶどう酒に言及する部分は、聖書の「黙示録」に基づいている。それなりの教養を持つキリスト教徒であれば、これを歌っているのが異教徒でないことに気づくだろう。


 悪魔が笑うこの世の中で 泣いてるばかりじゃ つまらない

 俺の血しぶく一撃で 連日満員この牢獄を打ち砕くぜ

 中にいる人 今しばし! 俺は斉天大聖 ジャン・ド・クー


 挿入されていた台詞は、ウィリアムのパーカッションによる短いソロで置き換えた。マイクもPAもなし、声を張り上げて歌う中では台詞のニュアンスまではとてもフォローしきれない。
 こちらは分りやすく明らかに、救出をほのめかす歌詞だ。つまり、この歌が修道女たちの耳に届きさえすれば、それは「キリスト教徒である何者かが修道院を解放し虜囚を救出するために近くへ来ている」と言うメッセージになる。

(届け。届いてくれ)
 そう願いながら俺は喉も破れんばかりに声を張り上げ、肺腑を振り絞って歌った。


 こりゃまた聖地にイスラム居座れむ

 だけどいつでもどこでも君と一緒にいられれば!

 そこが俺のエルサレム

 いつも素敵なエルサレム――


 聖地を――故郷を侵入者に踏みにじられる悲しみ。キリスト教の聖書解釈は一般に自殺を禁じているとされる。
 だが誇り高い蛮族気質を多分に残しているであろう、サクソンの貴族あるいは富裕層の子女たちにとって、その戒律がどれほどの拘束力を持つのか。それは俺には測りがたいことだ。異教徒の手に落ちたと知った時点で死を選んだものもいたかもしれない。
 だが俺自身が絶望と失意の底から、この時代へ紛れ込むことで癒しと希望を見出したように、人間はごく小さなきっかけ、転機さえあれば、闇の只中にあってもそこに光を点し、苦渋の中から希望を拾い上げ、育てて実らせることができる。……できるはずだ。

(だから……クッソ! 俺たちが何とかするから、それまで短気を起こしてくれるなよ、マジで!)

「イェッルゥウウーサレーーーム!」

 すさまじい巻き舌で最後のシャウトをあげ、そこからはスタジオ録音ならフェードアウトで処理されるような、馬鹿笑いとでたらめなフレーズを乱発しリフレインし続けるエンディング。

 さあどうだ。

 届いたか? あるいはこの珍奇な見世物が、デーンの首領たちに興味を抱かせたか?

 演奏の終わりと共に訪れた静寂。いつの間にか空に浮かんだ大きな雲が陽光をさえぎって、俺たちのいる草地には薄暗く影が落ちていた。見張り櫓の上から先ほどの男の姿が消えうせ、防壁の一角に作られた門が前触れもなくしずしずと開く。


 馬に乗った身なりの良いデーン戦士と、配下の徒歩の男たちが進み出てきて俺たち4人を取り巻いた。ざっと数えて二十人ほど。暴れても勝ち目はなさそうだ。
「何者だ。どうやら楽師、詩人の類らしいが……何をしにきた?」
 馬上の男が塩辛声で呼びかけてくる。右頬に引き攣れた傷跡があり、左右の目の大きさがアンバランスな感じの、中年に差し掛かった男だった。

「俺たちは楽師の4人組、人呼んで――」
「キングス(kings)!」
 焦ったのか打ち合わせと食い違うことを口走ったアルフレッドの後頭部を、オウッタルが横合いから叩いた。周囲のデーン人たちから失笑が漏れる。
「人呼んでクォリティーメン(Quality Men)。旅の道すがら、こちらに滞在中の高貴な方々の事を聞きつけ、音曲を披露して一稼ぎしようと、まかりこしました」
そう答えるオウッタルの声に、馬上の男は奇妙な顔をして耳を傾けた。
「ふん……ノルウェーなまりがあるな。ノースの者か?」
「ええ、父の代まではノルウェーに居りまして」

「おお、そうか! 俺もノースの出でな――ローガランのエイリークだ」
 頬傷の男は左目を細めて俺たちを見おろし、そして名告(なの)った。

 ついて来い、と身振りで示しこちらへ背を向ける。配下の男たちが俺たち4人を取り囲み、追従を促した。
(あいつがエイリーク? シグリの仇がここに!?)
 背筋に電流が走ったように感じられ、血が頭に上って頬がカッと熱くなった。まさかあのモルダウ石の杯が今、ここにあるのだろうか? だが今は成り行きに任せるしかない。


 修道院を含む高台は600m四方ほどの広さで、中央よりやや南によったところに四つ辻があった。そのちょうど南東に、鐘楼を備えた聖堂があり、修道院の居住区と思われる背の低い家屋が並んでいるのが見えた。
 防壁の内側にも畑や家畜の囲いが区切られ、土手を下った水路の脇には水車がうずくまっている。石を積み上げて漆喰で固めた風の大きな煙突は、パン焼きかまどか鍛冶場だろうか。

(これは、一合戦する前に修道女たちを救出するのは無理か?)
 ウェアハムはやはり文字通りの要塞だ。自給自足して一定期間持ちこたえるだけの設備と物資がありそうに見える。何より、男たちの数が想像を超えていた。

(千人近くいるようだな)
 オウッタルが小声でささやいた。
(ええ。元々ここにいたサクソン人の数よりもずいぶん多い)
 アルフレッドがこれも蚊の鳴くような声で応える。

 してみると、物資のうち少なくとも食糧は、近い将来に不足するのかもしれない。道理で近隣へ物見に出るわけだ。あれはおそらく、物資を収奪可能な集落を探しに出ているに違いない。

「グソルム様は気晴らしを求めておいでだ。せいぜい上手くやるがいい」
 エイリークは皮肉な調子でそう言いおくと、俺たちを聖堂の前に残してまたどこかへ去っていってしまった。案内を引き継いだのはまた別の、10人ほどのデーン戦士たちだった。
 聖堂へ近づくにつれて、細い声で聖歌らしきものを歌う複数の女の声が聞こえた。おそらく修道女たちだ。
 重そうな扉の前に陣取った戦士が、俺たちの到来に気づいて青銅の把手とってに手を掛け、奥へと押し開いたそのとき。

 中から罵声が響いた。
「ええい、やめろやめろ! なんと辛気臭い歌だ、何が主だ。今夜お前たちは食事抜きだ」
 油煙の立ち込める聖堂へ踏み入ると、昼間からそこ此処にろうそくが点され、小さな窓から差し込む外光と混ざり合って、全体が黄色く燻っていた。
 祭壇下のきざはしを長館の高座に見立てて毛皮や毛布を敷き詰め、その上にだらしなく足を崩して座り込んでいる、豊かな顎鬚をたくわえた黒髪の男。これがデーンの首領、グソルムなのだろう。
 彼は傍らにベンチを引き寄せてテーブルの代わりにしていた。その上のかごに盛られたパンを一口齧って、二回ほど咀嚼を試みたあとで不機嫌そうに傍らに吐き出した。
「何だこのパンは! 膨らんではいるが、こんなものならうちの婆ぁが焼いたやつのほうがましだ。まるでふるいに残った麦のかけらとふすまをこねて、焚き火で焼いたようだぞ!」

 ふと、聖歌隊(?)の中にいる、すらっとした長身の修道女が目に入った。かぶっている頭巾ウィンプルの色と被り物からはみ出す手入れの悪い金髪の所為で、妙に黄色が印象に残る。
 彼女はグソルムの罵声を受けると軽く肩をそびやかして視線を虚空にさまよわせた。口元に微苦笑が浮かんでいるところを見るに、どうやら件のパンは実際のところいい加減な材料で出来たひどいものであるらしい。
 ついでにいうと、彼女は俺の視線に気づいて、口角をいっぱいに持ち上げた笑顔でウィンクし、胸元でそっと手を振って見せさえしたのだった。
(思ったよりしたたかと言うか、逞しく闊達な女性もいるんだな)
 そんなことを考えたのも束の間、壇上の男から声がかかった。

「西門に現れて妙な歌を披露したと言うのは、お前たちか」
「……いかにも」
「よかろう、折り悪く宴席を張るほどの余裕はないが、エールと粥にスープくらいは振舞うぞ。せいぜい楽しませてくれ」

 食事抜きを宣告されて冴えない顔色をますます青くした、栄養不足の修道女たちが見つめる中では、とてものこと食事など出来るものではない。
 だがともかくも俺たちはエールで喉を潤しながら、二時間ほどの間さまざまな歌や叙事詩を歌い語った。



「ペガサスと名づけられながらも、その鉄で出来た乙女の像は、むしろペガサスよりも母親に当たるメデューサを髣髴とさせる姿をしていた。身の丈はおよそ12フィート。
 ぱっくりと開かれた両足の間にいざなわれるまま騎士が姿を消すと、内側に取り付けられた無数の鉄の棘が、当然のごとく彼の肉体を刺し貫いた。だが、そうして流れ出した血はあたかもペガサスが誕生したその時をなぞるかのように、彼に『黄金の剣を持つもの』クリュサオルの力を与えたのだ」


 ……ギリシャの小さな島を舞台にでっち上げた英雄物語は、ことのほかウケた。村の守備隊長として派遣された東ローマの騎士ゲオルクが、神殿に安置されていた無気味な鉄の乙女像と契りを結び、執拗に押し寄せるサラセンの海軍を孤軍奮闘討ち払うストーリーだ。


「『ペガサス』の声がゲオルクの頭の中に響いた。
 『良く聞くのですゲオルク。あなたがクリュサオルの力を身に帯びて戦えるのは、六回限り。今日の戦いを終えれば残り五回です。
 私の胸に飾られた六個の宝玉全てが青から赤に変わったとき、あなたは全身の傷からどす黒く変わりはてた血を噴き出し、老いさらばえ干からびて死んでしまうのですよ』
『それで構わぬ! コンスタンチノープルへ走らせた伝令の船がつけば、二週間以内には援軍が駆けつける。それまで持ちこたえれば私の勝ちだ』
 サラセン人の操る三角帆の船を、ゲオルクの振るう黄金の剣が次々と真っ二つに切り裂き沈めていく。彼がようやく疲労に膝を突いたとき、砂浜から見えるのはただ破れ漂い燃えていく、無数のダウ船だけだった」

「いかにも、騎士ゲオルクはその身命と引き換えに、島とその住民の平和を守りぬくであろう。されど、彼は知らず――神殿の膨らんだ円柱エンタシスの間から、彼を慕う娘クロエが泣き腫らした目で見つめる姿を」

 伴奏を終え、一礼。

「ええい、なぜそこで終わる! 続きはないのか」
「申し訳ございません、次のエピソードは来月にならないとお届けできないのです!」
「ぬがあああ」
 欲求不満に身をよじるグソルム。面白いものが見られた。ざまあみろ、腹が立ったとて俺を殺すわけにはいくまい。妙な歌とか言わなければよかったのだ。

 俺たちはその夜、修道院内にとどめられた。明朝日の出と共に出て行っていいという。ゲオルクの物語への欲求不満と、その他の戯れ歌の好評が相半ばした所為で、ヴァイキングが良くやり取りするような銀の腕輪などの褒章にはありつけなかったのだが、もとよりそんなもののために潜入したわけではない。
 ただ、困ったことには退席する際に修道女を一人づつ、身の周りの世話をするためにとあてがわれた。正直、個人的にはあてがわれても困る。

 他のメンバーも、アルフレッドはそもそも修道院に入る女子のほとんどは顔を見知っているであろう立場だし、ウィリアムは素朴に神に仕える高貴な女性たちに崇拝を寄せるばかりだ。
 オウッタルはその点一番気楽なはずだが、それぞれにエールの壷とスープの鍋、固いパンを持たされて修道女の私室にばらばらに放り込まれて、その後の消息は不明だ。

 俺につけられたのは例の、背が高くて黄色い陽気な女だった。
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