挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~ 作者:冴吹稔

ブリテンの夏空に、雲は疾く流れ

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

62/102

我らが腕、値三千ポンドなり

一週間続けてきた毎日更新はこれでひとまず終了。しばらくまた週1~2回のペースでしょう。割烹などは随時更新しますので、お暇があればぜひ。
 石灰岩を比較的荒っぽく切り出して築かれた、ウィンチェスター城の慎ましやかな露台の上で、アルフレッドは手元の書面と眼下の埃っぽい緑の丘陵地を何度も見比べた。

 そして、つかつかと広間に戻るとホルガーたちに向かって切り出した。
「あなた方に、提案――お願いしたいことがあります」
疑わしげな眼差しと拒絶の呟きが再び王の周囲を満たした。だが、ホルガーが無言で静止のしぐさを示すと、ひとまず座は静まった。
「船については、先ほど修理と再艤装を命じる使者を出しました。望まれるならそのまま国へ帰られるとよいでしょう。だが私は一刻も早くウェアハムの女子修道院を奪回せねばならない」
 アルフレッドは露台から差し込む光の中で、やや逆光気味のシルエットをこちらに見せながら語りかけた。
「もし協力していただけるなら、この数年我が国土にデーン人が侵入するたびに彼らに支払ってきた、立ち退きの対価――それに相当する額の財物を、デーンではなくあなた方に渡します。いかがです」
一瞬、男たちの理解が追いつかず、奇妙なざわめきが再び膨れ上がる。

「それは、幾らほどになるのだ」
ホルガーがきらりと目を光らせた。
「働きに応じて額は変わるでしょうが、おおよそ一人につき銀100ポンド(註1)までは出せます」アルフレッドがわずかに震える声で答える。

「1ポンドってどのくらいだ?」
小声でそんなささやきが交わされた。
「1マルクより5割ほど重いな」アルノルがにっと笑った。

 1マルクが8エイリル。つまり、ディルハム銀貨換算で6~70枚分。1ディルハムをおおよそ現代の感覚で1万円と捉えるならば、100マルクは600万円以上に相当する。100ポンドならその1.5倍。

 一概にストレートな換算は難しいし無意味だが、おおよそ1000万円近い。それをざっと30人分……3000ポンド(註2)。つまり3億円弱!

「景気のいい話だが、それは我らの首をさぞや危険に晒す働きをせねばならんのだろうな。皆はどうだ? この話に乗ってもよいと思うものは手を上げてくれ」
 ほぼ全ての手がいっせいに上がった。俺も上げた。最後に、ロルフが手を上げた。
 銀100ポンド。それだけあれば俺もアンスヘイムで独立して家産を持てるだろう。古風な言い方だが一身代と言う奴だ。

「どうやら、みな乗り気のようだな。アルフレッド王よ、この件について俺からは要求が一つある」
 一座を満足げに見回したホルガーが立ち上がり、アルフレッドを半ば見下ろす様に相対して人差し指を立てた。
「なんでしょう?」
「戦死したシグルズも人数に数えてもらおう。彼の亡骸は海に投じる羽目になったが、せめて葬儀だけは盛大に営んでやらねばならん。そして、寡婦となったその妻および子女のために、都合二人分。200ポンドだ」




 翌日。城の武器庫から人数分の丈夫な新しい盾を受け取り、馬に乗れるものはそれぞれに馬を牽いて、俺たちは西のかたウェアハムの地を目指して行進を開始した。途中で二筋の河と大小いくつかの森、無数の丘陵を越える。足の丈夫なものが徒歩で5日を要する行程だ。

「もう……何で君までそんな危険なことに手を出すんだ」
 イレーネが馬上から俺をなじる。彼女はようやく、今朝の時点からフォカスに乗馬を許可されていた。俺はエクウスの轡を取って黙々と歩く。
「家は何とかする、ホルガーがそう請合ってくれた。だが君と暮らすには家だけじゃ足りない。畑や家畜が必要だ。家財道具もそろえたい。だから、金が欲しいのさ」
 言いながら自分の思考に改めて驚く。俺はいつからこんなに、物質的な欲望を明確に意識できるようになった。
 それも、今俺の脳裏にある家財道具とは洗濯機でもエアコンでも冷蔵庫でもなく、牛に引かせる鋤や壁際に立てる巨大な織機、燻製した魚を吊るす小屋といった代物なのだ。変な笑いが出る。

「うわあ……具体的過ぎて目が廻るよ。まるでイティルの近所で、羊飼い一家の長男と話してる気分だ。いや、そんな経験はないけれどさ。つまりそうして君は、僕を『妻に迎えたい』とか言い出そうというわけか」
「うむ、その通り」
「……フォカス! 助けてくれ。トールは僕を殺すつもりだよ、心臓が破裂しそうだ」
イレーネが馬上でじたばたしたのでエクウスの足並みが少し乱れる。
「はあ。ごちそうさまです、としか申し上げられませんな」
忠僕はすっとぼけた顔で受け流した。
「そっちだけじゃなくて! 心配もだ!」
 ああもう、可愛いなあ。
「皆がアルフレッドに腕を貸すって言ってるときに、自分だけ降りる訳には行かないじゃないか。それに、金のためとは言ってもそれは結局、この冬を無事に越すためなんだ」

 色濃い緑の葉をつけた木々の間を、微風が吹きぬけていく。葉擦れの音と柔らかな堆積物を踏む人馬の足音だけが、途切れることなく聞こえた。

 既に7月。鎖蛇号の面々にとっての持ち時間は次第に失われつつある。ここから小規模な掠奪を何回か成功させたところで、例年よりも少ない獲物しか手に入るまい。ホルガーは一か八かの賭けに出たのだ。アルノルの言うとおり、その決断ができて皆を率いられるのはホルガーだけだ。
 それにしてもここまでの事態の推移を思うと、どこまでもアルフレッドに翻弄されている気がしなくもない。しょせん王様には敵わないということなのか。

「俺だってできれば戦争なんぞに関わりたくない。人を殺すのも殺されるのも、ご免蒙りたいよ」
 戦争は外交の一形態、他の手段が尽きたときの選択だ。そう言うといかにも冷静で合理的に聞こえるが、その選択の結果駆り出されてすりつぶされるのは、個々に名前と顔を持ち、愛し愛される家族や恋人を持つ人間なのだ。
「出来れば、死者は最小限にしたい」
 ゼロは不可能だ。それは理解している。事実、ここまでの旅でも俺は仲間や自分を守るために数人の命を奪ったのだ。それでも、殺人を当然の習いにしたくはない。
「僕は、時々休ませてくれる場所があれば、軽業を披露しながらの旅の空でも構わないんだけどなあ」
「判っているくせに……そんな生活は長くは続けられないぞ」
「うん。あの歌の通りにね」

 孤独に 疲れて 老いてゆく――

「大丈夫だ、とはいえないのが辛いが、俺は一人じゃない。肩を並べて戦う仲間、俺の前に立ちふさがって守ってくれる仲間がいる」
イレーネもいる。だから。
「今は祈ってくれ、俺と、仲間のために。幸運を」
「分ったよ……分りたくないけれど、分った。祈ろう、君と、彼らのために」


 下生えのまばらな森の中の、か細い踏み分け道を進んだ先。森は不意に途切れ、天然の土手に両岸をはさまれた河が現れた。
「これはテスト川です。越えるべき一つ目だ」流れを見渡して、兵士ウィリアムが俺たちに告げた。

「ここで一息入れましょう! 午餐を摂ろうではありませんか」
 アルフレッドが号令する。城から彼に従って行軍してきた20人ほどの兵士たちが煮炊きの準備を始めた。

 鍋に水が張られ煮られて大麦が粥になるまでの間。手すきになったウィリアムが、薪として集めた中から手ごろな樫の枝を選んで削り始めた。
「何してるんだ?」
「ああ、楽師殿。金物を叩くのに、もっと良い音を出せないかと思いまして」
「おいおい」
一昨日の演奏がよほど気に入ったらしい。どうやらこの男、スティックやマレット(先端にフェルトなどの緩衝材をつけた打楽器用のばち)を作ろうとしているらしい。

「……叩くためのものなら、そんな枝なんかじゃダメだ。切り出されて良く乾燥したオークやヒッコリーを、出来れば柾目の部分で細く割って、削りださなきゃ」
「ほう、ほう! 憶えておかねば」
とりあえず、と俺はその場を離れ、手ごろな大きさに割られた薪を一本、即席のかまどからくすねてきた。
「こいつを削って作ってみよう。まあすぐ折れるだろうが物は試しに」
 鼓笛隊でも作る気だろうか。ローマ時代の軍団には歩調の維持や信号伝達のため、すでにそうしたものが存在したが。
 スティックの形状はチップレスにした。くびれがなく真っ直ぐな変哲もない棒。細かなニュアンスが出しづらいが作成しやすく丈夫で、何より俺の尊敬するドラマーの何人かが使用していたものだ。
 箸を作る要領で削っていく。断面がなかなか円にならないが、なに、世の中には六角断面のドラムスティックなんてゲテモノもあった。細かいことは気にするなだ。

 出来上がった代物でウィリアムが盾をぽこぽこと叩き出す。ちょうどいい、とあの日イレーネと二人で作った歌にウードで伴奏をつける試みを始めたところへ、アルフレッドがバグパイプを抱えてやってきた。
「ウィリアム君、楽しそうですね」
「あ、これは陛下! どうもお見苦しいところを――」
「いやいや、楽にしてて。楽師殿、昨日お願いしたとおり、私にも音楽を指南してください。やはり修道院のデーン人たちに近づくには、吟遊詩人に扮するのがいいと思うのです」
「……そりゃまあ、娯楽の種類は多くないでしょうがね」
「ええ。しかもざっと今思いつく彼らの娯楽のうち、少なくとも一つは犠牲者、もしくは被害者が出るものですから……」
そういえば、血縁の女性が修道院にいると言っていた。
「ご親族と云うのは今、おいくつで?」
「庶出の姉でね、そろそろ30にといったところですか。気丈な人なので何かあっても持ちこたえてくれるとは思いますが、悲惨な状況からは出来るだけ早く解放してあげたい」
「それで乗り込む手段が音楽、と言うのがどうにも物狂いめいて聞こえるな……まあいいです、ちょっとその楽器を見せてください」

 ふむ。俺が知っている現代のものと、本質的な差はない。羊の皮で出来た気嚢に、息を吹き込むためのものと、持続音を発するドローン管が長短二つ。それに音階を奏でる主管で構成されている。3本の発音管の根元には、おそらく葦か金属のリードが取り付けられているのだろう。

 問題はこの主管だ。短い管にやたらと間隔を詰めて指穴が穿たれている。これは到底、ウードと音程を合わせることは出来まい。コメットにフレットがあることが、今初めて後悔された。
 ためしに気嚢を押して、音を出してみた。やはりウードとはずれる。仕方がない、すこしウードのほうをゆるめに調弦して、フレット間の音程差を詰める。少し気持ち悪いが仕方ない。元々ウードのほうも平均律に合っているわけではないのだ。

 若干の躓き感を覚えながら、俺はドローン管の音を基準に、「分かち合う歌(Let's Share our lack and life)」のアレンジ作業を再開した。その過程で、アルフレッドにも試行錯誤でさまざまなフレーズを出してもらう。
 時折、ほんの時折だが水滴を通して差し込む光が7色の虹を生じるように、美しく絡み合うフレーズと和音が生まれ、俺たちはそれを懸命に再現し、繰り返して積み上げた。
 ああ、俺がもっともっと音楽理論に明るく、古楽器の音程についても深い知見を持っていたなら!
 だがないものねだりをしても始まらない。ウィリアムは盾の中央にある金物や、灯油ランプの足をひっぱたいてはリズムの研究に余念がなかった。彼を見習おう。

 そこへヨルグが何か抱えて歩いてきた。
「ほれ」
と声をかけて、ウィリアムの足元に据え付ける。
「ホルガーが、貸してやれとさ」
「ああ、これも持ってきてたのか!」鎖蛇号にあった号令用の太鼓だ。これはありがたい。ウィリアムにもまともな楽器らしい楽器ができた。

 即席のアンサンブルに、太鼓の深みのある低音が加わった。俺の頭の中に、一昨日にはまだなかった、3番目の歌詞が形を取り始める。


 そんな道中を繰り返し、俺たちは数日後、入り組んだ海岸線を持つ湾の奥深くに到達した。現在のドーセット州。ウェアハムの女子修道院を1kmほど南に望む、サンドフォードと呼ばれる集落のそばだ。

 数日もすれば、ポータスの口とサウサンプトンで再集結した、アルフレッドの東アングリア派遣軍が船でやってくる。俺たちの当面の仕事は、それまでの間アルフレッドとウェセックス軍(20人だが)を守り、修道院の様子を探り、可能なら修道女たちを救出することだ。

 最後のひとつはそう簡単に達成できると思えない。だが連日の行軍にも関わらず、男たちは不思議な興奮と熱気に包まれ、闘志を湧き立たせていた。
 
註1:銀100ポンド

 1ポンドは約373グラム。これは現在のポンド、つまり常用ポンドではありません。9世紀、ウェセックス王国時代の秤量ポンドがどれだけの質量かは不明ですが、ここでは常用ポンドより古い単位「トロイポンド」に準拠しました

註2:3000ポンド

 ほぼ100年後、後のノルウェー王、オーラブ・トリュグバッソンがウェセックス王エセルレッドから奪った立退き料(デーンゲルド)が銀1万ポンドと記録されています。30人前後の男たちに支払うには、3000ポンドはかなり破格の金額。
ホルガーが首の危険を意識するのも無理からぬことですが、これで奮い立ってしまうのがヴァイキングの困ったところです。

 長くなってきたので章を移すことにします。とりあえずブリテンの夏空に白い雲はいい感じで流れた気がする。いや白い砂糖だったかもしれませんが。

 わた飴大好きw


 次章との間に、ちょうど要請のあった移動ルート地図とかを載せようと思います。お楽しみに
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ