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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~ 作者:冴吹稔

北方人のお荷物

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崖の下の二人

 太陽の位置からすると時刻はおおよそ午後二時というところ。北国の秋とはいえ結構な強さで照りつけて眩しい。道は次第に上り坂になっていて、勾配の強いところでは足元が滑った。

(ああ、ちくしょう。結局俺は降りかかる状況から逃げてばかりじゃないか)

 自省すれば情けなさばかりがつのる。つくづくゴミクズとしか言いようがない。まともな就職から逃げ、音楽をやっても本来必要な自己研鑽から逃げた。そして今、憧れだったはずのヴァイキング達からも逃げている。

 土地勘のまるで働かない見慣れない風景の中で、三十分もすると俺の足は悲鳴を上げはじめた。立ち止まって周囲を見回し、手ごろな岩を見つけて腰をおろす。いつしか道は丈の短い草に飲み込まれて消え、険しい崖の足元から斜面にそって、起伏のある草原がその先に広がっていた

 遠くには青い海、その手前には間を埋めるように針葉樹の森がある。草原をぐるりと見まわしたが、先ほど出てきた村以外に人が住んでいそうな場所は見当たらない。そのさらに向こうは目のくらむような岩山ばかりだ。
 村から逃げたところで、どこへ行きようもなかった。どうやらここは海路を除けばほぼ孤立した居住地で、外界との連絡はもっぱら船だけが頼りのようなのだ。

「どうしようもないな、こりゃ」
 いったん座り込んでしまうと、それ以上走り回るのがひどくおっくうになった。さっき食った粥ももう、どこに入ったかわからない感じになっている。

(ホントに莫迦だわ、俺。ここがどこかへ通じる陸続きの道のあるところだったとしても、せめて道中の食料くらいは用意しなきゃどこへ逃げられるわけもないじゃないか)

 自嘲の笑いが漏れる。逃げ出すところを誰かに見とがめられなくていっそ幸運だった。がっくりと脱力してしまい、思考はそのままふわふわと地上を離れていく

(……そもそもなんで、こんな突拍子もないことになったんだ?)

 八百年から千年、時間をさかのぼって遠く離れた北欧へ――いまだ完全には信じられない。いっそヴァイキングになりたい、などと願ったのは確かだが、それはたぶん直接の原因ではないはずだ。

 辛うじて説明のつきそうなことといえばあの地震――マグニチュード9とも言われた震災の余震だ。あるいはそのエネルギーが時間軸に作用して、俺とあのカーヴ船をここまですっ飛ばしたのか?
 SF小説などではしばしばタイムスリップの原因として、核爆発や地震といったものが引っ張り出されるのではあるが。

(だがそうすると、あの船が東京に現れたのは一体……)

 地殻の構造上、スカンジナビア半島周辺の盾状地には、巨大地震はそう頻繁に起きないはずだ。何か別のエネルギーが彼らの船に作用したということだろうか? 

(……まあ、考えても無駄だな。ホント無駄))

 結局思考放棄せざるを得ない。そもそもタイムスリップという現象そのものがまだ科学で扱える範疇にない。古今それらしい事例はいくつか報告されているが、検証されたものは皆無。
 俺の体験も恐らくはこのまま歴史の中に埋もれていくか、万に一つ帰れたとしても益体もないホラ話として処理されるはずだ。今現在の俺にとっては紛れもない現実なのだが。

「あーあ……」

 声に出して嘆息する。何もかもがどうでもよくなってきた。岩の上から移動して地面の上へ。仰向けに寝転んで空を見上げると絹糸を束ねたような雲が浮かんでいた。

 見晴らしのいい場所で新鮮な空気を吸い、腹具合もやや軽めながらひとまず落ち着いた。太陽はさんさんと降り注いで、肌寒さをやわらげてくれている。案外今この瞬間だけは、俺は幸せなのかもしれない。ずっとこの草の上でこうしていられるならどんなに良いか。

 だがまどろみに落ちそうなひと時はそう長く続かなかった。どこかから羊の鋭い鳴き声がして、おれは再び周囲に注意を引き戻された。

(ああ、そうか。ここは放牧地なんだな)
 先ほどは意識しなかったが、よく見ると草原の端の方には羊が散らばって草を食んでいた。メリノ種のようなもこもこしたタイプではなく、ちょっと見には山羊のような、ほっそりして大きな角のある品種だ。

 その群れを見ているうちに、なんとなく妙な感じがした。放牧をしている映像をたまに見かけるが、羊の群れというやつはもう少し密集していなかったか? 

 さらに目を凝らすと、それらの羊には集団をまとめ先導するはずの人間も犬も見当たらなかった。
 放牧と放置は違う、俺だってそのくらいのことは知っている。では羊飼いはどこへ行った?

 か細い声が聞こえたのはその時だった。

(hjalpa mer……!)

 若い、というより幼いと言う方がふさわしい女の子の声。このフレーズだけは意味が明確に分かった――英語の『help me!』と酷似している。
 英語は11世紀にノルマン人の征服によってノルド語の影響を強く受けた。同源なのだ。 

(助けを呼んでる……!?)

 粥をよそってくれたフリーダの姿が目に浮かんだ。声は彼女のもののように思えた。何があったのかわからないが、さすがにこれは無視できない

(……einhver hjalpad!)

 次の声はもっと切羽詰まって聞こえた。俺は口元に両手を当て、メガホン代わりにして叫んだ。
「フリーダぁ!」
 岩壁に反響して俺の声が辺りにこだました。

 フリーダ……
 フリーダ……

 ややあってまた少女の声が響いた。

(Ert tetta tu、Thor?)

 まだ位置がわかりにくいがやや西の方角、少し下から聞こえてくる。草が伸びて足元が見えない場所が増えてきたので、速度を落とし慎重に進んだ。
 砂状に風化した石が所々に吹き溜まっていて、足をとられそうになる。腰を落として常に草や潅木の枝に手がかりを確保しながらの、緩慢な歩調がもどかしい。

「hatte!」

 不意に足元から声がした。驚いて見下ろすと足元すぐのところに、草の根に隠れて3メートルほどの低い崖が口を開けている。その下にフリーダがいた。こちらと目が合うと、すがるような必死の表情で何事かまくしたてた。

「フリーダ! そんなところにいたのか!」

 どうやら彼女は俺に「止まれ」と言ってくれたのだ。声をかけてくれなければ落ちるところだった。
 彼女の傍らには足を折ったらしい雌羊が一頭うずくまっていた。羊を助けようと崖を下り、そのまま上がれなくなったのにちがいない。 

 フリーダは羊を下から押し上げて助けるつもりなのか、必死に立たせようとしている。だが羊はベエべエとだみ声で無くばかりで、根が生えたように座り込んだまま動こうとしなかった。 
 どうするか――俺は迷った。普通に考えれば、ここはいったん離れて村に救援を頼みに行くところだろう。勢い込んでこちらまで崖下に降りてしまっては、結局ミイラ取りがミイラになる。崖は垂直ではなく微妙に斜面になっているが、昇るための手がかりになりそうなものはほとんど見当たらなかった。

 俺には言葉のハンデがある。フリーダの窮地を、村に戻って誰かに説明できるだろうか?

(無理だ……現に彼女が今喋ってることも、ほとんど理解できない)
 なんとかここで彼女を助け上げるしかなさそうだ。ジーンズのベルトを腰から抜き取りロープ代わりに垂らしてみた。

 意図を理解してフリーダがベルトを掴んだ。長さが限られるのでこちらは体をかがめ、足元まで手を持って行った状態。痩せているとはいっても彼女の体重はおそらく40㎏近い――足裏が粒の大きな砂の上で、ずる、と滑った。

(やべぇ!)

 不安定な態勢だ。崖上には風化した岩と細くやわらかな牧草くらいしか掴むものがなく、二人分の体重を支えるにはどうも足場が悪い。どっちつかずの危なっかしい姿勢で、背筋を伝う冷や汗を意識した、その時だった。

 アォオオオン……

 獣の遠吠えが聞こえた。近所の犬が朝夕にこんな声で鳴くのを耳にしたことがある。鳴き声はひとつまたひとつと重なり合って響き、繰り返された。近くに群れを成す獣がいるのだ。フリーダが恐怖に息を呑むのがわかった。

 彼女がいる崖下の小さな空き地は、見通しの悪い針葉樹林に囲まれている。さっき放牧地から見た通り、この先は海へ続いているはずだ。遠吠えはその森林から聞こえてくるようだった。

(こりゃあ、狼がいるんだぞ)

 冗談じゃない。そう思った。さっさと逃げ出すに限る。だが手の中のベルトがぐっと引かれ、俺はその反対側を掴む少女を見てしまった。

「……ああ、くっそぅ!! こんちくしょう!!」

 罵声が喉からほとばしる。俺が取るべき行動はたった今、いやおうなしに決定されてしまった。
 この状態で崖の上へフリーダを助け上げるのはどうやら無理だ。下手をすれば俺自身が足場を失ってさかさまに転げ落ちる。首でも折ればお陀仏。

 狼がこちらへやってくれば、最悪、ベルトで片腕をつられたまま引き裂かれるフリーダを見守ることになる。彼女を待たせて俺が村へ戻っても、戻って来た時には悲惨な結末になっている可能性が高い。
 ここでの最善手はつまり、俺自身が下へ降りて彼女を守ることだ。その手段は少なくとも一つ、俺の手の中にある。今度ばかりは逃げるわけにはいかない。

(感謝するぜ、照井。お前のライターがこんなところで役に立つとは!)
 野生動物を退け身を守る有効な手段の一つ――それは火だ。

「すまん、フリーダ!」
 ベルトを握った手を離し、留め金がからからと音を立てて岩の上を転げ落ちるに任せる。フリーダは驚きに目を見開いて、落下物を避け後ろへ退った。

「Hvad finnst ter? Hvort sem tu ert heimskur!」

 彼女が当惑と怒りでなにか叫んでいる。だが俺はそのまま崖の縁に手をかけ、梯子を下りる要領で後ろ向きにその急斜面を這いおりた。

(ごめんな、なんて言ってるのかホント、分からないんだよ)

 崖下の地面は砂の多く混ざった、水はけのよさそうな軟弱な場所だった。

 羊は動こうとしない。俺はそいつに掴みかかり、羊毛の脂で手が汚れるのを無視して担ぎ上げた。降りた場所から十メートルほど離れたところに大きな岩があり、出っ張った部分がささやかなひさしを作り出している。俺はそこへ羊を運んだ。唇をわななかせ青ざめた表情でフリーダがついてくる。

 枯草に枯れ枝、燃えそうなものを手当たり次第にかき集めた。フリーダも俺の意図を察して手伝いに加わった。
 狼は遠吠えを繰り返しながら、次第に集まってきている様子だ。気が付けば風はごくわずかに森の方へ向かって吹いている。羊の匂いを嗅ぎつけたのかもしれない。
 俺は拾い集めた中で一番大きな枝を土台に細い枝を積み上げ、乾燥した柔らかなコケをほぐして隙間に詰め込んだ。いい火口になりそうだ。

 乾いているように見えてもその辺に落ちている枯れ木や草は、そう簡単に火がつくものではない。そのことは小学生のときに体験したキャンプで、苦い体験とともに頭に刻み込んでいた。

 駄目押しにコートのポケットをあさり、いつの物かわからないコンビニ袋を探し当てた。アパートのすぐそばにあった店のものだ。アイスクリームか何かを買った際に丸めてねじ込んだ――おぼろげにそんな記憶がある。たぶん正月のちょっとあと、まだデビューの話がトントン拍子に進んでいた頃だろう。

 これもいい具合に燃えるだろう。それに、石油化学製品が発する異臭は狼の嗅覚にそこそこの衝撃を与えるに違いない――いよいよ狼が姿を現したらこいつを火に投じよう。
 ライターを使って可燃物の山に火をつける。火打石もなしに瞬時に起こした火を見て、フリーダが短く驚きの声を上げた。

(お嬢さん、こいつは魔法なんかじゃあないぞ。一千年の未来から時の流れを超えて持ってきた百円ライター、文明の利器さ!)

 くだらないフレーズを脳内で繰り広げると、少しは度胸が据わる気がした。森の方角をうかがいながら、追加の焚き付けと投げられそうな石と土塊もかき集めた。

 日は次第に西へ傾き、風が冷たくなってくる。この焚火が消え投げるものもなくなるその前に、フリーダの不在に気づいたヴァイキングたちが来てくれれば。
 ひたすら願ったが、未だ崖の上に誰か現れる気配はない。狼の吼える声が次第に近づいてくる。この崖下へ向かって包囲の輪を狭めているようだ。

 やがて空が金色からばら色へと移り変わり、ついに日が落ちた。フリーダが不意に俺の袖を引っ張り、前方を指差す。暗く沈みこんだ森の木立ちの中に何対もの燃える眼があった。

(あっちが先に来やがったか……)

 森から姿を現し、じわじわと包囲の輪を狭め始めた獣の集団を前にして、正直体が震えた。出来ることなら後をも見ずに逃げ出したかった。だが無理だ。崖の上あるいは村へ戻るルートがわからない。そして、フリーダを見捨てれば、どのみちこの村では生きていけまい。

 俺は焚き火から引っ張り出した長めの燃えさしを左手に掴み、足元にまばらに転がる小石を拾い上げた。狼たちは火を警戒してこちらを包囲したまま用心深く振る舞っていたが、ついに数頭が森の暗がりから抜け出して空き地に姿を現した。
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