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アンチェルの復讐者  作者: 梅玉 サキ
第一章 出会い
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四話 赤い魔法陣と右腕

「クソッ、俺の魔術を防ぐだなんて! お前本当に一般人かよッ!」


 苦虫を噛み潰したような声でアスファルトの壁の向こうから叫ばれる言葉を無視しながら、俺は先程爆音に掻き消された男の言葉を思い出していた。確か、魔術を使ったら鍵がどうとかこうとか言っていた気がする。無論、鍵とは俺の持つ二十本以上もある鍵の内のどれかだろうが、生憎と俺にはそれがどの鍵かわからない。男の焦りようからして割と重要なことな気がしてならないのだが……

 考えを巡らせながら輪に括りつけられた鍵達を見る。すると一本の鍵がほのかに黄色い光を発していた。男の言っていた反応とはこのことだろうか。となれば恐らく、これが少女を束縛している枷の鍵なのだろう。先程からの男達の焦った様子からして、この少女は男達にとっては人材としてそれ相応の価値――彼女を車内に幽閉している時点でわかるが――があるように見える。ならば彼女に取り付けられた枷鎖に、簡単に逃げ出さないような仕掛けが施されていてもおかしくはない。今男が慌てながら必死になって魔術を使用した男を止めようとしたのは、男が魔術を使うことで俺に仕掛けのカラクリを勘付かれるのを恐れたためだろう。

 ということは、今俺の手の中で黄色く発光しているこの鍵は男の魔術に反応したということだろうか。いや、魔術という点だけなら恐らく俺の魔術にも反応しているはずだ。

 だが発光しているのは先程試したはずの鍵だった。勿論この鍵は枷を外してはくれなかったので、てっきり偽物(ダミー)だと思っていたのだが……どうやら違うらしい。


 黄色く光る鍵を手に取り、目を凝らす。


「もしかしてこれ……魔術が掛けられてるのか?」


 注意深く気にかけていなかったので見過ごしていたが、改めて意識を集中させてみれば、なるほど、確かに鍵には微細な魔術の痕跡があった。よくよく考えてみれば、鎖にも魔術が掛けられているのだから、枷や鍵にも細工が施されていたとしてもおかしくない。先程枷を外せなかったのは、恐らく何らかの魔術が作用して鍵の動きを阻害していたからだろう。


 なら、と俺は鍵を強く握った。


 生憎、痕跡が小さ過ぎて束縛系ということ以外にどれ程の規模でどんな効果を発揮する魔術かまではわからなかったが、それでもこちらに対抗策はある。成功するかどうか不安なところだが、それでもやってみないことには始まらない。ジュノは体内の魔力を一か所に集結させ、一気に放出させるタイミングをじっと待った。


「チッ、バレたな……お前ら全力でかかれ! 何が何でもソイツを止めろ!」


 アスファルトの壁の向こうから男の切羽詰まった命令が聞こえたと思えば、次の瞬間にはアスファルトの壁は何かの攻撃によって打ち砕かれていた。ジュノは魔力を精製しながら≪代行の土地(エージェント)≫を手動から自動に瞬時に切り替え、男達の攻撃に備える。自動に設定されたジュノの魔術は主を護るという使命を遂行しようと、最大限の集中力を持って魔力を集結させているために動けないジュノに迫って来る水弾や光線をその身を持って防ぐ。ドーム状にジュノを囲み、防御態勢を整える。


 周囲をすっぽりとアスファルトの壁に覆われた俺は、外で繰り広げられているであろう攻防の音を耳にしながら、暗闇の中魔力を一か所に集めた。鍛錬を終えた俺の魔力は鋭く澄まされており、その量の多さのため体から微かに溢れだしている。これ程までに研ぎ澄まされた魔力を精製するのはいつぶりだろう、と俺は過去を振り返ろうとしたが、今は関係ないことだとその思考を断ち切った。

 目の前には暗闇に溢れ出た俺の魔力で照らされている、枷の嵌められた両腕を差し出す少女がいる。周囲の変化に若干の戸惑いを見せながらも、枷が外されることを待ち侘びているような瞳は先程からずっと変わらず俺を見つめていた。


「ちょっと待ってな。今外してやるから」


 外で繰り返される爆音を聞いてか、少し不安そうな顔付きをした彼女にほほ笑みながら告げ、気持ちを真剣なものに切り替える。深呼吸を繰り返し統一されたジュノの精神は少女を助けることだけに集中する。目を瞑り、周囲の雑音が聴こえなくなる程までに無心になったジュノは、手に握っていた鍵を彼女の枷に突きさした。


 直後、ジュノを”何か”が襲った。


「――ッぐ、がああァ!? うぅッ……!!」


 恐らく枷を外そうとした者が返り討ちに遭うように誰かが細工をしておいたのだろう。正体不明の”何か”がジュノの中で暴れ狂う。


 頭が割れるような痛み。ガンガンとかズキズキとか、そんなものじゃない。まるで脳をグチャグチャに掻き混ぜられているような、今まで体験したことのない痛みだ。頭のみならず、体中が身を焼かれるような痛みに晒される。痛みは一種にとどまらず、時間が経つにつれ何種類にも変化していく。焼かれるような痛みから、体中に穴を開けられるような痛み、爪先から体を刻まれて行くような痛み、心臓を鷲掴みにされたような痛み、何度も硬質の壁に体を叩き付けられるような痛み……次々と変化していく痛みの数々に俺は堪らずアスファルトに膝を付いた。


 突如悲鳴を上げて崩れ落ちたジュノに少女が不安を濃く表情に表した。それを見てジュノは笑う。


「はは……安、心しろ……俺は、大丈夫だ……」


 痛みの中少女を安心させようとジュノが作った笑みは、彼女の表情を崩すのには十分な威力を持っていたが、最早自分のことで手一杯なジュノはそこまで気が回らない。


 意識を失わないよう必死に痛みに耐えながら、俺は手の中にある鍵を未だ回していないことに気付いた。さしただけでこれ程の痛みだというのに、回せばどんなモノが襲ってくるのだろうか……自然と巡らせてしまった不毛な考えに俺は思わず息を呑んだが、すぐに思考を切り替え汗だくの手で鍵を握り締める。

 本能が回しては駄目だと警告を鳴らし、それに反応して背筋に悪寒が走ったが、俺は無視した。


 俺はこの少女の枷を外すと自分で決めたんだ。

 なら、何が何でもやり遂げてやる!


「おおおォらああああァッ!!」


 怪しい赤い光を放つ鍵穴に入れた鍵を俺は回した。



 カチッ



 重苦しい枷とは対照的な軽い音が鍵穴から鳴り、少女を束縛していた枷の全てが手枷に連動して地面に落ちた。

 自由になった少女は、しかし自由を手に入れたことに歓喜することはなく、ただ目の前の光景を唖然と見つめていた。


「あああああああアああああぁぁァァァァあああアアアアアッッ!!!」


 枷が落ちたのとほぼ同時に痛々しい叫びがジュノから上がったからだ。


「があアッ!! げほッぐ、あああァああああアアアアッ!!」


 ジュノは枷が外れると共に攻撃されないようにと鍵から手を離したのだが、枷鎖と鍵に施されていた細工はそれ程度で振り切れる程簡単には作られておらず、彼はゴロゴロと暗闇の中地面を転がった。


「アあアアアぁアアア!? うああァあああアッ!! ぐああァッ」


 先程の痛み以上のモノがジュノの体の中で暴れ狂う。自我を保つだけで精一杯な強烈な痛みにジュノは壊れるくらいの力で頭を抱えた。


 不意に悶える俺の目の前で、右手の甲に何かの魔法陣が勝手にジワジワと刻まれて(・・・・)行く。まるでそこに透明人間がいて、ソイツがナイフを持って刻んでいるような不可解な現象だった。皮膚を剥がされるような苦痛に一瞬意識が飛びそうになったが、舌を噛み痛みを加えることで何とか回避する。

 刻まれる痛みが無くなり右手の甲を見てみれば、そこでは今刻まれたばかりの魔法陣が不気味な赤い光を発していた。一瞬だけ周囲の闇を払うほどに眩い光を放った魔法陣は、それを最後にパタリと光を失くし、手の中にその姿を消していった。

 魔法陣が手に吸い込まれた直後、俺を苦しめていた”何か”が唐突に消滅した。冷えた体が温められていくような感覚に安心感を覚えながら、汗でびっしょりと濡れた上半身を起こす。


「ひッぐが、げほッげほッ」


 ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返しながら、俺は胸の奥でだんだんと治まっていく鼓動を感じた。自分を落ち着かせようと一通り深呼吸を重ねていると、周囲の状況確認をするなど少しずつ心に余裕ができてきた。

 ふと人の気配に振り返ってみれば、そこには車の後方に取り付けられた開けっ放しの扉の前で、俺を見て小刻みに震えながら口を押さえている少女がいた。口をもごもごと動かしているが、声にはなっていない。暗闇の中で表情までは読み取れないが、それだけわかれば表情が大体どんなものかは予想がついた。


「大丈夫。俺はもう平気だ。安心しろ……それより、厄介なのはアイツらだ」


 震える少女に言葉をかけながら、外から聴こえてくる爆音に俺は顔を顰めた。右手に刻まれた魔法陣の存在が気になるところだが、戦場では一瞬が命取りだ。今は≪代行の土地(エージェント)≫で俺達は完全に外から隔離されており攻撃が当たる事はないのだが、そろそろアスファルトにも限界がきそうだということは微かに光りを取り込んでいるアスファルトに入った(ひび)から簡単に把握できる。早く自動から手動へ切り替え、(アイツら)を迎え撃つのが無難だろう。そうなれば、余計な思考に時間を割いている余裕など皆無だ。だから今は魔法陣のことは忘れ、敵のことだけを考えなければならない。


「……お前、絶対そこから出るんじゃねぇぞ。いいな」

「…………」


 まるで脅すような声のジュノにただならぬものを感じたのか、少女はこくこくと首を縦に振るとすぐに車内に消えて行った。それを確認したジュノは、今も敵の攻撃を、当たる度に重苦しい音を立てながら防いでいるアスファルトを眺めた。最早ジュノのいる空間は完全な闇ではなく、アスファルトに開いた穴から所々に光が入り込んでいた。アスファルトの壁が崩れ落ちる音が聴こえる。限界だ。そう覚ったジュノは、アスファルトの壁が消えたときのことを想像し背にやや冷たいものを感じながら、それでも覚悟を決めて作業に取り掛かった。


「……≪代行の土地(エージェント)≫の自動運転解除。手動運転に移行」


 言い終わった直後アスファルトの壁が崩壊音を響かせながら崩れ落ち、地面に散らばった。今まで暗闇の中にいたジュノは突然湧いた光に一瞬頭がくらっとするが、慌てて踏ん張り、隙を作らないようすぐに攻撃に移った。


 剣を腰から引き抜き、斬りかかってきた男の武器を撥ねる。腕などを斬って戦闘不能な状態にさせた方が俺としては手っ取り早いのだが、少女がいる手前、あまり惨いことはできなかった。

 手持ち無沙汰になった男は舌打ちしながら戦線から離脱し、彼と入れ替わるように二振りの剣を持った男が迫って来た。左右から来る攻撃を剣で防ぎながら、相手の隙を窺う。


「≪水弾射撃ウォーターショット≫!!」


 背後からそんな声が聴こえた。何かが風を切ってこちらに向かってくる気配が時を刻むごとに濃くなる。


「主の死は土地の死! 我をその身を持って危機から救え!」


 鍔迫(つばぜ)り合いで身動きの取れない状況に苦い気持ちになりながら、背後からの攻撃に備えて≪代行の土地(エージェント)≫に命令を与える。すぐに水の弾ける音が聴こえ、俺は死角からの攻撃を防げたことに多少の安堵を覚えた。

 相手の剣を弾く。その勢いを利用して後退した男のすぐ横を光線(ビーム)が通り抜ける。こちらに休む間を与えない戦法にげんなりしながら、高速でやってきた光線(ビーム)を剣で迎え撃つ。キイィィィンと甲高い音が耳を打つ。


「おぅ――っらよッ!」


 光線ビームの向きを変え()ぎ払い、次の攻撃に備え剣を真正面に構えたところで、不意に視界がぐらりと揺らいだ。


「なん……」


 急速に体の感覚が失われて行く。頭が考えることもできないくらいにぼぅっとし、五感全てがボヤけていく。


「なん、だよ……これ」


 訳がわからぬまま、ジュノは地面に倒れた。地面に叩きつけられた剣から鋭く寂しい音が響いたが、ジュノの耳にはくぐもって聴こえただけだった。胸が不快感を示す。頭がガンガンとし、激しい吐気を覚える。


「ディックさん、コイツ……ますか?」

「そうだな。取り敢えず……しといて、アイツと一緒に車ん中にでも……とけ」

「りょうか……です」


 男達の会話が朦朧とする意識の中途切れ途切れに耳に入って来る。立ち上がらないと、そう思い体に力を入れるが、身体は全く反応を示さない。動かない体に代わりに内心で首を傾げた。全くと言っていい程、この状況の要因に心当たりがなかったからだ。


(そういえば、この感覚って朝起きた時と似てるような……)


 そんな気がするが、だからと言ってこの吐気と朦朧とする意識の対処法がわかるはずもなく。



 ジュノの意識はそこでブツリと切れた。



















 切れた――ように思われた。



 ビクン! と男達が青年を運ぼうと近づいたとき、突如彼の体が大きく震えた。てっきり意識を失ったと思っていた男達は不意打ちのような彼の動きに一瞬戸惑ったが、すぐに戦闘態勢に気持ちを切り替え、各々武器を構える。

 青年が起き上がる。しかし普通の起き上がり方ではなかった。それはまるで右腕に引っ張られるような、不自然な起き方だった。

 しかし起きたというのに右腕を前に突き出したまま、青年は動こうとしない。彼に男達を攻撃する手段などいくらでもあるだろうに、それをしようとはしない。


(何故だ……何故攻撃しない!)


 寧ろ攻撃してこないことがディックには怖かった。あの青年はこの場にいる唯一の魔術師であるラットの魔術を使った攻撃を怖じ気づくことなく簡単に防いでみせたのだ。ラットの魔術師としての力量は、魔術師でないにしろずっと側で見てきたディックはよく知っている。だからこそ、そのラットの攻撃を楽々と防いだ彼には度肝を抜かれた。その上魔術師の攻撃を凌ぐだけの技量を持っていながら、ただの(・・・)人間だと言うのだ。不可解極まりなかった。

 それに不可解なのは彼だけではない。仲間には多くの魔術師がいて、魔術師でないディックだが魔術を目にする機会は多くあった。しかし今までディックが見てきたどの魔術の術式にも、カードを使った術式は(・・・・・・・・・・)一切なかった(・・・・・・)。都市ギンガタムからここまで旅してきたディックだが、カードを使った術式など聞いたことさえない。


 ディックから見れば、正体不明力量不明な目の前の青年の存在は脅威だけでしかなかった。


 だから、自分達の知らない攻撃手段を知っている彼がこちらに仕掛けてこないのはどう考えてもおかしいのだ。数ではこちらが勝っているにしろ、力量で比べれば、恐らく自分達全員の力を足してやっと青年に届くかどうかというところだろうし、彼が一人一人を潰していく戦法を取ればそれこそ皆抗う暇もなく瞬殺されるのは、先程全員で交代しながら彼を攻撃するので精一杯だったことを考慮すれば目に見えている。

 先程からの青年の動きから、彼が自分達とは比べ物にならないくらいの場所にいることは明白だった。


 だから怖い。

 なぜ青年からしてみれば雑魚(ゴミ)でしかない自分達を彼は攻撃しないのか?

 先程から発動させているカードを使った不可解な術式の魔術以上の、もっと非常識なモノを出そうとしているのだろうか? その準備の為に動かないのだろうか?



 何でもいいから、早く動いてくれ。



 武器を構え続けながらディックは目の前の敵に願った。恐らく、自分以外にもそう願った者は多数いるだろう。それにこのままでは、戦う前に沈黙で精神が潰れてしまいそうだ。


 場を包む静寂。全員が青年の動きを見逃さないようにと、彼を睨みつけるような目でじっと見つめている。


 ふとディックは彼を眺めて気付いた。突き出された右腕の手の甲に赤い魔法陣が刻まれていたのだ。それもわずかだが怪しい光を発している。確かに先程まではなかったものだ。いつのまに? と首を傾げる。

 赤は反発の意だ。魔術に込められた術者の魔力と、魔術を掛けられた者の魔力が反発して赤い光が起こる。そうなれば青年は魔術を掛けられたということになるが、あの魔法陣はラットが使っているものではない、全く別物の陣だ。魔術師ではないディックにはその魔法陣が何を意味し、掛けられた者にどんな効果を与えるかまでは勿論わからないが、ずっとラットの魔術を見てきただけにラットの魔術(もの)ではないことには確固たる自信があった。

 ラットの魔術ではないとしたら、ここに魔術師はいない訳だからこのメンバーの誰かが彼に魔術を掛けたということはない。では誰が……そう思ったところでふと思い出した。そういえばさっき、アスファルトの壁に青年が包まれていた時、爆音に紛れて中から悲鳴が聴こえてきたような気がしたが……


(ああそうか。枷鎖に掛けられていたアルベルト様の魔術をくらったんだな……)


 少女を束縛している枷鎖には強力な呪詛(じゅそ)魔術が掛けられていた。国内最強と謳われたアルベルトが直々掛けた魔術だ。どんな効果があるかまでは自分達(下っ端)には知らされていないが、あの(・・)アルベルトが掛けたのだ、並大抵の魔術師に解除できるような軟なものではないだろう。それに、呪詛と言えどアルベルトの魔術だ。恐らく掛けられれば国家試験を終えたばかりの魔術師や生半可な魔術師は最悪廃人になる可能性も捨て切れない。一般人なら死だ。


 それほどまでにヤバいものを青年は受けたのだ。

 これならいけるかもしれない。

 ディックは恐怖の間に微かな希望を抱いた。


「全員――」


 かかれ!!

 そう言おうとして口を閉ざした。


 青年に動きがあったからだ。


「…………」


 相変わらず右腕を突き出した青年が唐突に一歩前に踏み出した。起きたときのようにまるで右腕に引っ張られるようにして、ゆっくりだが確実にその不可解な格好のまま歩を進めて行く。俯いていて表情は窺えない。だが、先程とは明らかに雰囲気がガラリと変わっていた。


「な、なんなんだよテメェはッ!」


 迫る青年に部下の一人が恐怖に染まった声を上げた。怖さ(ゆえ)に起こる体の震えが手に持っている二振りの剣に伝播し、カチカチと情けない音を鳴らせている。


 声にふと青年が足を止め、彼に向かって新たに一歩踏み出した。


「く、来るな! 来るなああぁッ! クソ……ッ!」


 青年が一歩近づき、男が怯えたように一歩下がった。じりじりと間を詰める青年に彼は更に震えを大きくしたが、今度は下がるのではなく一歩前に出た。二本の剣を構える。


「レオン!」

「来るなあああああああああああああ!!」


 彼の同僚が制止の声を上げたが、彼は聞き入れようとはせず、不気味な格好で構える青年に剣を突き刺すべく青年の下へ猛進した。青年の首を狙って放たれた二本の斬線は綺麗な弧を描き、敵の首を仕留めんと凄まじい速さで突撃した。

 俯いている青年にはどこから攻撃が来るかわからないはずだ。そして常人ならば確実に避けられない速度を持つ剣は、本来ならば青年の首を仕留めるはずだった(・・・・・)だが(・・)


「ひッ――!?」


 男はみっともない悲鳴を上げ、その場に凍り付いた。彼の持つ剣は止まっていた。その鋭く研ぎ澄まされた刃を青年の――素手・・に掴まれて。


「ど、どうし――ぐ、ばごッ!?」


 目の前の疑問を声に出そうとした彼の口から出てきたのは、声ではなく血だった。ボキボキと背筋が凍るような気味悪い音が彼から発せられる。


「れ、レオン!!」


 ディックは思わず声を上げたが、呼び掛けただけでは状況は何も変わらないことを目の前の光景が語っていた。


 レオンの腹には青年の右拳がしっかりと喰い込んでいた。


 骨の砕ける音が鳴った後、まるで車に撥ねられたような勢いでレオンは後方へと吹っ飛んだ。石造りの壁に身を打ち付けられ、ずるずると力無く地面に尻をつく。

 それを見たラットはわなわなと身を震わせ、カッと見開いた瞳で青年を睨みつけた。


「くッ……クッソおおおおおおぉぉ!!」

「駄目だラット!! やめろォ!!」


 リーダーであるディックの声を無視し、ラットは魔杖をアスファルトに突き立てた。魔杖を中心に黒一色だった地面に紫色の文字が描かれ、やがてそれは魔法陣となった。


「水の精よ我に答えよ! ≪水流喞筒ハイドロポンプ≫!!」

「ラット!!」


 魔杖から光が溢れ、太い水柱が激しい勢いで発射される。何もかもを呑み込むような気迫でアスファルトの上を圧倒的な速度で独走する。白銀狼シルバーウルフにも匹敵する程のスピードを誇るそれは、青年を喰い殺そうと彼に向かって疾走する。


「行けェェッ!!」


 主人の声に応えるように水柱はゴウゴウとまるで猛獣のような音を上げ、中で渦巻いていた水流の速度は更に速まった。全てを呑み込むように水柱は驀進する。そして武器さえも何も持たない、無防備な青年へと突っ込んでいく。


「…………」


 しかしそれでもやはり青年は(おのの)きもせず、迫る水柱を見た彼は地面に投げられてあった剣をおもむろに右手に取り、水柱に向かって軽く振り下げた。

 青年の持つ剣から青い斬撃が水柱を目掛けて飛んだ。大人の身長程はありそうな巨大な斬撃は太い水柱をいとも簡単に打ち裂き、その先にいる術者へと躍進した。自分の魔術が目の前で簡単に飛散させられていく様に男はみるみる内に青くなっていった。


「ひ、ァッ!? 待っ――」


 蒼白の顔で命乞いをしようとした彼は迫ってきた青い悪魔に身を抉られ、アスファルトの上を何度も体を打ち付けながら転がった。やがて勢いを失くした頃には彼の体はボロボロになっていた。


「ラットぉッ!! チッ……バカなことしやがって……!! クソ野郎ッ!!」


 部下が次々に気絶していく姿を目の当たりにしながら、ディックは毒づいた。駄目だ、コイツには勝てない。急いでこの事実を上に報告せねば……すぐに思考を切り替え、青年のいる方向とは真逆の方へと走り出す。

 走り出した直後、背後で部下の悲鳴が上がった。声からして恐らくラグナだろう。生きていることを願いながら、それでも助けようとはせず、ディックは決して足を止めはしない。ディックにはこの隊の責任者としてやらねばならないことがあるのだ。そのためにはたとえ部下だろうと見捨てなければならない。


 そうだ、早くこの事実を報告しないと。

 姫を束縛していた魔術が正体不明の男によって解かれたと。



 しかし彼の思いが成就(じょうじゅ)することはなく、凄まじい痛みを背に感じた後、敢え無く彼は意識を失った。

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