三話 沈黙の少女
昨夜のことだった。
既に陽は沈み、辺りは暗闇に包まれていた。恐らく観光で気分良く酒を飲み進めたために泥酔している輩が、ほとんど人気のなくなった温泉街にちらほらと見られる。彼らから発せられる酒のにおいが微かに空気に混じっていた。
「う~ひっく、ひっく」
それら酔っ払いの中では飛び抜けて若いと見える青年は、ふらふらと頼りない足取りで温泉街を進んでいた。とっくに正気を失っている彼はただ気の向くままに道を進んでいく。空になった牛乳瓶をしっかりと手に握りながら路地の角を曲がると、彼の目には意外な光景が飛び込んできた。
「あ~? ありゃ昼間の車じゃねーか。どうしてんなとこにあんだー?」
赤く染まったアホっぽい顔でなんでー? と青年は首を傾げながら、取り敢えず近づいてみる。
ニコミッテ国やアンチェル国など、基本的に科学技術が中世界から見て劣っている国々で今まで育ってきた彼には、車とは貴族や豪族が持つ物だという解釈がある。そんな彼にとって、辺境の町に車があるなど不可解極まりないのだ。
「んー?」
基本的に貴族、豪族が使う物=特別な物という理解をしている青年にしてみれば、彼らが使う車とは一種の憧れに値する。男の子が飛行機や電車などを輝いた目で見るのと同じ心境だと思ってもらえればいい。
つまり今青年の前には憧れが存在するということであり、それは同時にアルコールの力で高ぶった心が更に飛躍したということだった。
「うひひひ、ひっく」
既にアルコールで意識朦朧とし、自分の行なっていることの善悪が付かない彼は今まさに暴走状態にあり非常に危険極まりない存在となっているのだが、残念ながらその事実を知る者は誰一人なく。
アルコール+憧れの存在を前にして精神面で飛躍的なパワーアップをみせた青年は、不意に最早自分でも止められないような胸の高鳴りを感じたが、自制するほどの思考を今の彼が持ち合わせているはずもない。まさに相乗効果恐るべしというものだ。
「おーッ! 俺の車だーッ!」
先程まで完全燃焼を目前にしうとうととしていた彼の頭はそれによって完全な覚醒を果たし、感情は爆発した。
車の持ち主がこれを聞いていたなら何言ってんだと冷たい視線でも喰らいそうだが、幸いこのとき持ち主は熟眠中だった。いや、たとえ冷たい視線を受けたとしても今の青年なら微塵も気にしないだろう。普段の彼でも気にしないかもしれないが。
青年は突拍子もなく叫ぶと、何やら雄叫びながら車の側面に体当たりした。体当たり、と言ってもさほど威力はなく、実際は車体が少し揺れただけで所詮は酔っ払いのものでしかなかったが。
「な、なんだ?」
「なんか揺れたよな?」
しかしそれでも運転席の男達を起こすのには十分な衝撃だったらしく、飛び起きた彼らはすぐさま外に出てきた。
「俺の車だーッ!」
真夜中にも関わらず近所迷惑を通り越した声量で叫びながらべしばしと車体を叩く青年を目の当たりにし、男達はしばし固まった。本当ならばどっからどう見ても野蛮である青年をすぐに捕らえるのが妥当な判断だが、酔っ払いの暴走ほど迫力のあるものもなく、結果その迫力に押された彼らは叫ぶ青年を前に硬直してしまっていた。
「やっと手に入ったぞ俺の車ッ! うひゃひゃひゃひゃッ! ひゃっほーいッ!」
「……何言ってんだコイツ」
「さぁ……でもこのままだとディックさんに怒られるのは確実だから、取り敢えずコイツを車から離そう」
ふと我に返った彼らは熟眠中に奇声と共に起こしてくれた青年に軽く怒りの視線を向けながら、一人が車体にぴたりと寄り添うようにしてくっついている彼の腕を掴む。
「ほら、さっさと家に帰りな。何時だと思ってんだ?」
「ふにゃ?」
「ふにゃじゃねーよオラ、さっさと車から離れんかいこの酔っ払いがッ」
安眠を妨げられた怒りをぶつけるように一人が青年を車体から無理やり引き離す。青年はアスファルトに投げ出され、ゴロゴロと力無く地面を転がった。しかしそれほどの勢いもなく、二、三回程度転がると彼の体は止まった。
そしてふと、転がり終わった後青年の中で何かがブチリと切れ、一瞬にしてみるみる内に顔色が変わった。
「――あ??」
それは憧れから強制的に離されたことによって引き起こされた怒りだった。青年の心を支配していた悦楽が車から離されたことによって直後には怒りへと変換されていたのだ。
青年が既に怒り爆発寸前状態だとは知らずに、男達は急に動かなくなった彼を見て肩をくすめた。
「コイツどうする? なんか動かなくなっちまったぞ?」
「ここに放置しといてまた暴れられたら困るしなー……仕方ねぇ。どっか遠くに連れてくか」
「そうだな。また寝てるところを起こされるのも嫌だし。メンドーだけど連れてくか……あーなんでこんなメンドーなことを俺達がしなきゃならんのだ」
「そう嘆くな。いつかきっと報われるさ」
「そうだといいけどなー。あ、お前右持ってくれるか。俺は左持つから」
「オーケー。さっさとコイツ運んで寝ようぜ」
他愛もない会話をしながら男達は青年に近づき、持ち上げようと胴に手を回したところで、一人が飛び起きた青年から拳骨を顔面にプレゼントされた。
「ごぶッ!?」
何がなんだかわからぬまま男は大量の鼻血を噴き出し倒れ、観光地ということもあり傷汚れ一つなく綺麗に整えられた地面に見事に喧嘩の産物を落とした。瞬殺――意識を失くしただけだが――された同僚を見て男はブルッと震え、プルプルと震える手で懐からナイフを取り出し、刃先を青年に向ける。
ゆらゆらと酔っ払い特有の危なっかしい動きで何とか立ち上がると、青年は赤みが増した顔を上げナイフを向ける男を捉えた。
「オラオラてめぇら何勝手にやっちゃってくれてんのかなー? んー?」
滑舌悪く男に向けて言い放ちながら、彼は右に左にとよろけながら、しかし確実に男へと近づいて行く。
「なんだお前! く、来るな! どうなっても知らないぞ!」
膝がガクガクと震えているのを見るにそれが完全な虚勢であることは明らかだが、青年はそれすらも気付かない。それほどにまで青年の意識は朦朧とし、今のように強力な感情によって支配されていなければ疾うの昔に眠っていただろうことは確かだった。
のらりくらりと先の読めない動きに男は戸惑いながらも懸命にチャンスを窺った。
が。
「俺の車に手を出すなああああああああああああああ!!」
「へ? え? わっ――ぎゃうッ!?」
結局酔っ払いの迫力に気後れし、反応に遅れた彼は腰から抜き取られた剣の柄に腹部を強打され、敢え無く意識を失った。
「――ひっく」
物騒な剣を腰に納めた青年は地面に転がる二人を振り返りもせず、ボヤけ始めた視界の中ヨロヨロと不安な足取りで車に近付くと、車の後方にあった扉を開け中へと入った。倒れ込むように床に寝そべると、流石に限界を迎えたのだろうか、そのままスースーと寝息を立て始める。
部屋の角に少女がいるとは知らずに。
「…………」
サラサラとした長髪にまるで病人のように白い肌。幼さを残した顔立ちは整っており、育ちのよさが窺える。大きくくりくりとした碧眼は長いまつ毛で飾られ、見る者を魅了する。あと数年経てば絶世の美女になること間違いなしと誰もが確信するような、歳に似合わない美しさを持つ少女だった。
彼女は突然の訪問者に驚いたように顔を上げ彼を一瞥したものの、特に何かをする訳でもなく再び眠りについた。
夜は更け、そして朝へと繋がる。
……という経緯の末に朝からこうなっている訳だが、それがジュノにわかるはずもなく。
何も話そうとしない、というより目さえ合わせてくれない少女にあれ? もしかしてこの子人見知り? とジュノはだんだん不安になってくるが、詮索したところで何かが変わることもないので取り敢えず話しかけてみる。
一先ず打ち解けないと何も話してくれなそうなので、状況確認から少女との交流を深めることに思考を切り替える。
まずはレッスン1。
「……い、いや~今日もいい天気だねー」
「…………」
「ってお前の位置からじゃ空見えねーよなっ。俺バカだな、あははっ」
「…………」
「そ、そーいや昨日温泉にいた魔術師が明日は快晴とか言ってたなー。当たるといいなっ」
「…………」
「あ、えーと、そ、そっか。もしかしてお前雨の方が好きだったり?」
「…………」
「そ、そうなのか?」
「…………」
「……うん。どーでもいいよね、どーでもいいよねこんなこと。なんか訊いてスンマセンでしたッ」
ノリ易いように身近な話題を取り込んだつもりだったのだけれども……敢え無く失敗。
一体何が悪かったのだろう……ハッ! そうか。きっと慣れ慣れしいから駄目だったんだ。もっとこう、なんていうか、こう、うん、もっと丁寧な言葉遣いで話せばきっと大丈夫! な気がしないでもないけど……。
気を取り直してレッスン2。
「ご、ごごご機嫌麗しゅう! 突然ですが、貴方様は何型の魔獣がお好みなんですか?」
「…………」
「俺、じゃなくて僕は狼型がお好みです。……ん? お好みっていうのか、これって」
「…………」
「……まあいっか。それで、貴方様は何型の魔獣がお好みなんですか? 鳥型? 猫型? 犬型?」
「…………」
「ちなみに僕は狼型の中でも白銀狼が大のお好みです」
「…………」
「あの殺伐とした風貌に巨体とは思えないスピード。全身を包む白銀色の体毛が風になびく姿はまさに極寒地帯の王者の姿! それに狙いを付けた敵は確実に仕留めるという執拗さは並大抵のものじゃなく! 弱肉強食の世界でも一際注視されている存在だし、雪山の番犬とも呼ばれるあいつらはもう最強だろッ! つーか会ってみてェー!」
「…………」
気のせいか彼女から送られる視線に冷たさがプラスされたような気がする。うん。これは女の子に振る話じゃなかった、と興奮しながらも心で反省。つかいつから敬語なくなった? といつの間にかいつもの口調に戻っている自分に内心で首を傾げる。
なにはともあれレッスン3。
「はぁーい元気ー? 人生エンジョイしてる?」
「…………」
「自己紹介が遅れたけど俺ジュノって言うんだー。君は何て言うのー?」
「…………」
「……、ま、まぁ自己紹介は後回しにして! 楽しく行こうよっ」
「…………」
「テンション上げて! ほらほら!」
「…………」
「もーそんな怖い顔すんなよー。お兄ちゃん本気で泣いちゃうよー?」
「…………」
「……………………ぐすっ」
挫折。
交流を試みた勇気ある俺に返ってきたのは沈黙と何コイツ? とでも言いたそうな視線のみ。それらは俺の脆弱な精神をズタズタにしていった。ああ、さらば勇者な俺。またいつかではなく永遠にさよならだ、グッバイ! そしてカムバック、弱虫!
だけど涙は流すな! 男の意地だ! ガンバ俺! と必死に涙を堪え、最早少女に声を掛ける勇気すら失くした俺は無言の少女を放置し、状況確認をするため外に出た。眩しい朝日が暗さに慣れた目を襲い、眼球の奥をじりじりと痛めさせる。思わず目を瞑り目頭を押さえながらしばしその場にとどまり、意を決して目を開いた俺はパチクリと瞼を上下させ目を徐々に光に慣れさせていく。すると変色していた周囲の光景がだんだんと通常の色へと戻っていった。
そして俺は目の前に現れた景色に驚愕と疑問を覚え、次の動きを止めざる負えなかった。
何の変哲もない路地に、大の男が二人アスファルトに血痕を残して横たわっていたからだ。
「…………」
もう一度確認するが、ここは家々の壁に周囲を囲まれているだけのごく普通の路地だ。昼間になれば子ども達の遊び場になっているような、そんなどこにでもあるような場所。そこに男が二人地面に倒れている時点で現実味に欠けた光景だと言うのに、更に恐らく血と思われる数滴の液体が散らばっている。まるで喧嘩があったような有り様だった。
「は?」
朝っぱらから日常とはかけ離れた光景を見せられた俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。え、やっぱりドッキリなの? と既に埋没していた予想が再び浮上したが、理性からの否定は先程より若干弱く、それもあってか俺は何故かこの予想を完全に否定することができなかった。というより、ドッキリであって欲しいと思う。だって一日が始まったばかりだってのに非日常な光景を二回も見るとか、二度あることは三度あるって王道な流れで割とデンジャラスなフラグが立っている気がしてならないし!
ふと自分の未来に影が差したような気がしてジュノはげんなりとうな垂れながら、引き続き状況確認を続ける。どうやら俺が目覚めたのは昨日の昼間見掛けた車の中だったらしいことはわかったが、一体どうしてこんなことになっているんだ? と一人苦悩する。記憶を探ってみるが昨夜のことは全く覚えてなく、温泉を出た後から記憶がプッツリと切れていた。う~ん、と何とか思い出そうと目を瞑り意識を集中させるが、やはりというか、覚えていないのだから何をしても無駄だった。
やっぱりあの子に訊くしかないのかなー。でもさっきの会話――かなり一方的だったけど――でもう俺の中の勇者は撃沈したし、今更話しかけるのは俺のこのセンチメンタルっぷりからして無理だよなぁ、などと内心で思案するが、少女以外にこの疑問を解決できるものがないのは事実。やはり彼女に訊くしか策はない。
実は町に来たばかりで土地勘はないががむしゃらに道を進んで大通りにでも出ればいいだけの話だったりするのだが、俺的に昨夜自分が何をしていたか把握しておかなければなんとなく気が済まない。なにより記憶がないというのが厄介だし不可解だ。こんな疑問をいつまでも引きずっているのは俺の性に合わないし、気分が悪い。問題はちゃちゃっと解決して早くスッキリするのが無難だ。
という訳で車内に逆戻りしたジュノだったが、そこで改めて少女の姿を確認した彼は思い切り顔を顰めた。
「――枷?」
きっとさっきは寝起きで朦朧としていたため気付かなかったのだろう。しかし改めて見てみれば、今は砂塵で汚れているが洗えば一目でわかるような細かな装飾や刺繍の施された、明らかに高価なドレスを身に纏った小柄な少女の首、手首、足首にはしっかりと枷が嵌められていた。それも簡単に外せるようなものではなく、罪人が着けるような分厚い枷が十代前半であろう少女に取り付けられているのだから、その不格好さは極め付けだった。
「…………」
ジュノの声に反応したのか、相変わらず無言のまま少女はのろのろと起き上がり、こちらへと向かってきた。彼女が歩く度に枷に繋がれた鎖がじゃらじゃらと重苦しい音を車内に響かせる。
鎖が伸び切ったところで止まった彼女は、唐突に俺に両腕を突き出してきた。急に突き出された腕に俺が首を傾げると、少女は「これよ」と言わんばかりに枷の嵌められた両手首を差し出してきた。
「…………」
これは「外せ」ということだろうか?
だけどなぁ……と俺は懇願するように見上げてくる少女に苦い気持ちになりながら、見るだけでも重そうだとわかる枷を観察した。
鉄で作られた枷は生半可な武器では太刀打ちできないだろうことは一見してわかる。魔術でなら易々と外せそうなものだが、生憎とジュノは魔術師でもなければ魔人でもない。いっそ爆弾でもぶち込めば話は別だが、見るに体が丈夫な魔人ではないただの人間である彼女は爆弾が爆発した途端に枷と共にお陀仏だ。ちなみに枷の破壊だけでいうなら腰に据えられている広範囲への斬撃が可能な魔剣を使えばどうってことないのだが、それでは右に同じなので却下。
有望な方法といえば、近くの魔術師を呼ぶか、物理的に破壊するかに限られる。しかし近く、と言っても、こんな辺境の町なのだからただでさえ人口の少ない魔術師がそうそういるはずもないし、魔術師を探すにしても全く持って土地勘のないジュノがここに戻ってこれる保証はないし自信もない。というか地面で気絶している男が二名もいるのに騒ぎになっていないことを考えると、どうやらここは人通りの少ない道らしいので、町の中心部からはそれなりに距離があるようだった。もし魔術によって枷を安全に破壊しようものなら、町の中心部に行き、いるかどうかさえ怪しい魔術師を探し出し、そいつを説得して少女の元まで戻って来なければならない。
って無謀過ぎるだろ、と俺は心の中だけで呟きその方法を却下。
残るは物理的に破壊するという方法だけだが……
(物理的に、なぁ……)
もう一度枷を見る。鉄100%なそれは見るだけで俺を幻滅させる。それに三センチ弱な厚さも相まって、俺は力無く首を振った。確信する。駄目だ、これ破壊するなんて無茶過ぎる、と。
なら鎖を断ち切ってしまえばいいじゃないかと思うかもしれないが、観察してみれば鎖には魔術が掛けられていた。あれではたとえダイナマイトをブチ込んでも切れることはないだろう。それくらい強力な防御魔術が掛けられていたのだ。
しかし。
「…………」
若干の上目遣いで祈るように俺を見てくる彼女には頭を抱えたくなった。
決してロリコンではないが、その仕草は奇しくも俺のどストライクだった。
よって、俺は断るにも断れなくなってしまった。悲しいながら、この仕草をされて「駄目だ」と言えるほど俺の理性は上手くできていなかったのである。ああ、なんと悲しき事実。
と泣く泣く枷を外してあげようと決意したのはいいものの、しかし現実はそう甘くは無い。
見る通り枷は外せないのだ。外せないものは外せない。それが現実だった。
クソッ、卑怯だぞ上目遣いとかッ!
俺は内心で吐き捨ててみるが、それで何かが変わる訳でもなく。
「う、うぅ……卑怯だ……」
理性と現実の壁に挟まれ圧死寸前の俺の精神を表すようにプルプルと体が震え始める。
どうしろってんだーッ!
そう叫びたくても上目遣いで懇願する少女の前では勿論そんなこと口が裂けても言えるはずなく、やはり俺は心の中だけで叫んだのだった。
すると、頭を抱える俺を尻目になにやら少女が動いた。動いた、と言っても両腕をほんの少しズラしただけだが、彼女が「あっち」と言うように腕の方向と同じ方に顎をクイと突き出して示したので、俺は彼女の両腕の先に視線を移した。
そこには無様な男が二名アスファルトに転がっている。あれがどうしたんだ? と目を凝らすがやはりそれだけで、少女が何を言いたいのかわからない。いつまで経っても首を傾げるだけの俺に少女は痺れを切らしたようで、不意に俺の腰から剣を抜き取った。
「お、おいちょっと!」
まさかそれで枷を外す気じゃないだろうな、とやや冷や汗を浮かばせたジュノだったが、少女はジュノの予想に反して剣を床に突き刺した。それから彼女の身の丈の半分は軽々と超しているはずの長剣を、少女は器用に操りながら木製の床に絵を描いて行く。何を描いているのか問おうとしたが、無視されることは目に見えているのでやめ、素直に彼女の様子を見守ることにした。
時間が経つにつれ、それが絵ではなく文字だということが何となくわかってきた。文字彫るなら最初っから言ってくれればよかったのに、と思いながら無心で床を掘り続ける少女に扱い易いキッチンナイフを渡してやる。剣からキッチンナイフに替えた彼女は黙々と作業を続け、格段とスピードアップを果たした末に『KAGI GA SOKONIARU』と簡単な短文を床に刻んだのだった。
「ちょ、おまッそれ先言えよッ!」
思わず清々しい表情でこちらを見据える少女に叫んだが、それに対して彼女は「何か問題でも?」とでも言うように首を傾げただけだ。なんとも性質の悪い美少女に俺は今まで男心を弄ばれていたような気がしたが、気のせいだと不意に湧き起こった怒気をなんとか振り払う。
やり切れない思いに軽くため息を吐き、渋々ジュノは男達に近寄った。コイツか? とその内の一人を適当に指差すと、車内の中から少女はこくりと頷いた。気絶している奴を物色するのは少し気が引けたが、流れからしてコイツらが少女を車内に閉じ込めている張本人だということは明白なので、罪人は何をされても文句は言えんだろうとジュノは男の衣服を突き始める。やがて数分と経たずに、彼のズボンのポケットからジャラジャラと一つの輪に括り付けられた大量の鍵を発見したジュノはその数の多さに多少戸惑ったが、今更メンド臭いなどと弱音を吐くこともできず、早々と思考を切り替え早速彼女の枷に一本ずつ嵌めこんでいくことにした。
「……枷を外す鍵がどれかわかったりする?」
「…………」
「だよなー……」
僅かに湧いた希望を無言で首を振った少女に打ち砕かれ、思わずガックリとうな垂れる。見たところ、鍵は少なくとも二十本は軽く超えているだろう。よくもまあこれだけ集めたねとアスファルトに横たわる鍵の持ち主を褒めたくなる程だ。
なにはともあれ、少女の願いを叶えるためには鍵を一本ずつ試していくしかないとわかったので、俺は途方もない作業に肩を落としながらも似たような形の鍵を一本ずつ嵌めて行く。違う、これも違う、と片っ端から鍵穴にさしては成果の窺えない作業に憂鬱になる。
そして十一本目の鍵を手にした時、状況の変化は唐突に訪れた。
「テメェ……そこで何してる!!」
恐ろしく敵意に満ちた声色が後方から発せられ、俺は今まさに鍵を穴にさし込もうとしていた手をピタリと止めた。何事かと振り返れば、そこには青ざめた顔で立ち尽くす男が三名俺をまるで敵を見るような鋭い視線で射抜いていた。
「何って、こいつの枷を外そうと――」
「ディックさん! アズとラグナが!」
俺の言葉を遮って声を上げた男の視線は地面に転がる無様な男達に向けられていた。「しっかりしろ!」と男達に駆け寄った彼らは男達の体を揺さぶるが、男達はピクリとも反応しない。ディックと呼ばれた男がプルプルと体を震わせながら俺を睨んできた。
「お前がやったのか!!」
「ち、ちげーよ! 朝起きたらこうなってただけだ。俺は何も知らねぇし、そいつらヤった覚えもねぇ。勝手に決め付けるなボケッ」
「嘘だ!」
俺の言い分を真っ向から否定する言葉に俺はカチンときたが、そんな俺の変化に気付いていない様子で男はベラベラと続ける。
「お前とソイツに何の関係があるのか知らねぇが、お前はソイツを助けようとしている。それで邪魔だったアズとラグナをヤったんだろう! そうなんだろう!?」
「はあッ? 何訳わかんねーこといってんだよ! 確かに俺はこいつを助けようとしてるけど、それはこいつに頼まれたからだし、それに大体さっきも言った通り俺が起きた時にはソイツらはもうそうなってたんだよ!」
「証拠は!?」
「証拠だぁ~ッ? んなもんないに決まってんだろ!」
「じゃあお前がはんに」
「そんじゃお前が俺を犯人呼ばわりする前に訊くが、お前らにも俺がコイツら襲った張本人だって断言できる程の証拠あんのか? え?」
「……。そ、それは……」
「答えられないんなら俺を犯人呼ばわりする権利はお前にはねぇ。それでも俺を犯人だって言いたいなら、それ相応の証拠を俺に見せてみろ!」
「…………」
男を責め立てるように矢継ぎ早に言葉を紡ぐと、彼はみるみる内に威勢を失くした。それを見て少しはスカッとした俺は「ザマぁみろ」と内心でぶつぶつ呟きながら男の言葉を待つ。
「ラグナ! 大丈夫か!!」
俺と男との会話が止み、一瞬静まり返った場に唐突にそんな声が響いた。見ればアスファルトに転がっていた男達の一人が辛そうに頭を押さえながら上半身を起こしている。やりィ! こいつに頼んで証言して貰えれば俺の疑惑を完全に晴らすことができる! と俺は唐突に目の前に現れた救世主に目を輝かせた。
が。
「あ、あぁ……なんとか――ってお前は昨日のッ!! 昨日はよくもやって――っつッ! あいたた……」
「――え?」
起きるなり敵視された俺は固まった。
愕然とする俺を置いて男達は会話を進める。
「ラグナ。お前達を攻撃したのはコイツか?」
「は、はい! コイツです! 間違いありません! コイツがいきなり襲ってきたんです!」
「……………………はい?」
ディックというリーダー格の男に必死に証言している男を裏切られた気分で思い切り睨めつけながら、俺は先程立ったらしいフラグが見事回収されたことを確信した。というかこの状況は今朝二度あった出来事のどちらよりもデンジャラスで気まずいんですけど。てか奴らの間で一気に殺気立ったこの空気を何とかして欲しいッ!
「コイツ……許せねぇ!」
ラグナと呼ばれた男を介抱していた男はそう言ったかと思うと、嵌め込まれた大きな青色の石が怪しげに光る杖を懐から取り出し棒先をジュノに向けた。
「くらえ! ≪水弾射撃≫!!」
「お、おいバカ! 魔術使ったら鍵が反応――」
止めようとした男の言葉は突然の爆音に掻き消される。音源は男の持つ杖――正式には<妖精の魔杖>と呼ばれる魔杖からだった。
<妖精の魔杖>はその名の通り、妖精の力を借りて魔術を発動させる魔杖だ。その種類は様々で、杖に嵌め込まれた妖精の力が宿った精石と呼ばれる石の属性で<妖精の魔杖>の属性は決まる。杖の素材は大量の魔力を持つ土地均衡の大樹海の樹で作られているため、放った攻撃には杖に流れる魔力により多少ながら補正が施されている。そのためどんなに狙撃率の低い魔術師が放ったとしても、攻撃は必ず相手を掠める――相手が無防備に限るが――ようになっているという優れ物だ。
一目で男の持つ杖の構造を看破したジュノは、起動言語からも勿論どんな攻撃がくるかは予想済みだった。そのため迫る水弾を前にしても動きに迷いはなく、ジュノは男が起動言語を口にした時から既に決めていた動きに添って、素早く懐から五芒星の描かれたカードを取り出し足下のアスファルトに置く。くっと腹に力を込める。
「我こそこの地を治める代行なり! 主の指示に従いその身を我の盾とせよッ! ≪代行の土地≫!!」
直後、俺から青光が溢れた。俺から同心円状に地を這うように広がって行った青光のすぐ後、足元のアスファルトが硬質というイメージを覆すようにふにゃふにゃと波を打ち、水弾が俺にぶつかる寸前まで迫ったとき、ドガァッと波のように地面から噴き上がった。男の魔杖から放出された水弾は俺を仕留めようと驀進していたが、突如地から湧いたアスファルトの壁にその身を飛散させられた。
「てめぇッ! 魔術師か!!」
「残念外れ。これでも俺はただの人間だ」
自分の魔術を防がれたためか悔しさの籠った声色で吼える彼に、俺は不敵に笑ってみせた。




