表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

望んで生まれてきた人間はいないのだから。

作者: ムクダム
掲載日:2026/08/01

 人生の理不尽の最たるものは、誰も産まれたくてこの世に生を受けた訳ではないと言うことである。母親の体内から放り出てくるに際し、生まれてくることの希望確認をされた人間はいないはずだ(芥川龍之介の小説にそんな話があった気がするが)。

 人間は皆、自分が望んでもいないのにこの世に生まれ落ちるのである。いわば、全ての人間は生まれながらに理不尽を背負わされており、人生とはその理不尽の清算のための時間であると言えないだろうか。


 そもそもスタート地点で個人の意思、自由が無視されており、その理不尽さ加減は全人類平等である。これを前にすれば、生まれてきた家庭や環境が恵まれているか否かという差異は瑣末なことであることが分かる。

 文化資本の差だの、教育格差だの、やたらと生まれ育った環境の格差を強調する風潮があるが、そんな些細なことに拗ねていても仕様が無い。勝手に産み落とされたというディスアドバンテージを巻き返すのは自分自身を置いて他にいない。

 場合によっては、恵まれた環境そのものが当人にとっては大きな足枷となることもある。人生万事、塞翁が馬というものの例えがある通り、当人にとって何が良くて、何が悪いかは画一的に決まるものではない。自分を勝手に産み落とした社会が決めた基準で自分の人生の価値を測ることは、個人の尊厳への最大の侮辱である。


 人間は、勝手に産み落とされることの理不尽をその人生を通じて痛感することになるが、それにも関わらず人間が子孫を残そうとするのは何故か。愛があるからとか、生きることを幸福だと考えるからとか、繁殖は生物の本能だからとか無数の理由付けが可能だが、私はそこに復讐心の存在を加えてみたい。

 理不尽に始まり、その後も理不尽が続く人生という時間。良いことと悪いことが波のように押し寄せる人生。良いことしか怒らない人生は存在せず、その逆もまた然り。生きている限り人間は絶えず不安に晒されることになる。ずっと静謐な状態が続くなら、それを望む人間は決して少なくないはずだ。だが、それは存在の消滅によってしか成立しない。そして、存在が消滅すれば静謐という実感を得ることはできない。まさしく理不尽の極みだ。

 

 自分が背負うことになった理不尽を次の世代にも負わせたい、この苦しみを自分だけを終わらせるのは許せないという思いが、子孫を残そうとする意思の中に少しも混じっていないと誰が言えるだろうか。

 復讐心から家庭を持ち、子供を作るというとなんともグロテスクだが、どのような理由にせよ、子孫を残すことについて選択の余地が残されていることこそ、人間の最大の自由であると考える。

 望んでもないのに生まれた自分が、その人生を通じて、子孫を残すか否かを選択する。どっちが偉いとか、尊いとか言うのではない。それを自分で選ぶことができるということが大切なのだ。そういった選択が可能な社会を維持することが、理不尽にこの世に生まれた人間にとって、ある意味で社会への最大の復讐であると言えるだろう。

 

 人間は皆、生まれてこようと思ってこの世にいる訳ではない。気がついたら自分が自分だったというだけのことである。どんな環境で生まれようが、いつまでも生きていられる訳ではないし、生まれた以上はその命を全うするしかない。

 そんな中で、たまたま同じ時代に生まれ合わせた者どうし、お互いに慰め合い、何とか生きていくというのが本当の生き方のように思える。お互いを労わることができなくとも、せめて他人の邪魔をしたり、迷惑をかけたりせずに生きていこうと考える人間が増えれば、この世はより住み良い場所になるはずだ。

 望んで生まれてきた人間はいないのだから、せめて生きている間はより良い世界を作りたいものである。終わり

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ