読切短編 灯りの名前を知らないまま
十年前の私は、予感というものをまだ信じていた。
軽音部に入ったのは、友達に誘われたからだ。楽器が弾けるわけでもなく、特別に音楽が好きなわけでもなかった。四月の新学期、なんとなく足を踏み入れた部室で、先輩のギターケースに下がったアクキーを見た。
同じ推しだった。たぶん、本当にそれだけだった。
それだけだった。それだけのことで、胸の中に、小さな灯りみたいなものが灯った。予感、という言葉しか当てはまらない感覚だった。根拠もないのに、「始まる」と思った。直感とも妄想とも違う、もっと静かな何か。
先輩は三年生で、私は一年生だった。
接点は少なかった。同じパートでもなく、話す機会を自分から作るような人間でもなかった。それでも、一度だけ先輩が私のチューニングを直してくれたことがある。「それ、半音ずれてる」その声だけは、十年経った今でも不思議なくらい鮮明だ。
私は部活に通い続けた。毎週木曜日の練習を、一度も休まなかった。自分でも気づかないふりをしながら、あのアクキーを視界の端に探していた。
卒業ライブの日、先輩は最後までこちらを見なかった。なのに私は、一度くらい目が合うかもしれないと思っていた。
先輩が卒業した春、私は泣かなかった。
泣く理由が、なかった。そもそも、始まっていたのかどうかも分からなかった。ただあのとき灯ったものだけが、答え合わせをされないまま残った。
それから十年が経つ。
今の私には、答えがない。転職もしたし、引っ越しも二回した。当時使っていた音楽アプリは、もうとっくにサービス終了している。あのとき灯ったものは、本当に恋だったのか。それとも推しが同じというだけの一瞬の共鳴だったのか。先輩のことを考える機会はほとんどなくなった。顔はもう、思い出そうとしないと浮かばなくなっている。
でも、あの瞬間だけは、時間から取り残されたみたいに残っている。
四月の部室。ギターケースのファスナーに光るアクキー。それを見た瞬間に灯った、あの小さな確信。
予感というのは、当たり外れで測るものではないのかもしれない、と最近思う。
あれは起きなかったのではなく、あの瞬間に完結していたのだ——と気づいたのは、別の誰かを好きになって、その人の何気ない仕草にまた同じ灯りを感じたときだった。
私はまだ、あの予感の答えを知らない。
きっとこれからも、知らないままでいい。そう思いたいだけなのかもしれない。




