第90話:『野良犬の仁義』
第90話:『野良犬の仁義』
「……ヴォルフ、どうして……」
悠斗が呆然と呟く。
彼の目の前で、ヴォルフは二振りの剣を地面に突き刺し、不敵な笑みを浮かべていた。
本来なら、彼はここにいるはずがない。この「最深部」は、システム権限を持つ者か、私のようなイレギュラーしか入れない閉鎖領域のはずだ。
「どうして、だと?」
ヴォルフは鼻を鳴らし、ボロボロの包帯を巻き直した。
「決まってんだろ。……『英雄サマ』がいつまで経っても戻ってこねぇから、尻を叩きに来てやったんだよ。……ここのセキュリティはザルだったぜ? 崩壊寸前で穴だらけだ」
「……帰れ」
悠斗の声が震える。
「帰るんだ、ヴォルフ! ここはもうすぐ消滅する! お前まで巻き込まれる必要はない!」
「ああ、知ってるよ」
ヴォルフは事も無げに言った。
「お前がその木から離れりゃ、俺たちは消える。……俺たちの命綱を握ってるのはお前だ。そうだろ?」
「……わかってるなら、止めないでくれ!」
悠斗が悲痛な叫びを上げる。
「俺は……お前らを殺したくねぇんだ! 記憶を取り戻して、わかったんだよ……。お前らがただのプログラムじゃない、俺たちと同じ『心』を持った仲間だって!」
悠斗の瞳から、再び赤いノイズの涙が溢れ出す。
彼は知ってしまった。この世界で過ごした日々、交わした言葉、そのすべてが本物だったことを。だからこそ、自分の命と引き換えにしてでも、彼らを守ろうとしている。
「……ハッ」
ヴォルフが、短く笑った。
そして次の瞬間、彼の拳が悠斗の頬を殴り飛ばした。
ドゴッ!!
「ぐっ……!?」
「悠斗!」
悠斗がよろめき、地面に膝をつく。
ヴォルフは胸倉を掴み上げ、至近距離から悠斗を睨みつけた。
「ふざけんなよ、クソガキ」
低い、ドスの効いた声。
「俺たちを……哀れんでんじゃねぇぞ」
「……え?」
「俺たちはデータだ。バグった残骸だ。……そんなことは、とっくに知ってらぁ」
ヴォルフの言葉に、私は息を呑んだ。
彼らは気づいていたのだ。自分たちの世界の歪さに。自分たちが「作られた存在」であることに。
「だがな、俺たちは『野良犬』だ。……誰かに飼われるのも、誰かに守られて生き延びるのも御免なんだよ」
ヴォルフの手が、悠斗の胸倉を強く締め上げる。
「テメェの命を燃料にして、俺たちが生き延びる? ……そんな情けねぇ生を、俺たちが望むと思ってんのか!?」
「だ、だけど……! 死ぬんだぞ!? 完全に消滅するんだぞ!?」
「上等じゃねぇか!!」
ヴォルフが吠えた。
「誰かの犠牲の上に胡座をかいて、永遠に惨めに生きるくらいなら……俺たちは、笑って消える方を選ぶッ!!」
「ヴォルフ……」
「それが俺たちの……『野良犬』のプライドだ!!」
ヴォルフが悠斗を突き放した。
悠斗はよろめきながら後退り、背後の光の巨木にぶつかった。
「……勘違いすんなよ、悠斗」
ヴォルフは背中の大剣を引き抜き、切っ先を巨木に向けた。
「俺たちがここに来たのは、テメェに助けてもらうためじゃねぇ。……テメェを『解放』してやるためだ」
「解放……?」
「ああ。……俺たちの世界は、もう終わる。マザーがいなくなった時点で、俺たちの物語はエンドロールだ」
ヴォルフが私を見た。
その隻眼が、優しく細められる。
「嬢ちゃん。……こいつを連れて行け」
「ヴォルフ……」
「こいつの居場所は、ここじゃねぇ。……お前の隣だろ?」
私は唇を噛み締め、頷いた。
涙が止まらない。
彼は、選んだのだ。自分たちの「死」を。
悠斗を生かすために。
「……嫌だ」
悠斗が首を振る。
「俺は……俺は……ッ!」
「往生際の悪い野郎だ!」
ヴォルフが剣を振り上げた。
狙うのは悠斗ではない。彼を縛り付けていた、光のケーブルの束だ。
「野郎共! 準備はいいかァァッ!!」
ヴォルフが虚空に向かって叫ぶ。
すると、どこからともなく、無数の声が響き渡った。
『『『オオオオオオオッ!!』』』
それは、レジスタンスたちの鬨の声。
カレンも、酒場の親父も、あの雪原で共に戦ったすべての仲間たちが、見えない場所で叫んでいるようだった。
「これで最後だ! ……俺たちの『命』を、テメェに託す!!」
ズバァァァァァァンッ!!
ヴォルフの大剣が、光のケーブルを一刀両断にした。
バチチチチチチッ!!
切断されたケーブルから、膨大な光の粒子が噴き出す。
同時に、巨木の輝きが急速に失われ、暗い灰色へと変色していく。
『警告。システム・ダウン。……世界崩壊まで、あと300秒』
無機質なカウントダウンが始まった。
地面が激しく揺れ、天井が崩落し始める。
「……あ、あぁ……」
悠斗が膝から崩れ落ちる。
彼を縛り付けていた重責が、物理的に断ち切られた。
「行けッ!!」
ヴォルフが叫ぶ。
私は悠斗に駆け寄り、彼の腕を肩に回して立たせた。
「悠斗、行こう! ヴォルフたちの想いを……無駄にしないで!」
「……くっ、うぅぅ……ッ!」
悠斗は泣きながら、それでも立ち上がった。
彼はヴォルフを見た。
崩れゆく瓦礫の中で、仁王立ちする銀髪の狼を。
「……ヴォルフッ!!」
「へっ、湿っぽい顔すんなよ」
ヴォルフはニカっと笑い、親指を立てた。
「楽しかったぜ、英雄サマ。……向こうでも、達者でな」
「……ありがとう。……ありがとう、相棒ッ!!」
悠斗が叫び、私たちは走り出した。
背後で、光の巨木が轟音と共に崩れ落ちていく。
世界が終わる。
けれど、それは絶望の終わりではない。
彼らが自らの意志で選び取った、誇り高きフィナーレだった。
「走れ、梨花! 出口は上だ!」
「うん!」
私たちは崩壊する螺旋階段を駆け上がる。
目指すは天の頂き。
あの「空の亀裂」の向こうにある、私たちの現実へ。




