第88話:『砕け散る楽園と、覚醒の熱』
第88話:『砕け散る楽園と、覚醒の熱』
ドガガガガガッ!!
マザーブレインの背後に展開した無数の砲門から、光の矢が雨のように降り注ぐ。
それは物理的な衝撃というよりも、存在そのものを削り取るデータの奔流だった。
「が、あぁぁぁぁぁッ!!」
悠斗の絶叫が響く。
彼は私の前に立ち塞がり、その身を盾にして光の雨を受け止めていた。
漆黒の鎧が、光に触れた端からボロボロと崩れ落ちていく。金属片が舞い散るのではない。緑色のノイズとなって霧散し、その下から、テクスチャの貼られていない素体が剥き出しになる。
『無駄よ。……システムに逆らうウイルスは、検疫して削除するしかない』
マザーブレインは、玉座から一歩も動かずに手をかざし続けている。
その慈愛に満ちた表情は、害虫を駆除する時のように無機質で、冷酷だった。
『眠りなさい、ナンバー01。……初期化して、また新しい名前と役割をあげるわ。今度はもっと従順で、幸せな騎士になれるように』
「……断るッ!」
悠斗が大剣を地面に突き立て、倒れるのを拒んだ。
彼の全身はすでに半分以上がノイズに侵食されている。右腕は肘から先が透けているし、左足は足首から下が欠損している。
それでも、彼の瞳にある赤い光だけは消えていない。
「俺は……人形じゃねぇ! 誰かに幸せを与えられるのを待ってるだけの、哀れなペットじゃねぇんだよッ!」
『頑固な子ね。……痛覚遮断の解除も効かないなんて』
マザーが嘆息し、指先を軽く振った。
それだけで、悠斗の周囲の空間が圧縮され、見えないプレス機のように彼を押し潰そうとする。
「ぐ、ぐゥゥゥ……ッ!」
膝が折れる。大剣が悲鳴を上げる。
もう限界だ。彼のHPバーは、とっくにレッドゾーンを振り切っている。
「やめて! もうやめてよ!」
私は叫び、杖を構えて走り出した。
マザーを攻撃しなきゃ。悠斗が消される前に。
でも、私の足が動かない。
『あら、お嬢さん。……あなたはそこで見ていなさい』
いつの間にか、私の足元から硝子の蔦が伸び、足首を締め上げていたのだ。
美しい水晶のような蔦。でも、それは鋼鉄よりも硬く、私の自由を奪っている。
『あなたの「熱」は危険だわ。……少し頭を冷やして、お行儀よくしていましょうね』
シュルルルッ!
蔦は私の腰、腕、そして首へと巻き付き、締め上げていく。
冷たい。氷のように冷たい感触が、肌から体温を奪っていく。
思考が鈍る。まぶたが重くなる。システムによる強制凍結だ。
(……これが、マザーの力)
(完璧な管理。絶対的な静寂。……ここでは、誰も逆らえない)
意識が白く塗り潰されそうになる。
その中で、悠斗が必死に顔を上げ、私を見ているのが見えた。
口元が動いている。
『……り、か……』
彼もまた、消えかかっている。
私たちが選んだ「現実」への道は、ここで閉ざされるの?
このまま初期化されて、またあの雪原で、偽物の冒険を繰り返すの?
現実で待っているレンや、博士との約束は?
(……嫌だ)
心の奥底で、小さな火種が弾けた。
嫌だ。忘れたくない。
悠斗と過ごした日々も、ヴォルフたちとの絆も。
そして何より、現実世界で私を庇ってくれた、あの瞬間の彼の温もりも。
「……ふざけないで」
私の唇から、熱い息が漏れた。
蔦の冷たさに抗うように、体の芯がドクドクと脈打ち始める。
『あら?』
マザーが眉をひそめた。
「私の頭を……冷やせると思ってるの?」
ギリッ……ミシミシッ……。
私を拘束していた硝子の蔦に、微細なヒビが入る。
「私の『熱』は……ただの温度じゃない!」
私は思い出す。
あの地下鉄の排熱ダクトで、鉄すら溶かす熱風を防いだ時のこと。
あの病室で、ガラスの牢獄を吹き飛ばした時のこと。
私の魔法は、物理法則への干渉。エントロピーの増大。
静止した世界を、無理やり動かすエネルギー!
「これは……生きようとする『意志』の熱よッ!!」
カッ!!!!
私の全身から、紅蓮の光が噴出した。
それは炎ではない。空間そのものを振動させる、圧倒的な熱量。
パリーンッ!!
私を縛っていた蔦が、熱膨張に耐えきれずに砕け散った。
破片がキラキラと舞う中、私は杖をマザーへと突きつける。
「『熱力学』……第2法則、適用ッ!!」
ゴォォォォォォォォッ!!
庭園に、熱風の嵐が巻き起こった。
私が放ったのは攻撃魔法じゃない。この空間の「秩序」を乱すための乱気流だ。
秩序あるものは、必ず無秩序へと向かう。
完璧に管理されたこの箱庭に、不可逆の変化を与える!
『な、何をする気!? 私の庭が……!』
マザーが初めて焦りの声を上げた。
見よ。
彼女が愛した「永遠に変わらない硝子の花々」が、熱風に煽られ、次々と溶け落ちていく。
美しい水晶の花弁が、ドロドロの飴細工のように歪み、醜く垂れ下がっていく。
「完璧なんてない! 永遠なんてない!」
私は叫びながら、さらに魔力を注ぎ込む。
「花は枯れるから美しいの! 命は終わるから尊いの! ……変化を拒絶したあなたの世界は、ただの死んだ標本よッ!!」
バリバリバリバリッ!!
空間の温度が急上昇し、空のスクリーンに亀裂が入る。
完璧だった楽園の風景が、ノイズ混じりの「エラー画面」へと剥がれ落ちていく。
『やめなさい! やめてぇぇぇッ!!』
マザーが髪を振り乱して絶叫する。
彼女の背後の翼が過熱し、火花を散らし始めた。
処理落ち。熱暴走。
彼女の計算能力が、私の「熱」に追いついていない!
「今よ、悠斗ッ!!」
私は振り返らずに叫んだ。
彼なら、絶対に立っている。私の熱を受け取って、立ち上がっているはずだ。
「……おうッ!!」
応える声があった。
ノイズまみれの体を引きずり、それでも大剣を構えた騎士が、熱風の中に立っていた。
私の魔力が、彼の欠損したデータを「炎」で補完していく。
失われた右腕の代わりに、燃え盛る炎の腕が形成される。
「ありがとな、梨花。……身体が軽くなったぜ!」
悠斗が地面を蹴った。
硝子の破片を踏み砕き、一直線にマザーへと肉薄する。
『来ないで! 近寄るなぁッ!!』
マザーが光の矢を乱射する。
だが、今の悠斗は止まらない。
炎の腕で矢を払い落とし、熱で溶けかけたマザーの防壁を、強引にこじ開ける。
「これが俺たちの……『生きる』ってことだァァァッ!!」
ズバァァァァァァァンッ!!
炎を纏った大剣が、マザーブレインの胸部装甲を深々と貫いた。
『ガ、アアアアアア……ッ!?』
マザーの動きが止まる。
彼女の瞳から光が消え、その美しい顔に亀裂が走った。
パリーン……。
静かな音と共に、マザーの背後の翼が砕け散った。
世界が、止まる。
偽りの楽園が崩壊し、その奥にある「真実」への扉が、今開かれようとしていた。




