第83話:『凍てつく関所と、ただ一人の英雄』
第83話:『凍てつく関所と、ただ一人の英雄』
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。
私の足音だけが、白銀の世界に響いている。
猛威を振るっていた吹雪は、嘘のように止んでいた。頭上には、オーロラが揺らめく満天の星空。
そして、目の前には「道」があった。
降り積もった雪が踏み固められ、立ち塞がる氷壁が粉砕され、襲い来るはずのモンスターや「消去装置」が残骸となって転がっている。
それは、たった一人の騎士が、その身を削って切り開いた執念の道。
「……はぁ、はぁ……っ」
白い息を吐きながら、私は走った。
寒い。けれど、不思議と辛くはない。
胸の奥に、さっきヴォルフたちから受け取った「熱」が残っているからだ。そして何より、この道の先に彼がいるという事実が、私の足を前へと動かしている。
『……梨花。生体反応、前方三〇〇メートル。……静止しているぞ』
レンの声に、私は顔を上げた。
視線の先。雪原の終わる場所に、巨大な構造物が聳え立っていた。
「あれは……」
「北の関所」。
かつてゲーム時代には、次のエリアへ進むための通過儀礼として、強力なボスが配置されていた難所だ。
しかし、今のそれは、見る影もなく崩壊していた。
城壁は半壊し、強固な鋼鉄の門扉は内側からひしゃげて吹き飛んでいる。
まるで、巨大な竜巻が通り過ぎた後のような爪痕。
そして、その瓦礫の山の頂上に、彼はいた。
漆黒のフルプレートアーマー。背負った大剣。
彼はボロボロになったマントを風になびかせ、壊れた門柱に寄りかかるようにして座り込んでいた。
「悠斗……!」
私が名前を呼ぶと、彼の兜がゆっくりと動いた。
駆け寄る私を、赤い光が消えた静かな瞳が見つめる。
「……遅かったな、梨花」
その声は、ひどく掠れていた。
近くで見ると、彼の鎧は限界を超えて損耗していた。無数の傷、焦げ跡、そしてデータ欠損を示すノイズが、身体のあちこちから漏れ出している。
システムによる「自動修復」が追いついていないのだ。
「そんな……ボロボロじゃない」
私が手を伸ばし、彼の頬に触れる。冷たい。まるで氷の彫像のようだ。
けれど、そこには確かな「意志」の熱があった。
「無茶しすぎだよ。……どうして、待っててくれなかったの?」
「……待っていたら、お前を巻き込む」
悠斗は不器用そうに視線を逸らした。
「俺は……『バグ』だ。制御できない力が、いつ暴走するかわからない。……ヴォルフの時のように、また誰かを傷つけるのが怖かった」
彼の言葉に、胸が締め付けられる。
彼は覚えていたのだ。かつて、地下工場でヴォルフを守ったこと。そして、その力が時に制御不能になり、周囲を危険に晒してきたことへの恐怖を。
だからこそ、彼は孤独を選んだ。誰よりも優しいからこそ、誰よりも遠くへ離れようとした。
「バカ」
私は彼の額に、自分の額をコツンと押し当てた。
「……!?」
「言ったでしょ。……ヴォルフも、私も。あなたの背中を守るためにここにいるんだって」
私は彼の瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。
「もう『黒騎士』のフリなんてしなくていい。……あなたは悠斗で、私は梨花。……ここはゲームの中じゃなくて、私たちが帰るための場所なんだから」
「……梨花」
彼が私の名前を呼ぶ。
その響きに、ようやく色が戻った気がした。
悠斗はゆっくりと、私の手に自分の手を重ねた。ガントレットの冷たい感触。けれど、その震えは止まっていた。
「……ああ。そうだな」
彼は瓦礫を支えにして、立ち上がった。
その動作に伴って、鎧の隙間から溢れていたノイズが収束し、安定した蒼い光へと変わっていく。
迷いが晴れたのだ。孤独な戦いではなく、共に歩む覚悟を決めたことで、彼の魂が安定を取り戻した。
「行こう、梨花。……この門の向こうが、世界の『裏側』だ」
悠斗が顎で示した先。
破壊された関所の奥には、不気味なほど無機質な、真っ白い空間が広がっていた。
雪原でも、洞窟でもない。テクスチャの貼られていない、開発中の空間のような「虚無」。
そこは、この治療用世界を管理するシステムの中枢領域。
「この先に、マザーブレインが……ううん、『プロジェクト・リボーン』の中核があるのね」
「ああ。……俺たちの記憶を奪い、この世界に閉じ込めている元凶だ」
悠斗が大剣を引き抜き、肩に担いだ。
その姿は、もう狂戦士ではない。私がよく知っている、頼もしいパートナーの姿だ。
「怖いか?」
「ううん。……悠斗が一緒なら」
私は杖を握りしめ、彼の隣に並んだ。
「……行くぞ」
二人の足音が重なる。
私たちは崩れ落ちた関所を越え、白き闇の領域へと足を踏み入れた。
背後で、オーロラが輝いている。
それは、私たちを見送るレジスタンスたちの「希望の光」のように見えた。
長い旅路の果て。
虚構と現実が交差する、最後の戦いが幕を開ける。




