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アルメルシア クロニクル ―『君と紡いだ偽りの物語は、やがて世界の真実になる』  作者: amya


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第78話:『スクリプトの向こう側』

第78話『スクリプトの向こう側』


世界が、白一色に塗り潰されていた。

上下左右の感覚はない。天と地の境目さえも、狂ったホワイトノイズのような猛吹雪にかき消されている。


「はぁ……はぁ……っ」


私は膝まで埋まる新雪をかき分け、鉛のように重い足を持ち上げた。一歩進むたびに、体温という名の生命力ライフがごっそりと削ぎ落とされていく感覚がある。肉体が凍るのではない。私の存在そのものが、この白い虚無に同化させられていくような恐怖。


『警告(Alert)。体温低下、危険域クリティカル。……梨花、このエリアは異常だ。気温設定が絶対零度近くまでバグってる。普通の防寒装備じゃ紙切れ同然だぞ』


レンの声が、嵐のノイズに混じって途切れ途切れに鼓膜を叩く。


「わかってる……。でも、進まなきゃ……」


私はガチガチと鳴る奥歯を噛み締め、杖にしがみついた。杖の先端には、微かな火属性の魔力を灯している。けれど、その灯火も、圧倒的な冷気の前では風前の灯火だ。指先の感覚はとっくにない。自分が杖を握っているのか、それとも氷柱を握っているのかさえ判別できないほどだ。


ここは「北限の地ノースガルド」。

かつて、私たちが目指した冒険の終着点であり、今はマザーブレインが鎮座する世界の最深部。


村を出てから、どれくらい歩いただろう。悠斗は、この白い地獄のさらに先へ飛んでいった。彼はもう、痛みを感じない身体アバターになってしまったかもしれない。でも、私は生身の人間だ。この痛覚も、寒さも、すべてが脳を焼く現実リアルとして襲いかかってくる。


ピキィィィン……!


不意に、硝子が軋むような硬質な音が響き、目の前の空間が凍りついたように歪んだ。


「……!」


私は足を止めた。

吹雪の向こう。白い闇の中から、さらに白い「何か」が滲み出してきた。


それは、在るはずのない異物だった。

氷の巨人アイス・ジャイアントの形をしていたが、その表面にはテクスチャがない。生物的な質感も、荒々しい岩肌もない。ただ、真っ白な、のっぺりとしたポリゴンの塊。目も口もない能面のような顔が、ゆっくりと私を見下ろしている。


[System_Entity: Eraser_Unit]


視界の端に表示されたネームタグを見て、背筋が凍った。

イレイザー・ユニット。消去装置。モンスターじゃない。バグったデータを掃除するためにシステムが生み出した、感情を持たない自律型の「修正プログラム」だ。


ブォンッ……。


巨人が腕を振り上げた。その拳が、空間ごとデータを削り取るように迫ってくる。


「『火……弾』ッ!」


私は杖を突き出そうとした。けれど、指が動かない。魔力の練り上げが間に合わない。

思考と身体のリンクが、寒さで寸断されている。


(━━間に合わない)


死の予感が、冷たい刃となって喉元に突きつけられた。

私が目を閉じた、その瞬間。


ヒュンッ、ドォッ!!


鋭い風切り音と共に、何かが私の横顔を掠めた。

それは回転する二対の「投げ斧」だった。

赤熱化した鉄の塊が、正確無比に巨人の腕関節へと突き刺さり、ジュッという音と共に氷のポリゴンを蒸発させた。


『……ガ、ガガッ……?』


巨人の動きが止まる。その一瞬の隙を縫うように、吹雪の奥から数人の影が飛び出してきた。


「散開しろ! 『掃除屋』だ! 奴に触れるな、データごと削られるぞ!」

「へいよ! わか、合図を!」


野太い怒号。毛皮と鉄のパッチワークのような鎧を纏った、男たちが雪崩のように展開する。彼らの連携は完璧だった。一人が盾で巨人の注意を引きつけ、その死角から二人が槍を突き入れる。


だが、私の目は、その中心に躍り出た一人の影に釘付けになっていた。


獣のような身軽さで雪原を疾走し、巨人の懐へと潜り込む影。

かつての幼さは消え、鍛え上げられたしなやかな肉体。風になびく銀灰色の髪の間から、鋭い獣耳が覗いている。


「……遅い」


低く、けれどよく通る声。

彼は地面を蹴り、中空へと舞った。重力など存在しないかのような跳躍。

その手には、身の丈ほどもある二振りの大剣が握られている。


「スクリプトに帰んな! クソ人形がぁッ!!」


ズバァァァンッ!!


交差した刃が閃光を描き、巨人の胴体を一閃した。

遅れて衝撃が走り、白いポリゴンの巨体が上下に断ち切られる。断面から溢れ出した光の粒子が、爆風となって周囲の雪を吹き飛ばした。


「……あ……」


私は呆然と、その光景を見つめていた。

美しい、とさえ思った。

舞い散る光の粒子の中で、着地した彼がゆっくりと立ち上がる。


助かった? でも、彼らは誰?

今の彼らの動き、そして言葉。「スクリプト」だなんて言葉を、NPCが知っているはずがない。


ザッ、ザッ。


巨人を倒した男たちが、私の方へ歩み寄ってくる。

先頭に立つのは、あの銀髪の青年だ。

彼は二振りの剣を背中に収めると、私の目の前で止まり、値踏みするように見下ろした。

頬には走る古傷。瞳は、雪原の狼のように鋭く、ギラギラと輝いている。けれど、その奥には懐かしい色が揺らめいていた。


「おいおい、驚いたな。こんな『死にエリア』に迷い猫か?」


彼は口の端を吊り上げてニヤリと笑った。

その表情は、プログラムされた定型文の笑顔ではない。皮肉と、哀れみと、そして微かな希望が入り混じった、あまりにも人間臭い笑み。

そして、その顔には見覚えがあった。


かつて一緒に旅をした、生意気で、誰よりも強さを求めていた少年。

ヴォルフ。彼が、そこにいた。


「……生きてるか、リリア。まだテクスチャは剥がれてねぇようだな」


大人びた声で、彼は私の名を呼んだ。


「あ、あなたは……ヴォルフ、なの……?」


私が問いかけようとした瞬間、視界がグラリと揺れた。

緊張の糸が切れ、極限まで冷え切った身体が限界を迎えたのだ。


「っと、危ねぇ」


倒れ込む私を、彼の手が支えた。

かつては私より小さかったはずの手が、今は驚くほど大きく、力強い。鉄と油、そして生き物の匂いがした。


「運んでやれ。……『箱庭』へ連れて行くぞ」


意識が遠のく中、彼の声が聞こえた。

それは、かつての少年ではなく、荒廃した世界を生き抜くリーダーの声だった。


「ようこそ、クソッタレな世界の掃き溜めへ。……ここじゃ、バグってる奴ほど長生きするんだぜ」


それが、私が再会したかつての友──この世界の「意志ある住人レジスタンス」を率いる、若きリーダーとの出会いだった。





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