第55話:『聖女の帰還』
第55話:『聖女の帰還』
『━━さあ、祈ろう! 我らの祈りで、リリア様を閉じ込める鋼鉄の扉を溶かすのだ!』
ステージ袖。分厚いカーテンの隙間から、まばゆいスポットライトと、波のように押し寄せる三万人の熱狂が見えた。司堂の声が、巨大なスピーカーを通して空気を震わせている。
「……あと1分」
背後でレンがタブレットを睨みながら囁いた。彼女の指は高速で動き、施設の非常用電源や避難経路のロックを裏側から解除している。
「準備はいいか、リリア。……爆発と同時に、この会場はパニック映画の撮影現場のようになるぞ」
「……わかってる」
私は白いローブの裾を握りしめた。心臓の音がうるさい。これから起きるのはテロだ。人が死ぬかもしれない。でも、私がここで逃げれば、被害はもっと拡大する。
『おお、見よ! 雲の切れ間から月が! これぞ奇跡の予兆だ!』
司堂が大げさに空を仰ぐ。ただの気象現象を奇跡とこじつけ、信者たちが「おおおっ!」と感嘆の声を上げる。滑稽だった。そして、あまりにも脆い。
「……30秒前」
レンのカウントダウンが始まる。
私はステージ中央の司堂を睨みつけた。彼は陶酔した表情でマイクを握っているが、その視線はチラチラと左腕の高級腕時計に向けられていた。集会の終了時間を気にしているのだ。自分が立っているその場所が、数秒後には処刑台に変わるとも知らずに。
「10、9、8……」
世界がスローモーションになる。ペンライトの光の海。揺れる白い波。何も知らない人々の笑顔。
「……3、2、1」
ゼロ。
ドォォォォォォォォォンッ!!!!
世界が弾けた。まず、ステージ左翼の鉄骨支柱が、赤い閃光と共にへし折れた。遅れて届く轟音と、猛烈な衝撃波。
「きゃぁぁぁぁっ!?」 「な、なんだ!?」
悲鳴。怒号。さらに連続して、客席後方と右翼でも爆発が起きる。仕掛けられた爆弾は一つじゃなかった。会場全体を崩落させ、人々をパニックの坩堝に叩き込むための配置だ。
ギギギギ……ガシャァァァン!!
巨大な照明機材が火花を散らして落下し、ステージの一部を粉砕する。砂煙が舞い上がり、美しい祭壇は一瞬にして瓦礫の山と化した。
「ひ、ひぃぃぃぃッ!!」
さっきまで威厳たっぷりに演説していた司堂が、マイクを放り出して悲鳴を上げた。 彼は信者たちに避難を呼びかけるどころか、我先にと安全な舞台袖へ━━私たちがいる方向へと這うように逃げてきた。
「助けてくれ! 殺される! なんでこんなことに!」
彼は転び、高価な白いスーツを泥と煤で汚しながら、無様に逃げ惑う。その姿が、巨大スクリーンに大写しになっていた。
「嘘だろ……教祖様?」 「逃げたぞ! 私たちを置いて!」
信者たちの間に動揺が走る。信仰という魔法が解け、恐怖という現実が襲いかかる。 出口へ殺到する人々。将棋倒しになる子供たち。地獄絵図だ。
「……最低ね」
私は逃げてきた司堂の前に立ちはだかった。
「ど、どけ! 邪魔だ!」
司堂は私を突き飛ばそうとした。その瞬間、私は被っていたローブのフードを乱暴に払いのけた。
バサッ。露わになった素顔。スクリーンに映る「聖画」と同じ、しかし泥と煤で汚れた、生身の少女の顔。
「……あ?」
司堂が動きを止めた。目の前にいる「本物」を見て、口をパクパクと開閉させる。
「り、リリ……ア……?」
「信者を捨てて逃げるのが、あなたの言う救済?」
私は冷たく言い放ち、彼を無視してステージへと歩みを進めた。頭上では、爆発で切断された巨大な鉄骨の梁が、不気味な音を立てて傾いでいた。今にも客席に向かって崩落しようとしている。
「おい! 死ぬぞ! 何考えてんだ!」
司堂の制止を背中で聞き流す。
「レン、音響は生きてる?」
「ギリギリな! マイクは死んだが、予備回線はいける!」
レンがインカムで叫ぶ。
「あと5秒で、あのでかい鉄骨が落ちるぞ! 質量は約2トンだ!」
「……軽いものね」
私はステージの中央、瓦礫の山の上に立った。スポットライトは消え、非常灯の赤い光と、あちこちで燃え上がる炎だけが私を照らしている。
逃げ惑う群衆の何人かが、ステージ上の私に気づいた。
「見ろ……あそこ!」 「少女が……立ってる……?」
ギィィィ……バキンッ!!
頭上で最後のボルトが弾け飛んだ。数トンの鉄塊が、重力に従って客席の最前列へ━━逃げ遅れた親子の頭上へと落下を始める。
「ああっ!!」
悲鳴が上がる。誰もが目を背けたその瞬間。私は右手を空へと突き上げた。
計算式、展開。対象:落下する鉄骨。操作:重力加速度の反転。および、エントロピーの局所的凍結。
「━━止まれッ!!!!」
私の叫びが、爆音を切り裂いた。




