第54話:『毒を以て毒を制す』
第54話:『毒を以て毒を制す』
公園の裏手にある備品テントの影で、私は白いローブに袖を通した。安っぽい化学繊維の感触。フードを深く被ると、視界が狭まり、世界が切り取られたように感じる。
「……似合うぜ、教祖様」
同じくローブを纏ったレンが、タブレットを操作しながら囁いた。彼女のリュックには、ハッキング用の機材が満載されている。
「茶化さないで。……吐き気がするわ」
私は自分の姿を見下ろした。これと同じ服を着た三万人が、表で私の名前を叫んでいるのだ。その集団心理の中に飛び込む恐怖で、足がすくみそうになる。
「行くぞ。……セキュリティはザルだ。司堂の雇った警備員なんて、俺のジャミングの前じゃ案山子同然だからな」
レンが先導し、私たちは関係者専用通路へと足を踏み入れた。
ステージ裏は、表の熱狂とは対照的に、ピリピリとした緊張感に包まれていた。スタッフパスを首から下げた男たちが、無線機を持って走り回っている。私たちは信者のふりをして、うつむき加減で進んだ。
『━━リリア! リリア!』
ステージの方から、地鳴りのようなコールが聞こえてくる。空気そのものが振動し、肌にビリビリと伝わる。
「……ねえ、レン」
私は小声で尋ねた。
「本当に、この人たちを操れるの?」
「操るんじゃない。……『流れ』を変えるんだ」
レンは歩きながら、耳元のインカムをタップした。
「群衆ってのは水と同じだ。今は司堂というダムに堰き止められてるが、決壊させれば濁流になる。……お前はその濁流に乗って、政府という岩盤を砕くんだよ」
非情な理屈。でも、今の私にはそれが必要だった。綺麗事だけで、悠斗を助けることはできない。
その時。レンが不意に足を止め、壁の影に私を引き込んだ。
「……ッ、静かに」
彼女の表情が一変していた。いつもの冷めた笑みではない。焦燥の色が浮かんでいる。
「どうしたの?」
「無線を拾った。……暗号化されてるが、この波長は警備員のものじゃない」
レンがタブレットを高速で操作し、傍受した音声を解析にかける。ノイズ混じりの英語が、イヤホンから漏れ聞こえてきた。
『━━Team Alpha in position (アルファ、配置についた).』 『━━Set timers for 21:00. Clear the blast radius (21時にセットしろ。爆破範囲から退避せよ).』
私の血の気が引いた。
「爆破……?」
「『ダスク』だ。……クソッ、奴らやりやがった!」
レンが低く吐き捨てる。
「奴ら、この集会ごと吹き飛ばす気だぞ」
「そんな……! ここには三万人もいるのよ!? 一般人を巻き込む気!?」
「それが狙いだろうな」
レンの瞳が冷徹に光る。
「カルト教団の集会で爆発が起きれば、世間はどう思う? ……『狂信者たちが自爆テロを起こした』、あるいは『教団内の内ゲバ』だと報じられる」
政府にとって、支持を集めすぎたこの教団は邪魔だ。そして、その混乱に乗じて私━━「被検体A」を殺害し、死体だけ回収すれば、すべての証拠を闇に葬れる。
「21時……あと5分しかないじゃない!」
私は腕時計を見た。秒針が無慈悲に時を刻んでいる。
「どうする? 逃げるか?」
レンが試すように私を見た。
「今すぐ引き返せば、俺たちは助かる。……爆発の混乱に乗じて、地下鉄へ戻ることも可能だ」
私はステージの方を見た。薄い幕の向こうには、何も知らずに祈りを捧げる数万人の人々がいる。彼らは狂信者かもしれない。でも、彼らにも家族がいて、生活があって、何かに縋りたくてここにいる弱い人間だ。
見捨てる? 私のせいで集まった彼らが、私のせいで殺されるのを黙って見過ごす?
(……ふざけないで)
私の脳裏に、あの日の悠斗の姿が浮かんだ。見ず知らずの私を庇って、トラックの前に飛び出した彼の背中。彼なら、絶対に逃げない。
「……行くわよ」
私はフードを深く被り直し、レンの手を引いた。
「逃げるんじゃない。……ステージへ」
「は? 正気か? 爆発するんだぞ」
「だからよ」
私は不敵に笑ってみせた。膝は震えているけれど、心臓は熱く燃えていた。
「毒を以て毒を制す、でしょ?」
爆弾という「毒」。カルト教団という「毒」。二つが混ざり合う最悪の瞬間こそが、唯一の勝機。
「あいつらが惨劇を望むなら……私はそれを、奇跡に変えてみせる」
私は早足で歩き出した。物理演算の準備を開始する。脳内のCPUをフル回転させろ。熱力学、運動方程式、衝撃波の減衰率。
レンが一瞬呆気にとられ、それから楽しそうに口笛を吹いた。
「了解だ、パートナー。……地獄の特等席までエスコートしてやるよ」
私たちはスタッフの制止を振り切り、眩いライトが降り注ぐステージ袖へと走り出した。タイムリミットまで、あと3分。




