第52話:『地下鉄の亡霊たち』
第52話:『地下鉄の亡霊たち』
ピチャッ、ピチャッ……。
どこか遠くで、水滴が落ちる音が反響している。カビと錆、そして淀んだ下水の臭いが入り混じった、重苦しい空気が肺を満たす。
「……おい、生きてるか? 魔法使い」
荒い息遣いと共に、私を背負ったレンが足を止めた。
「……うん。大丈夫」
「そいつは重畳。……流石の俺も、そろそろ限界だ」
レンが呻くように言い、私をコンクリートの乾いた地面に降ろした。懐中電灯の光が、周囲の闇を切り裂く。
そこは、巨大なトンネルの中だった。足元には錆びついたレール。壁には剥がれ落ちたタイルと、解読不能な落書き。かつて地下鉄が走っていた廃線跡か、あるいは戦時中に掘られた防空壕の一部か。東京の地下に広がる、地図にない迷宮だ。
「ここは『幽霊駅』だ。……昭和の時代に放棄された未成線だよ」
レンがバックパックからLEDランタンを取り出し、床に置いた。暖色系の明かりが、私たちの疲れた顔を照らし出す。
「追っ手は?」
「ここまでは来ないさ。入り口のマンホールは溶接しておいたし、Nシステムの目も届かない」
レンはその場に座り込み、ペットボトルの水を煽った。アッシュグレイの髪が汗で額に張り付いている。小柄な体で私を背負い、何キロも歩いたのだ。
「……ごめんね、レン。私が足手まといで」
私が申し訳なさそうに言うと、レンはふんと鼻を鳴らした。
「勘違いするな。お前は足手まといじゃない。『切り札』だ」
レンはニヤリと笑い、食べかけのチョコバーを半分に割って差し出してきた。
「さっきの『銃の暴発』……あれは傑作だったぜ。プロの暗殺部隊が、女子高生一人に手も足も出ずにパニックになってやがった」
「……必死だっただけよ」
私はチョコを受け取り、口に運んだ。甘さが染みる。でも、手はまだ震えていた。人を傷つけた感触。VRのマキナソルジャーとは違う、生身の人間の悲鳴が耳に残っている。
「震えるなよ。……これから俺たちがやろうとしてることに比べれば、あんなのは子供の遊びだ」
レンがタブレットを取り出し、地図アプリを起動した。表示されたのは、地上の地図━━代々木公園周辺だ。
「明日、俺たちは地上に出る。……場所はここ、代々木公園の野外ステージ裏だ」
「代々木? どうしてそんな人目につく場所に?」
「人目が必要なんだよ」
レンが画面を切り替える。そこには、上空からのドローン映像が映し出されていた。 夜の公園を埋め尽くす、白い光の海。何万本ものサイリウムと、白いローブを着た群衆。
「新興宗教『光の理』の大集会だ。……現在、信者数は三万人を超えて膨れ上がっている」
「……っ!」
画面の中の光景に、私は息を呑んだ。彼らは全員、私を━━「リリア」を崇めている。 私が放った光を神の御業だと信じ、政府に私の解放を求めてシュプレヒコールを上げている狂信者たち。
「彼らと……合流するの?」
「利用するんだ」
レンの声が、冷たく響いた。
「政府も『ダスク』も、三万人の民間人の前で派手な軍事行動は起こせない。……こいつらは最強の『人間の盾』であり、お前の『軍隊』になり得る」
「でも……! 彼らは普通じゃないわ。カルト教団よ? 利用するなんて、そんな危険なこと……」
「じゃあ、どうする?」
レンが私の言葉を遮り、鋭い瞳で射抜いてきた。
「このまま地下で腐るか? それとも、また二人きりで逃げ回って、いつかどこかの路地裏で野垂れ死ぬか?」
「それは……」
「悠斗を助けるんだろ? 世界を敵に回してでも」
悠斗。その名前が出た瞬間、私の胸が痛んだ。地下深くのシェルターで、今も眠り続けている彼。佐藤博士が命がけで守ってくれている、私の命の恩人。
「正義なんて言葉で、あいつは救えない」
レンがランタンの光越しに語りかける。その顔は、悪魔のようにも、導き手のようにも見えた。
「力が必要だ、リリア。……たとえそれが、狂気じみた信仰心であっても。数という暴力は、政府すらも黙らせる」
私は自分の手を見た。薄汚れて、傷だらけの手。でも、この手には今、物理法則をねじ曲げる力がある。
(……清く正しくなんて、もう言ってられない)
私は唇を噛み締め、顔を上げた。
「……わかった」
私の瞳に、ランタンの炎が揺らめいた。
「毒を食らわば皿まで、ね。……その教団、乗っ取ってやるわ」
「ハハッ! そうこなくちゃな!」
レンが楽しげに笑い、私の肩をバンと叩いた。
「いい顔になったじゃねえか、魔女様。……さあ、少し眠っておけ。明日は忙しくなるぞ」
レンはリュックを枕にして横になった。私も壁にもたれかかり、目を閉じる。地下鉄の風音が、遠い歓声のように聞こえた気がした。
亡霊たちは明日、地上へと蘇る。偽りの神を演じ、本物の奇跡を起こすために。




