第51話:『灯火の制御』
第51話:『灯火の制御』
プシュゥゥゥ……ッ!
白濁した煙が、猛烈な勢いで倉庫内を埋め尽くしていく。催涙ガスだ。目と喉を焼くような強烈な刺激臭に、私は咳き込みながら視界を奪われた。
「ゲホッ、ゲホッ……! レン!」
「息を止めるんだ! くそっ、早すぎる!」
レンが袖で口を覆い、私の車椅子を乱暴に押す。しかし、通用口へ向かおうとしたその時だった。
ドォォォン!!
爆音と共に、鉄扉が内側へ向かって吹き飛んだ。舞い上がる粉塵と煙の向こうから、ガスマスクを装着し、黒いタクティカルベストを着込んだ男たちが雪崩れ込んでくる。 『ダスク』の実働部隊だ。彼らの手には、サプレッサー付きのアサルトライフルが握られ、その銃口は正確に私たちを狙っていた。
「動くな! 確保する!」
リーダーらしき男の低い声が響く。赤いレーザーポインターの光点が、私の胸元と、レンの眉間に無数に踊る。
「……万事休す、か」
レンが舌打ちし、両手をゆっくりと上げた。彼女の腰には護身用のハンドガンがあるようだが、この距離と人数差では抜く前に蜂の巣だ。
「被検体A。大人しく投降しろ。……抵抗すれば、協力者のハッカーは即座に射殺する」
「……っ!」
卑劣な脅し。でも、それが彼らにとっての最適解なのだろう。私は震える手で車椅子の肘掛けを握りしめた。
(どうする? 逃げられない)
ここで『爆裂魔法』を使えば? いいえ、ダメだ。この狭い空間で爆発を起こせば、私たちも巻き添えになる。それに、今の私の体力でそんな大規模な干渉を行えば、その瞬間に意識を失う。倒れたら終わりだ。脳を摘出されて、実験材料にされる未来しか残っていない。
(考えろ……計算しろ……!)
極限状態の中で、レンの言葉が脳裏をよぎる。━━物理法則と喧嘩するな。 ━━大きなエネルギーを生む必要はない。『きっかけ(トリガー)』を引くだけでいい。
私は大きく息を吸い込み、涙で滲む目を凝らした。見るべきは敵の顔じゃない。彼らが持っている「武器」だ。
金属製の銃身。その内部に装填された、真鍮製の薬莢。そしてその中に詰め込まれた、わずかな衝撃と熱で爆発する化学物質━━火薬。
(……見える)
恐怖が、冷徹な観察眼へと変わる。彼らの銃は、精密機械だ。だからこそ、内部で「予期せぬ熱」が発生すれば、それは凶器から欠陥品へと変わる。
「……レン。伏せて」
私が小声で囁くと、レンは一瞬だけ私を見て、迷わず床に伏せた。
「確保ォッ!!」
男たちが踏み込んでくる。その瞬間、私は右手を突き出し、指をパチンと鳴らした。 イメージするのは、ライターの火をつける時と同じ。ただし、対象は六ヶ所同時。
━━標的座標、固定。━━対象:ライフル内部、薬室。━━干渉内容:火薬の分子運動を加速。温度上昇。━━実行!
『熱伝導』
ババババババッ!!!!
激しい破裂音が、敵の手元で一斉に炸裂した。
「ぐあぁぁぁぁっ!?」 「な、なんだ!? 銃が……暴発した!?」
男たちが悲鳴を上げ、武器を取り落とす。私がやったのは、火球をぶつけたわけではない。薬室内の温度をわずかに上げ、弾丸を「暴発」させたのだ。閉鎖された銃内部での爆発は、銃そのものを破壊し、彼らの手や顔に灼熱の破片を浴びせかけた。
「ひるむな! 魔法だ! 制圧しろ!」
リーダーが叫ぶが、武器を失った彼らは混乱の極みにあった。
「今だ! レン!」
「了解ッ! 最高にイカした手品だぜ!」
レンが跳ね起き、床に敷かれたマットを蹴り飛ばした。そこには、隠されたマンホールの蓋があった。
「地下水路だ! こっちへ!」
レンが蓋を開け、私を抱きかかえる。車椅子はもう持っていけない。私たちは暗い穴の中へと滑り込んだ。
ドォンッ!
レンが内側から蓋を閉め、ロックを掛けた瞬間、頭上で再び銃声が響いたが、もう遅い。分厚いコンクリートと鉄の蓋が、私たちを遮断していた。
「ハァ……ハァ……ッ!」
地下特有の湿った冷気と、腐敗臭。暗闇の中で、私たちは荒い息をついた。
「おい、リリア! 生きてるか!?」
レンが懐中電灯を点け、私の顔を覗き込む。
「……うん。生きてる」
私は自分の手を見た。震えてはいる。お腹も空いた。でも、倒れていない。意識ははっきりしている。最小限のコストで、最大の戦果(武器破壊)を挙げたのだ。
「すげぇよ、お前……。あの一瞬で、六丁の銃を同時に暴発させるなんて」
レンが興奮気味に私の肩を叩く。
「……ただの熱力学よ」
私が強がって言うと、レンはニカっと笑った。
「ああ、そうだな。……最強の物理学者様だ」
レンは私を背負い直した。
「さあ、行こう。この水路は旧地下鉄のトンネルに繋がってる。……追っ手を撒いて、反撃の準備だ」
背中で揺られながら、私は遠ざかる天井の蓋を見上げた。もう、ただ守られるだけの少女じゃない。この灯火のような小さな魔法があれば、私は闇の中でも戦える。
暗い地下水道の奥へと進む私たちの足音は、東京の地下深くで、確かな革命の鼓動を刻み始めていた。




