第43話:『黄金の檻と、リハビリテーション』
第43話:『黄金の檻と、リハビリテーション』
ガクッ。
膝から力が抜け、私は無様な音を立ててリノリウムの床に崩れ落ちた。
「……っ、うぅ……」
鋭い痛みが足首に走り、脂汗が額から噴き出す。呼吸が荒い。心臓が早鐘を打っている。魔法を使ってドラゴンと戦ったわけじゃない。ただ、平行棒に掴まって、三メートル歩こうとしただけなのに。
「はい、そこまで。休憩しましょう」
理学療法士の女性が、感情のこもっていない声で告げ、私の脇を抱えて車椅子へと戻した。彼女は私を人間として扱っていない。「高価な実験動物」が壊れないように扱っているだけだ。
私は自分の脚を見た。痩せ細り、筋肉が落ちて棒のようになった白い脚。数ヶ月もの昏睡状態は、私の肉体から立つ力さえも奪い去っていた。
(……VRでは、空だって飛べたのに)
ファンタジー世界での「リリア」の身体感覚が、まだ鮮明に残っている。無限に湧き出る魔力、鋼のような体幹、風を切って走る爽快感。その記憶と、今の鉛のように重い現実の肉体とのギャップが、私を惨めな気分にさせた。
リハビリ室を出て、長い廊下を進む。ここは病院ではない。地下数十メートルに建設された、政府管轄の極秘シェルター『第9研究棟』だ。
壁は分厚いコンクリートと防音材で覆われ、至る所に監視カメラのレンズが黒い眼球のように光っている。すれ違うのは白衣の研究員か、自動小銃を携えた警備兵だけ。
私はこの「黄金の檻」に囚われていた。表向きは「稀少な症例の保護と治療」。実態は、「生きた兵器の性能テスト」だ。
「やあ、梨花ちゃん。調子はどうかな?」
個室に戻ると、佐藤博士がタブレット片手に待っていた。部屋はホテルのスイートルームのように広く、家具も高級品で揃えられているが、窓はない。あるのは壁一面のフェイク・ウィンドウ(偽の窓)に映る、録画された東京の風景だけだ。
「……最悪です。自分のトイレさえ、看護師さんの介助がないと行けないなんて」
私が不貞腐れて答えると、博士は困ったように眉を下げた。
「すまない。だが、君の筋力低下は深刻だ。焦らず治していこう」
「そんなことより、博士。……悠斗の様子は?」
私が聞くと、博士は一瞬だけ目を逸らした。
「……変化なしだ。安定はしているが、覚醒の兆候はない」
また、同じ答え。私は唇を噛んだ。悠斗は同じ施設の集中治療室にいるはずだが、面会は週に一度、ガラス越しにしか許されていない。
「それより、今日は君の『力』について、わかったことを説明しようと思ってね」
博士は話題を変え、タブレットの画面を空中にホログラム投影した。そこには、複雑な数式と、私の脳のスキャン画像が映し出されていた。
「君が使った『魔法』……我々はこれを『量子干渉による現実改変』と定義した」
「量子……干渉?」
「ああ。君も物理学者の娘なら『シュレーディンガーの猫』は知っているね?」
箱の中の猫は、観測されるまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なり合っている。観測者が箱を開けた瞬間、確率は収束し、現実は一つに決定される。
「君の脳は、この『観測』の力が異常に強いんだ」
博士は熱っぽく語り出した。
「通常、人間が何を念じようと、現実は揺るがない。だが君は違う。君が『ここに火がある』と強く認識すると、君の脳波が周囲の量子情報に干渉し、確率論をねじ伏せて『火がある現実』へと強制的に収束させる」
博士は指を鳴らした。
「つまり、君は世界を騙しているんだよ。『本来ありえない事象』を『確定した事実』として上書き保存している。……まさに、魔法だ」
「……だから、何なんですか」
私は冷めた声で言った。博士の目は、研究対象を見る科学者の目だった。
「その力を使うたびに、私は死ぬほどお腹が空くし、頭が割れるように痛むんです」
「当然だ。現実を書き換えるには、莫大なエネルギーが必要だからね。君の脳は、スーパーコンピュータ並みのカロリーを消費している」
博士はテーブルの上のバスケットを指差した。そこには、高カロリーの栄養ゼリーやチョコレートが山積みにされていた。
「しっかり食べてくれ。君の脳は、今や国家予算を投じても惜しくない『心臓部』なんだから」
私はゼリーの一つを手に取り、強く握りしめた。国家予算。資産。兵器。大人はみんな、私を部品としてしか見ていない。
(……負けない)
私は心の中で呟いた。この檻の中で、私はただ守られているだけのか弱い少女を演じている。でも、違う。私は「リリア」だ。ノースガルドを救った魔導師だ。
私はゼリーの蓋を開け、一気に流し込んだ。甘ったるい人工的な味が、乾いた体に染み渡る。
食べてやる。リハビリも耐えてやる。そして、いつか必ずこの檻を内側から食い破り、悠斗を連れて外へ出る。
私は監視カメラのレンズを、真っ直ぐに見つめ返した。その奥にいるであろう、黒田や政府の人間たちへ、宣戦布告をするように。




