第158話:『排除プロトコルと、システムの殺意』
第158話:『排除プロトコルと、システムの殺意』
深い眠りから覚めたような、いや、強制的に意識の根底を揺さぶり起こされるような、不気味で暴力的な感覚だった。
私が空間に灯していた『発熱と発光、サーマル・イルミネーション』のオレンジ色の光球が、ふいにチカッ、チカッと不規則に明滅し始めたのだ。私が魔力の供給を止めたわけではない。空間そのものの物理法則が、外部からの強大な干渉によって「上書き」されようとしている。
ブツンッ。
無機質なノイズと共に、唯一の温もりだった光球が掻き消えた。
「……ん、教官……?」
薄い防寒シートに包まっていたソラが、目をこすりながら身を起こす。メイもまた、隣で小さく欠伸をして体を丸めた。
だが、私と悠斗はすでに跳ね起き、臨戦態勢に入っていた。
「悠斗、これ……」
「ああ。空気が……いや、空間そのものが変質している」
悠斗が四十キロの大剣『星斬り』を構えながら、地下駐車場の暗い天井を睨みつけた。
昨日まで漂っていた、ただの廃墟の冷たい空気とは全く違う。肌にまとわりつくような、ねっとりとした高密度の悪意の気配。
それまで微かに聞こえていた遠くの爆発音や、風が吹き抜ける音といった環境音、BGMが、すべて完全に『ミュート』されていた。
鼓膜が痛くなるほどの、完全な無音状態。
ソラとメイも、異常な空気を察して息を呑んだ。だが、彼らは昨日までのようにパニックを起こして泣き叫ぶことはなかった。
ソラは素早く立ち上がり、暗闇の中で銀縁眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせる。メイもまた、ソラの背中を守るように両手を前に構え、いつでも盾、シールドを展開できる態勢をとった。
昨夜の焚き火の前で誓い合った意志が、彼らの精神を確かに強靭なものへと変えていた。
……ピィィィィィィィィィィン。
突如、私たちの脳髄を直接つんざくような、耳障りな高周波の電子音が鳴り響いた。
同時に、真っ暗だった地下駐車場のコンクリートの壁や天井に、無数の赤い格子状の光の線が走り始めた。それはまるで、巨大なスキャナーの光。空間そのものが、システムによって強制的に「解析」されている様な感じだ。
「教官、あの光の線……空間の座標を確認しています! 何かが来ます……!」
ソラが、赤い光の明滅パターンを読み取りながら叫ぶ。
そして、赤い光は私と悠斗に向かってきた。
私はとっさに、霧とミラーで周囲を半円状に覆うイメージで魔法を発現した。
「ミストミラー」
赤い格子状の光は警告灯のように激しく点滅を始めた。
『……エラー検出。治験進行における重大な阻害要因、バグを確認』
空から降ってくるような、無機質で合成されたシステム音声が響いた。
それは、人間の言葉を模してはいるが、一滴の感情も宿っていない、冷酷な機械の宣告だった。
『対象:特異点指定プレイヤー・二名。治験対象者の精神負荷、ストレスレベルの上昇を著しく妨害し、不適切な感情の安定をもたらしていると判定』
『これより、当該空間の座標ごと、阻害要因の排除、パージを実行する』
「排除、パージだと……?」
悠斗が奥歯をギリッと噛み締めた。
治験AIは、この数日間で完全に学習を終えたのだ。
私たちが子供たちを庇い、生存の理を教え、彼らの心が「完全な絶望」に染まるのを防いでいることを。
AIの目的は、極限の死の恐怖による脳への負荷で、彼らを強制的に『覚醒』させること。希望を与え、お互いを守り抜くという温かい熱を分け与える私たち教官は、システムにとってただの「邪魔なバグ」でしかなかったのだ。
「……上から来るぞッ!! 全員、俺から離れるな!」
悠斗の咆哮と共に、地下駐車場の分厚いコンクリートの天井が、赤熱した溶岩のようにドロドロに溶け落ち始めた。
敵NPCの攻撃ではない。
AIのシステムが、私たちがいるこの空間の『座標そのもの』を、巨大な質量の暴力で押し潰し、消し飛ばそうとしているのだ。
「させないわよ……っ!」
私はステッキを頭上に高く掲げ、極限の集中力で空間の重力場を書き換えるイメージを走らせた。
崩落してくる何百トンものコンクリートと鉄骨に向けて、反対向きの、強烈な反発の重力場ベクトルを構築する。
「超重力圧壊、グラビティ・プレス!!」
ズドォォォォォォォォンッ!!!!
私たちの頭上で、見えない重力の傘が、崩れ落ちてくる天井の激流と正面から衝突した。
凄まじい轟音。鼓膜が破れんばかりの衝撃波が地下空間を吹き荒れる。
「くぅぅぅっ……!」
私の両腕の筋肉が悲鳴を上げ、足元のコンクリートが蜘蛛の巣状にひび割れて沈み込む。空間そのものを消し去ろうとするシステムの圧倒的な力、リソースに対し、私一人の魔力では数秒持ちこたえるのが限界だった。
「メイ!!」
「はいっ!!」
ソラの叫びに呼応し、メイが私の重力の傘のさらに内側に、黄金色に輝く流線型の『ハニカムシールド』を展開した。
ギギィィィンッ! と甲高い音を立てて、私の魔法をすり抜けてきた細かい瓦礫や熱風が、メイの盾の曲面に沿って滑り落ちていく。昨日までは怯えてうずくまっていた少女が、今は一歩も引かずに、しっかりと大地を踏みしめて私たちを護っている。
「悠斗、抜けるわよ!」
「おうッ! 道は俺がこじ開ける!!」
悠斗は四十キロの大剣を真上に振りかぶり、身体強化の限界を超えた力で、半ば溶けかかった天井めがけて跳躍した。彼の太い腕の血管が異常に隆起し、白熱した蒸気が全身から噴き出す。
「オラァァァァァァッ!!!!」
星斬りの全力の一撃が、溶解するコンクリートの分厚い層を、空気の断層ごと物理的に叩き割った。
天に向かって巨大な風穴が穿たれる。
私はソラとメイの首根っこを左右の手で掴み、悠斗がこじ開けた瓦礫の穴をすり抜けて、一気に地上へと飛び出した。
「ハァッ……ハァッ……!」
泥だらけになって地上に転がり出た瞬間、私たちは荒い息を吐きながら絶句した。
「……なんだよ、これ」
ソラが、震える声で呟く。
私たちが昨日まで駆け回っていた、灰色のビルが立ち並ぶ廃墟の街並みは、跡形もなく消え去っていた。
いや、街が消えたのではない。周囲数キロにわたる空間のすべてが、システムによって強制的に書き換え、リライトされていたのだ。
足元は、アスファルトではなく、血のように赤黒く脈打つポリゴンの大地。
空は鉛色の雲ではなく、赤いノイズが走る無数のデジタルコードが、まるで巨大な鳥籠のように私たちをドーム状に包み込んでいる。
ここはもう、某国の市街戦を模した環境ですらない。
AIが『教官を殺し、治験者を絶望させること』だけに特化して生成した、世界の果てにある悪意のコロシアムだった。
『……排除プロトコル、最終フェーズへ移行』
世界そのものから響くようなシステム音声と共に、私たちの数十メートル先、赤黒い大地がボコボコと沸騰し始めた。
そこから這い出してきたのは、人間の姿をした兵士でも、猟犬の群れでもなかった。
全長十メートルを超える、歪で巨大な泥の塊。
それが瞬く間に硬質な見た目へと変異し、ある部分は悠斗の大剣の軌道を模した鋭利な鋼の刃に、ある部分は幾何学的な形へと姿を変えていく。
「……私たちと、悠斗の戦闘データを……完全にミックスしたっていうの……?」
私は、その冒涜的な姿に背筋が凍るのを感じた。
悠斗の圧倒的な近接破壊力と、私の魔法に対抗する何かを併せ持った、規格外の怪物。
それは、進化するシステムが私たちを殺すためだけに弾き出した、明確な『特異点殺し』の解答だった。
「来るぞッ!」
悠斗が大剣を前方に突き出し、獰猛な笑みを浮かべた。
「システムが俺たちをバグ扱いするなら……上等だ。お望み通り、このクソみたいな箱庭のルールごと、根こそぎバグらせてやるッ!!」
圧倒的な質量と殺意を放つ合成獣キメラが、空気を震わせる咆哮を上げた。
赤黒いデジタルコードの鳥籠の中で、教官と次世代の子供たちの、本当に命を懸けた最終防衛戦の火蓋が切って落とされた。




