第123話:『黒魔術の解剖学(アナトミー)と、見えない毒』
第123話:『黒魔術の解剖学と、見えない毒』
ロンドン中心部、ユーロポール広域捜査局の地下深くに位置する特別尋問室。
無機質なコンクリートの壁に囲まれたその部屋は、冷たい蛍光灯の光に照らされ、消毒液と微かな血の匂いが漂っていた。
マジックミラー越しに見える取調室の中では、先ほど私たちが捕らえた『切り裂きジャック』を名乗る男が、両手両足を重厚な拘束具で固定されていた。薬が切れてきたのか、彼は虚ろな目で天井を見つめ、ブツブツと意味不明なうわ言を繰り返している。
『……信じられん。彼の血液からは、致死量の十倍を超える複数の幻覚剤と興奮剤、そして未知の化学物質ドラッグが検出された。普通なら、とっくに心臓が破裂して死んでいるはずだ』
アーサーが、手元のタブレットに表示された検査結果を見つめながら、苦悩に満ちた声で唸った。
彼の整った顔には、深い疲労と混乱の色が浮かんでいる。科学と論理を信奉する彼にとって、薬物で生かされ、あまつさえ「炎の刃」を作り出した男の存在は、自身のアイデンティティを根底から揺るがすバグでしかないのだろう。
「日本やアメリカで行われている、アルメルシアのシステムを利用した正規の治験では、こんな麻薬のようなものは絶対に使用しないわ。……これは、全く別のアプローチのものだと思うわ」
私は腕組みをして、マジックミラーの向こうの男を見据えた。
「別のアプローチって?」
悠斗が怪訝そうに尋ねる。
「強烈な『洗脳』による、脳の強制的な開花よ」
私は、さっき男が描いていた魔法陣を思い出しながら言った。
「恐らく、薬漬けにして意識を朦朧とさせたところに、『悪魔との契約』だの『魔術』だのといった強烈な暗示や妄想を、何度も何度も反復して働きかけるの。そうやって極限状態の脳を騙し続け、通常では使われない脳神経の新たな領域━━異能のスイッチを、強引にこじ開けているんだわ」
『……薬物とカルトの洗脳儀式を掛け合わせている、ということか』
アーサーが眉間を揉みほぐしながら呻いた。
「ええ。だからこそ、彼らはわざわざ血で『魔法陣』を描き、長い『呪文』を唱えていた。……あの回りくどい儀式、プロセスそのものが、彼らの脳に異能を引っ張り出すための『刷り込みのトリガー』になっているのよ」
私はアーサーに向き直った。
「アメリカのような単純な力任せの破壊なら、物理学で簡単に相殺できる。でも、彼らのように『オカルトの儀式と暗示』をベースにした魔法は、どんな異常な現象、呪いを引き起こすか予測がつきにくいわ」
『……君たちの言うことが事実なら、我々は狂信者の亡霊と戦っているようなものだな』
アーサーは懐中時計を取り出し、カチリと蓋を開けた。
『だが、オカルトだろうが何だろうが、奴らが現行法を犯す犯罪者であることに変わりはない。……そろそろ、薬の出処を吐かせよう。一緒に中へ入ってくれるか』
私たちは頷き、アーサーと共に冷たい鉄の扉を開けて取調室へと入った。
『……ヒヒヒ。何だ、豚ども。私を裁判にかける気か? 無駄だぞ、私には偉大なる「御方」の加護がある……』
男は私たちを見るなり、血走った目を剥いて嘲笑った。
『その「御方」とやらの名前を言え』
アーサーが机に両手を突き、冷徹な声で男を威圧する。
『お前にその薬……「賢者の石の欠片」を与え、暗示をかけてロンドンの街を汚させている黒幕は誰だ。答えれば、少しは刑を軽くしてやれるかもしれないぞ』
『ヒャハハハ! 刑だと? 愚かな! 我ら「薔薇の血族」は、いずれこの腐った世界を浄化し、至高の黄金郷を打ち立てるのだ! お前らのような下等な人間、鉛に、偉大なる錬金術師の御名は……っ!?』
男が狂ったように叫び立てていた、その時だった。
突如として、男の言葉が途切れた。
彼の目が見開かれ、顔面が土気色に変わっていく。
『ガッ……アッ……!?』
「おい、どうした!?」
悠斗が咄嗟に男に駆け寄ろうとしたが、私は本能的な悪寒を感じて彼を止めた。
「待って、悠斗! 何かおかしいわ!」
男の体温が、尋常ではない速度で上昇していくのが、私の魔法の感知領域に伝わってきた。
いや、熱だけではない。彼の体内の「何か」が、細胞レベルで急速に腐敗し、溶け出している。
『ゴボッ……ァァァァァァッ!!!!』
絶叫と共に、男の口からドス黒い血液が噴き出した。
ただの血ではない。それは強烈な酸の匂いを放ち、金属の机をジュウジュウと音を立てて溶かし始めた。男の皮膚の下を、黒い葉脈のようなものが這い回り、彼の命を急速に食い破っていく。
『おい! 医療班を呼べ! 早くっ!』
アーサーが取調室の外に向かって叫ぶが、もう手遅れだった。
「呪い……遠隔からの、命の強制終了スイッチ……!」
私は戦慄した。
これが、暗示と洗脳で作られたヨーロッパの魔法。アメリカのように物理的に吹き飛ばすのではない。体内に仕込まれた『暗示』そのものを触媒にして、裏切ろうとした者の命を内側から泥のように溶かす、陰湿で残酷な黒魔術。
『薔薇の……偉大なる……ローゼン……バー……』
男はうわ言のように言葉を濁らせながら、最期に左手を虚空へと伸ばした。
そして、白目を剥いてガクリと首を垂れ、完全に動かなくなった。
彼が握りしめていた左手から、コロン、と小さな空のガラス小瓶が転がり落ちた。
「……死んだわね。細胞が完全に壊死してるように見える」
私が静かに告げると、アーサーは力強く壁を殴りつけた。
『クソッ……! あと少しで核心を突けたのに! 何という……おぞましい殺し方だ』
「アーサー。彼、最期に何か言おうとしていたわね」
悠斗が、机の上で酸に溶けかかっている小瓶を、ハンカチ越しに拾い上げた。
「薔薇の、ローゼン……って聞こえたが」
『ローゼンバーグ、だ』
アーサーの顔色が、さっと青ざめた。
『間違いない。小瓶に刻まれたこの紋章……剣に絡みつく薔薇。これは、フランスの歴史に名を残す名門貴族、「ローゼンバーグ家」の紋章だ』
「フランスの貴族……。それが、今回の事件の黒幕ってことね」
私は、小瓶に刻印された不気味な紋章を睨みつけた。
『……ああ。彼らは表向きは由緒ある名家だが、裏では何世紀にもわたってヨーロッパの闇社会を牛耳ってきたと噂される「古い血族」だ。まさか、奴らがこの魔法薬と洗脳の密造に関わっていたとは……』
アーサーは懐中時計を強く握りしめ、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「謎は解けたわね。供給源、ソースは、海を越えた先にある」
私はステッキを握り直し、悠斗と顔を見合わせた。
アメリカでの戦いは、言わば「力と力のぶつかり合い」だった。しかし、次に私たちが相対するのは、歴史の闇に潜み、人の心と命を虫けらのように使い捨てる、底知れぬ悪意だ。
「行くぞ、アーサー」
悠斗が、大剣の柄に手をかけて言った。
「暗示だろうが呪いだろうが、元を断たなきゃ終わらねぇ。……フランスまで、案内してくれるんだろ?」
アーサーは深く息を吐き出し、私たちを、いや、私たちが纏う「得体の知れない力」を真っ直ぐに見つめ返した。
『……君たちに、ユーロポールの全権限でのバックアップを約束しよう。……この狂った錬金術師どもを、我々の大陸から一掃するために』
霧の都での短い滞在は、最悪の形での幕開けとなった。
私たちは次なる舞台━━花の都パリ、そしてその奥深くにある「黄昏の古城」へと向かうため、ドーバー海峡を越える準備を始めた。




