第111話:『永久凍土の砂上の門と、蠢く巨大要塞』
第111話:『永久凍土の砂上の門と、蠢く巨大要塞』
氷点下三十度のブリザードが、ステルス輸送機の黒い装甲を叩きつけていた。
日本を出発してから数時間。私たちは国境を越え、ユーラシア大陸の奥深く━━アルタイ山脈の上空へと到達していた。
機内は、張り詰めた沈黙に支配されていた。赤い非常灯の下で、真田大尉率いる十二名の精鋭たちは、それぞれの武器の手入れやパラシュートの最終確認を黙々と行っている。彼らの瞳に迷いはない。国を捨てる覚悟を決めた男たちの、研ぎ澄まされた静かな殺気だけがそこにあった。
「……そろそろね」
私は、厚手の防寒スーツの上から支給されたタクティカルベストのベルトを締め直した。
吐く息は白く濁り、機体の壁から伝わる冷気が、容赦なく体温を奪っていく。それでも、心臓の奥底では、決して消えることのない熱い炎が燃えていた。
「寒いか、梨花」
隣に座る悠斗が、私の震える手に自分の大きな手を重ねた。彼の手は、相変わらず温かかった。
「ううん。武者震いよ」
私は強がって笑ってみせた。悠斗の背中には、四十キロの鉄塊『星斬り』が静かにその出番を待っている。
『━━目標ポイント上空に到達。これより降下シークエンスに入る』
操縦席からのアナウンスと共に、機体後部のハッチが開いた。
途端に、ナイフのように鋭い極寒の吹雪が機内へと雪崩れ込んでくる。眼下に広がるのは、月明かりすら届かない、漆黒の永久凍土と険しい岩肌の連なりだった。
「行くぞ! 作戦名『オペレーション・ウェイクアップ』、開始ッ!」
真田大尉の号令と共に、黒い装束の隊員たちが次々と夜の闇へと飛び出していく。
「私たちも行きましょう、悠斗」
「ああ。……絶対に離れるなよ」
私たちは手を取り合い、荒れ狂うブリザードの中へと身を投げ出した。
落下する激しい風切り音の中で、私はステッキのクリスタルに意識を集中させる。落下速度を殺すための『減速』のイメージ。
私たちの身体は、空気を踏みしめるようにして緩やかに高度を下げ、雪に覆われた険しい山の中腹へと音もなく着地した。
そこは、切り立った崖の間の窪地だった。
そして、私たちの目の前には、巨大な絶望の壁が立ちはだかっていた。
「……これが、核シェルターの入り口か」
悠斗が、降りしきる雪を払いながら見上げた。
山肌に埋め込まれるようにして存在する、高さ十メートル、幅二十メートルにも及ぶ巨大な防爆ゲート。それは冷戦時代の遺物であり、現代の兵器による空爆ですら傷一つつけられない、純粋な物理の要塞だ。
「レン、聞こえる?」
私は耳元のインカムをタップした。東京の地下から、通信衛星を経由して彼女のバックアップを受けている。
『ああ、感度良好だ。……だが、嫌な知らせがある』
ノイズ混じりのレンの声が響いた。
『敵のジャミングがキツくて、内部のネットワークに侵入できない。おまけに、そのゲートはアナログな油圧式だ。外からハッキングで開けるのは不可能だぞ』
「想定内よ。……物理的な壁なら、私たちがこじ開ける」
私はステッキを構え、分厚い鋼鉄のゲートへと歩み寄った。
「悠斗、真田大尉。下がっていてください。……一気にいきます」
私が深く息を吸い込むと、悠斗は『星斬り』を構えて私の斜め後ろに立ち、真田大尉たちは周囲への警戒態勢をとった。
イメージを研ぎ澄ませ。
相手は数十センチの厚みを持つ特殊合金。だが、どんなに硬い金属でも、原子と分子が結びついて構成されている事実に変わりはない。
鉄の結晶格子。自由電子の海に浮かぶ陽イオンの結びつき。その『金属結合』を司る電磁気力への直接的な介入。
引力を、斥力へ。
結合の定数を、極限までゼロへと書き換えるイメージ。
「……解けろ。『分子結合分離』ッ!」
ステッキの先端から放たれた不可視の波紋が、巨大な鋼鉄のゲートの表面を撫でた。
パァァァッ……という、微かな光の瞬き。
次の瞬間だった。核兵器の直撃すら耐えるはずの数千トンのゲートが、一切の爆発音もなく、まるで乾いた砂の城のようにサラサラと音を立てて崩壊し始めたのだ。
結合を失った特殊合金は、ただの細かな金属粉へと姿を変え、足元に灰色の山を作っていく。
「な、なんだと……!?」
背後で、真田大尉が驚愕の声を漏らした。鋼鉄を氷のように砕くのではなく、その存在自体を砂に変えてしまう、魔法という名の事象改変の恐ろしさに。
「悠斗! 吹き飛ばして!」
「おうっ!!」
悠斗が雪を蹴り上げ、崩れゆく金属砂の山に向かって四十キロの大剣を一閃した。
ドゴォォォォォンッ!!
『剛剣』が放つ凄まじい真空の嵐が、山積みになった金属の粉塵を一気にトンネルの奥へと吹き飛ばす。
煙が晴れた後には、完全に行き口を開かれた広大な闇の通路だけが残されていた。
「……突破完了。内部に突入する!」
真田大尉が我に返り、部下たちに前進の指示を出した。
私たちは雪煙を抜けて、施設の内側━━巨大なトンネル状の通路へと足を踏み入れた。
そこは、外の吹雪が嘘のように静まり返っていた……のは、ほんの数秒のことだった。
ウゥゥゥゥゥゥンッ!!!!
施設全体を揺るがすような、耳をつんざく警報サイレンが鳴り響いた。赤いパトランプが回転し、コンクリートの通路が血の色に染まる。
無敵の防爆ゲートが一瞬で消失した異常事態に、基地の防衛システムが即座に反応したのだ。
「前方に多数の熱源! 来るぞ!」
隊員の一人が叫ぶ。
通路の奥から、重武装の兵士たちが雪崩を打って押し寄せてきた。彼らは「ドール」ではない。焦燥と恐怖の表情を浮かべ、互いに怒号を交わしながら銃を構える、生身の正規兵たちだ。二千のドールを運用する巨大施設を維持するためには、当然、彼らのような無数の警備兵や研究員が必要なのだ。
「撃てッ! 侵入者を殺せ!」
ロシア語訛りの怒声と共に、無数の銃弾が暗闇を切り裂いて私たちに襲いかかる。
「前衛、シールド展開! 瀬戸、神崎、後ろに回れ!」
真田大尉が素早く指示を出すが、悠斗は言うことを聞かなかった。
「生身の人間なら、手加減してやるよッ!」
悠斗が『身体強化』を発動させ、弾幕の隙間を縫うようにして一気に距離を詰める。
狙うのは人ではない。彼らが構える銃器と、その足元だ。
ドゴォォォォォォンッ!!
大剣の峰による薙ぎ払いが、強烈な衝撃波を生み出し、先頭の兵士十数人を一気に吹き飛ばした。銃が飴細工のように曲がり、彼らは悲鳴を上げて壁に激突する。
「な、なんだこいつは!?」
「バケモノだ! 撃ち続けろ!」
パニックに陥った兵士たちが乱射を続ける。
「させない……『重力圧』!」
私はステッキを突き出し、彼らの頭上の空間の重力定数を書き換えた。
ズンッ! と見えない巨大な手がのしかかったように、通路を埋めていた数十人の兵士たちが一斉に床に這いつくばった。彼らは自身の体重の数倍の重みに耐えきれず、銃を取り落として呻き声を上げる。
「……よし、突破するぞ!」
真田大尉たち戦術班が、倒れた兵士たちを非致死性のスタン弾などで素早く制圧しながら前進する。
生身の兵士たちには、私たちの異能はあまりにも規格外すぎた。
居住区、データセンター、巨大な発電施設。
私たちは無数の区画を駆け抜け、立ち塞がる警備部隊を次々と無力化していった。通路の先々で、白衣を着た研究員やオペレーターたちが悲鳴を上げて逃げ惑う姿が見える。巨大な要塞が、たった十数人の侵入者によって内部から崩壊していく。
やがて、私たちは最深部へと続く分厚い隔壁を突破し、巨大な地下空洞へと出た。
「……なんだ、ここは」
悠斗が歩みを止め、息を呑んだ。
ドーム状の広大な空間。そのすり鉢状になった底の底に、心臓のように脈打つ巨大な黒い円柱━━『マザーサーバー』が鎮座している。
その周囲には、数百人の警備兵がバリケードを築き、最後の防衛線を敷いていた。
だが、私たちを本当に絶望させたのは、その光景ではない。
ドームの壁面を埋め尽くすように、ハチの巣のような無数のVRカプセルが設置されていた。
プシュゥゥゥ……と、白い蒸気を吐き出しながら、そのカプセルが一斉に開いていく。
「……嘘でしょ」
私はステッキを握る手を震わせた。
中から現れたのは、ダボついた迷彩服を着た少年少女たち。こめかみには『制御チップ』が青く明滅している。
一つ、二つではない。百、千、二千……。
それは、人間の悪意が造り出した、痛覚も感情も持たない「量産型ドール」の軍団だった。
カチャッ。カチャッ。
彼らは虚ろな瞳のまま、一糸乱れぬ動きで銃を構え、壁面から次々と飛び降りてくる。
その人間離れした動きと不気味なほどの静けさに、マザーサーバーを守っていた生身の警備兵たちでさえ恐怖に顔を引き攣らせ、後ずさりを始めていた。
『━━侵入者、確認。これより、排除を開始する』
二千のドールが、全く同じトーンで、一つの機械音声のように言葉を発した。
「……レン。どうやら、最悪の歓迎会が始まったみたいよ」
私は膝の震えを必死に堪え、インカムに向かって呟いた。
『逃げろ! 空間の広さが違いすぎる、囲まれたら終わりだ!』
レンの焦燥に満ちた声が響く。
「逃げねぇよ」
悠斗が、私を庇うようにして前に出た。
彼は大剣を肩に担ぎ、二千の絶望を見下ろしながら、獰猛な笑みを浮かべた。
「あの最悪な世界で、俺たちが何万体の魔物を斬ってきたと思ってんだ? ……こいつら全員、チップだけぶっ壊して黙らせてやる」
「……ええ」
私はステッキを握り直し、クリスタルに強烈なイメージを灯した。
怯えている暇はない。彼らの頭の中のチップを焼き切り、あの忌まわしいサーバーを破壊するまで、私たちの戦争は終わらないのだから。
「撃てェェェェッ!!!!」
真田大尉の咆哮と共に、アサルトライフルの閃光が暗闇を切り裂いた。
二千の操り人形と、一握りの反逆者たち。
永久凍土の地下深くで、決して歴史には残らない、世界を救うための凄惨な最終決戦の火蓋が、今、切って落とされた。




