第106話:『血の匂いのしない戦場と、教官の鉄槌』
第106話:『血の匂いのしない戦場と、教官の鉄槌』
「……これより、第3世代適合者の実戦シミュレーションを開始する」
防衛省地下、VRダイブ専用の隔離室。
無機質なスピーカーから流れる黒田局長の声と共に、私と悠斗、そして新人の二人━━橘光輝(19歳)と結城咲(14歳)は、それぞれ白いカプセルの中で目を閉じた。
かつて私たちを苦しめ、悠斗の心を檻に閉じ込めた『アルメルシア』の技術。それを、今度は新しい少年少女を「兵器」として訓練するために使っている。その凄惨な皮肉に、吐き気がした。
『━━ダイブ・シークエンス開始。痛覚フィードバック、30%に設定』
レンのオペレート音声が響き、視界が真っ白な光に包まれる。
重力が反転するような浮遊感の後、私たちは「仮想の戦場」へと降り立った。
***
そこは、薄暗い曇天の下に広がる、廃墟と化した市街地だった。
崩れかけたビル群、ひしゃげた車、そしてアスファルトの亀裂。某国が展開している実際の戦場データを基に構築された、極めてリアルな箱庭。
だが、本物の戦場と決定的に違う点が一つある。ここには「血の匂い」がしないことだ。
「すげぇ……! これがフルダイブかよ。現実と全く区別がつかねぇ!」
金髪の青年、光輝が自分の手を握ったり開いたりしながら、興奮気味に声を上げた。
彼の服装はストリートギャングのようなラフな格好だが、その両手にはスタンガンのような機械的なガントレットが装備されている。
「リ、リリア様! 私、頑張ります!」
セーラー服の上にタクティカルベストという、ちぐはぐな装備を身につけた咲が、私に向かってブンブンと手を振った。彼女の瞳は、ゲームのチュートリアルを前にしたプレイヤーのように、無邪気な好奇心で輝いている。
「……いいか、ルールは簡単だ」
悠斗が、背中の大剣『星斬り』の柄に手をかけたまま、冷たく言い放った。
「俺が敵役だ。お前ら二人でかかってこい。制限時間は十分。俺に一撃でも入れられたら、お前らの勝ちだ」
「マジ? 相手は二人だぜ、センパイ。ハンデはいらねぇのか?」
光輝が余裕の笑みを浮かべる。
私は上空の「観戦モード、安全地帯」へと浮かび上がり、彼らを見下ろした。
悠斗は剣を抜かず、ただだらりと両手を下げて立っている。
「ハンデ? ……ああ、じゃあ俺は剣を使わない。素手で相手をしてやる」
「舐められたもんだぜ。……行くぞ、中学生!」
「は、はいっ! 『遠隔透視』、展開!」
咲が両手を額に当て、目を閉じる。
彼女の脳内に、この廃墟の立体マップが俯瞰で展開されているはずだ。壁の向こう、瓦礫の下、あらゆる遮蔽物を透過して敵の位置を特定する「千里眼」。
「神崎センパイ、右のビル裏に隠れました! 距離二十メートル、真っ直ぐこっちに向かってきます!」
咲の的確なナビゲート。
「ビンゴだ。……なら、歓迎会をしてやるよ!」
光輝がニヤリと笑い、廃ビルの壁面を通る太い送電ケーブルにガントレットを押し当てた。
彼の能力『電子操作』。
バチバチッ! と青白いスパークが走り、光輝の意志に従って電流がビルの配電盤へと逆流していく。
「そこだッ!」
ドガァァァァァンッ!!
悠斗が潜んでいるはずの路地裏で、大爆発が起きた。
光輝が配電盤を意図的にショートさせ、周囲の瓦礫ごと吹き飛ばすトラップを仕掛けたのだ。もうもうと立ち昇る黒煙。
「よっしゃ! 直撃だぜ!」
光輝がガッツポーズを取る。咲も「やりましたね!」と安堵の表情を浮かべた。
「……どこを見てる」
その声は、光輝の背後、わずか数センチの距離から聞こえた。
「なっ!?」
煙が晴れるよりも早く。
背後に立っていた悠斗が、無造作に光輝の足払いを放った。
ゴッ! と鈍い音が響き、光輝の体が空中に浮く。悠斗はそのまま光輝の胸ぐらを掴み、コンクリートの地面へと力任せに叩きつけた。
「ガハッ……!?」
「痛覚30%でも、息くらいは詰まるだろ?」
悠斗は倒れ伏した光輝の首筋に、冷たい手刀をピタリと添えた。
「ば、馬鹿な……咲! お前、位置を……!」
「ご、ごめんなさい! 急に、視界から消えて……っ!」
咲がパニックに陥り、後ずさりする。
「お前は『目』に頼りすぎだ」
悠斗は光輝を見下ろし、氷のような声で告げた。
「俺は爆発が起きるコンマ一秒前に、死角を利用してビルの壁面を駆け上がった。お前の相方は、平面の動きしか追えてなかったんだよ。……実戦なら、今のでお前は首の骨が折れて死んでる」
「クソッ……!」
光輝がガントレットから放電しようとするが、悠斗はその手首を容赦なく捻り上げ、関節を極めた。痛覚フィードバックにより、光輝が悲鳴を上げる。
「ひぃっ……!」
それを見た咲が、腰から支給用のハンドガンを震える手で抜き取った。
しかし、銃口はカタカタと揺れ、狙いが定まらない。彼女は人を撃ったことなどない、ただの中学生なのだ。
悠斗が、ゆっくりと咲の方へ向き直った。
その瞬間、仮想空間の空気が凍りついた。
彼から放たれる、圧倒的な『殺気』。あの崩壊した世界で、幾千の魔物を斬り伏せ、己の命をすり減らしてきた本物の戦士だけが持つ、死の気配。
シミュレーターとはいえ、その精神的なプレッシャーは本物だ。
「う、あ……」
咲の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
息ができない。指が動かない。獲物に睨まれた蛙のように、彼女はその場にへたり込んでしまった。銃が乾いた音を立てて床に落ちる。
悠斗は一歩、また一歩と咲に近づき、彼女の目の前で立ち止まった。
「……泣けば、敵が見逃してくれるのか?」
悠斗の言葉は、鋭い刃のように容赦がなかった。
「テレビの向こうのヒーローに憧れて、こんな場所に来たのか。……お前が今直面しているのは、ゲームオーバーになればリセットできる遊びじゃない。死ねば二度と家に帰れない、殺し合いだ」
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」
咲は頭を抱え、子供のように泣きじゃくった。
「……そこまでよ、悠斗」
私は観戦モードを解除し、二人の間にふわりと降り立った。
悠斗は小さく舌打ちをし、放っていた殺気をスッと収めた。
「少し、やりすぎよ」
私が咎めると、悠斗は視線を逸らした。
「……これくらいで心が折れるなら、実戦に出る前に辞めさせた方がいい。あいつらのためだ」
そう言い残し、悠斗は光輝の手首を解放して、背を向けて歩き出した。
厳しい態度。けれど、それは彼なりの優しさだ。本物の戦場で某国の「ドール」たちに惨殺されるくらいなら、ここでトラウマを植え付けてでも一般社会に帰してやりたいのだ。
「立てる?」
私はしゃがみ込み、震えている咲の背中を優しく撫でた。
「リリア様……私、ダメです。怖くて、何もできなくて……」
咲が私の胸にすがりつき、わあわあと声を上げて泣き始めた。私は彼女の細い体を抱きしめながら、静かに語りかけた。
「怖くて当たり前よ。私も、最初は逃げ出したくてたまらなかった」
「え……?」
「でもね、咲ちゃん。私たちは『誰かを傷つけるため』にこの力を持ったんじゃない。……大切な人が泣かないように、理不尽な悪意から『守るため』に戦うの」
私は、倒れたまま悔しそうに拳を握っている光輝と、涙で顔をぐしゃぐしゃにした咲を見渡した。
「ゲームの魔法は、敵を倒すためにある。でも、現実での力は……生き残るためのものよ。もし本当に誰かを守りたいと思うなら、その恐怖を受け入れて、立ち上がりなさい」
大人の都合で法律が歪められ、こんな子供たちまでが兵器としてカウントされる狂った世界。
私が彼らを本当の意味で救うには、優しく慰めるだけではダメだ。
彼らが死なないための「戦い方」を教え、そして……彼らが戦わなくても済むように、一日も早くこの異能戦争の元凶を叩き潰さなければならない。
『……訓練終了。全機、ログアウト・シーケンスへ移行』
黒田の声と共に、仮想の廃墟が白い光に溶けていく。
血の匂いのしない戦場で、二人の少年少女は、初めて「戦争」の本当の重さを知ったのだ。




