第105話:『合法化された生贄(いけにえ)と、無垢な志願兵』
第105話:『合法化された生贄と、無垢な志願兵』
日本海上のプラント奪還作戦から帰還した私たちは、シャワーを浴びて泥と潮の匂いを落とす間もなく、防衛省地下の作戦司令室へと呼び出されていた。
「初陣にしては、悪くない結果だ」
円卓の向こう側で、CIAのキャンベルが淹れたてのコーヒーを啜りながら、ニヤリと笑った。
「だが、所詮は局地的な防衛に過ぎない。君たち『セクション・ゼロ』が日本海で遊んでいる間にも、某国のドール部隊は国境付近で活動を拡大している。……やはり、たった二人の高校生に国の命運を預けるなど、日本の防衛省は正気ではないな」
「キャンベル顧問。彼らは遊びで行ったわけではない」
作戦に同行した真田大尉が、険しい顔でキャンベルを睨みつけた。
「彼らの異能は、我々プロの戦術を遥かに凌駕する。彼らがいなければ、部隊は半壊していたはずだ」
「個人の武勇伝など聞いていないよ、大尉」
キャンベルは肩をすくめた。
「私が言っているのは『数の暴力』の話だ。某国の工場では、今この瞬間も百人単位でドールが量産されている。対して、日本側の覚醒者は瀬戸と神崎の二人だけ。彼らが寝ている間に国が滅ぶぞ」
キャンベルの言葉には、反論できない鋭さがあった。
私と悠斗は無言で顔を見合わせた。どれだけ魔法が強力でも、私たちは分身できない。あの施設で見た、虚ろな瞳の少年少女たち。あんな兵士が何百人も押し寄せてきたら、絶対に守り切れない。
「だからこそ、我が国が主導して『日米合同の防衛ライン』を構築すべきだと言っている。我々のアメリカ軍の『実戦データ』と、彼らの『異能』をすり合わせるための合同演習を行おうじゃないか」
キャンベルの提案は、実質的な「日本の戦力分析」と「アメリカの優位性の誇示」だった。
しかし、黒田局長は眼鏡の奥の目を細め、静かに口を開いた。
「合同演習の件は承諾しましょう。……ですが、キャンベル顧問。我が国の手駒が『二人だけ』だというのは、少々情報が古いですね」
「……何?」
キャンベルが眉をひそめる。
黒田はコンソールを操作し、壁面のメインモニターに新しい資料を映し出した。
「我が国も、ただ指をくわえて特異点の二人を酷使するつもりはありません。すでに『第3世代』の適合者治験は次のフェーズへ移行しています。……瀬戸さん、神崎君。君たちにも紹介しておきましょう」
モニターに映し出されたのは、無機質なVRカプセルが並ぶ、どこか別の研究施設の映像だった。そして、画面の端には二人の若者の顔写真付きのプロファイルが表示されている。
「彼らは、新たに覚醒の兆候を見せた『特別防衛協力員』です」
私は、その写真の一枚を見て息を呑んだ。
一人は、金髪にピアスを開けた、柄の悪そうな19歳の青年(橘 光輝)。
そしてもう一人は━━どう見ても、中学生の女の子(結城 咲)だった。
「……ふざけないで」
私は両手を円卓に叩きつけ、黒田を睨みつけた。
「この子、14歳って書いてあるじゃない! 中学生よ!? 子供を戦場に引きずり出す気!?」
「瀬戸梨花。君もまだ16歳ですがね」
黒田は冷淡に事実を突き返した。
「それに、彼女たちは拉致されたわけではない。自らの意志で治験に志願し、適性を示した者たちです。某国の非人道的な『ドール』とは違う」
「志願したって……中学生の志願なんて、法律が許すわけないでしょ! 親は何をしてるのよ!」
「法的には、何の問題もありません」
黒田が淡々と、しかし決定的な言葉を告げた。
「先週、国会で極秘裏に『特定異能適性者に関する防衛協力特別措置法』が可決されました。国家の非常事態において、適性を持つ未成年を『防衛協力員』として運用することを合法化する超法規的措置です。……当然、親権者の同意書にはサインをもらい、莫大な国家補償金を支払っています」
「……っ!」
私は言葉を失った。
親が、お金と引き換えに子供のサインに同意した?
いや、それだけじゃない。「光の理」の信者たちのように、私のことを狂信的に崇拝している親なら、「女神の戦いに娘を参加させる」ことを名誉だとすら思うかもしれない。
「狂ってる……」
悠斗が、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「大人の都合で法律を捻じ曲げて、子供を戦争の道具にするのかよ」
「国を守るための、苦渋の決断です」
黒田は一切の表情を変えずに言った。
「君たちに、彼らの『教官』をしてもらいたい。……実際に仮想空間の残骸へダイブし、実戦を経験している君たちにしか、彼らを導くことはできない」
「断るって言ったら?」
私が睨みつけると、黒田は小さくため息をついた。
「自由ですが、その場合、彼らは未熟なまま実戦に投入され……高確率で死ぬでしょうね」
卑怯だ。
完全に私たちの弱みを握っている。自分たちが教えなければ、あの中学生の女の子が、あの虚ろな瞳の兵士たちに殺される。そんなの、見殺しにできるわけがない。
「……案内しろよ。その『第3世代』のところに」
悠斗が、怒りを押し殺した声で言った。
黒田は頷き、部下にドアを開けさせた。キャンベルが面白そうに鼻で笑う音を背中で聞きながら、私たちはさらに地下深くの施設へと向かった。
***
「あ……! り、リリア様……っ!」
分厚い防爆ガラスの向こう。
訓練室に入った私を見るなり、その中学生の女の子━━結城咲は、顔を真っ赤にしてパァァッと表情を輝かせた。
支給されたブカブカの防護スーツを着た彼女は、まるで憧れのアイドルに会ったかのように、両手で口元を覆って震えている。
「本物だ……! 私、代々木公園の配信、何度も見ました! リリア様みたいになりたくて、私、お母さんにお願いして……!」
純粋で、無垢な憧れの瞳。
彼女は何もわかっていない。この力が、どれほどの血と痛みを伴うものなのか。自分がこれから、どんな凄惨な殺し合いの舞台に立たされるのかを。
「……おいおい、テンション高すぎだろ中学生。お遊戯会じゃねぇんだぞ」
隣でガムを噛んでいた金髪の青年━━橘光輝が、呆れたように肩をすくめた。
「俺はハッキングの罪をチャラにするための司法取引で来ただけだがな。……アンタが神崎悠斗か? よろしく頼むぜ、センパイ」
光輝が軽いノリで手を差し出してくる。
悠斗はその手を無視し、ただ冷たく、鋭い瞳で二人を見据えた。
「……遊び気分なら、今すぐ帰れ」
悠斗の地を這うような声に、咲の肩がビクッと跳ねた。
「ここは、ヒーローごっこをする場所じゃない。……お前らが憧れてるその力は、人を殺すための道具だぞ」
冷や水を浴びせられたように、訓練室の空気が凍りつく。
私は悠斗の厳しさを痛いほど理解できた。彼は、この子たちに自分と同じ「人殺しの業」を背負わせたくないのだ。
合法化された生贄たち。
狂っていく世界の中で、私たちは彼らをどう導けばいいのだろうか。
防衛省の冷たい地下室で、私はひどい目眩に襲われていた。




