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どこまでも透き通るような青空のもと,迷子になった私は,再び塔と塔を結ぶ屋外の渡り廊下に戻ってきていた。まるで,キツネか狸にでも化かされてるみたいに,同じところをぐるぐる回ってしまうのだ。
うーん…なんでだろ…。
ほとんど諦めモードに突入した私は,空を見上げながらボーっとしていた。
それにしても,さっきから空を飛んでるの…なんていう生き物なんだろ?
白いもこもこな毛並みの生き物に,真っ白な翼がついている。例えるなら,ウサギに羽をつけたような生き物である。そのウサギもどきが飛んでいる遥か上空には…ドラゴンのような生物が悠々と空を駆けている。
もう,今さら驚かないけど…すごい光景だな…。
ウサギもどきくらいなら,手を伸ばせば触れられそうだ。捕まえて柔らかそうな毛並みを味わってみたいけど…訳の分からない生物に手を出すのは危険すぎるよねぇ…。
はあ…。とりあえず部屋の前に戻った方がいいかな…。
空を見上げていた視線を下に向け,広大な庭園を観察してみる。
庭園にいる人に向かっておーいと大きく手を振ってみても,人影は全くこちらに気付かない。
かなり高い塔にいるもんな…。声も届かないし,向こうからこっちをみても私一人の人影なんてちっぽけだろう。暇つぶしに庭園にみえる人影を数えてみると,おおよそ20人ほどいるらしい。
昨夜見かけたような,軍服に身を包んだ人や,お屋敷の使用人と思われるメイドさんや執事っぽい人,魔法使いみたいなローブを羽織った人など,様々である。
しかし,身につけている衣服が見えるくらいで,顔まではよく分からない。
色んな人が行ったり来たりと慌ただしいけれど、何かあったんだろうか?
一通り観察を終えて,どこを見るでもなくぼーっとしていると,ぶわりと一際強い風が吹き,私の着ていた長いワンピースの裾がばさりと気持ちのいい音を立ててはためいた。
肩口まで伸びた髪が風に煽られる。
広大な庭園から吹き上げるような風は,控えめで品の良い薔薇の香りを運んできた。
高い塔から見える景色は本当に綺麗だ。
自然と微笑んでしまう。空も飛べそうなくらい気分が軽くなっていくのを感じた。
やっぱり,知らない間にストレス溜まってたのかなあ。夢から覚めたら頑張って貯金して,海外旅行したいなあ。また,こんな綺麗な景色みたいもんね。
‥‥‥ここが,夢の世界ならね。
しかしながら、爽やかで少し冷たい風といい,少し眩しい陽の光といい,庭園の薔薇の香りといい,私の身体中の五感がここが現実であると告げている。
とにかく,ここの人に会わなければ…。
一旦,もといた部屋の前に戻ってみるか。
今まで通ってきた一本道の廊下をひたすら戻れば,私がもともといた部屋の扉は何故か開いており,4人の人影がみえた。なにやら慌てた様子である。
しまった…。やっぱり,勝手に人様のお屋敷をうろつくべきではなかったかもしれない。
「いったい…どうやってこの扉の封印を解除してのでしょう…。それとも,まさか…他国の刺客が…?」
「いえ,これほどの封印を短時間で開けることができるのは,女王陛下くらいでしょう。とにかく急いで女王陛下を探しましょう。」
部屋の中では緊迫した雰囲気で会話が繰り広げられている。
私が部屋を出るために格闘した扉は全開であるために,部屋の中の話し声は廊下に小さく響いて丸聞こえである。
私が近づいていいものだろうか…?
それに,女王陛下…といった単語も会話の端々に登場する。ものすごく重要な話をしているようだ。
ひょっとして,この国の女王陛下がいなくなってしまったとか…?というか,こんな国の重要機密みたいな話を盗み聞きしていて大丈夫なのか,わたし?
一旦,離れるか…。
そう思い,じりじりと後退を始めれば,ふいに部屋の中から一人の男が出てきて,ばっちり目が合ってしまった。真っ黒な髪に深い緑色の軍服に身を包んだ背の高い男である。
あ。昨日の夜,庭園にいた人だ。と思った。
男の真っ赤な瞳が驚いたように見開かれ,私を映し出している。私も突然の出来事に身体をピクリとも動かせない。しかし,目の前の男がこちらに歩み寄ろうとその長い脚を動かし始めた途端,私は身体中に電流が走ったように条件反射的に男に背をむけて走り出していた。
何故,逃げだしてしまったのか…それは私にも分からない。
しかし,人は訳の分からない条件下では逃げにはしってしまうらしい。
もうこれは,弱小動物の本能なのかもしれない…。
「お,お待ちください!」
私が走り出した途端,男が焦ったように放った言葉が長い廊下に響いた。
その声をきき,ちらりと後ろを振り返れば,慌てたよう部屋の中から他の人も出てくるのが見えた。
それをみて,ぎょっとした私はさらに急いで逃げる。
なんで逃げちゃったんだ私よ…。そう自分自身を呪いながらも,今さら止まれるわけもなく,必死で足を動かす。しかし,明らかに鍛えていますといった風貌の軍服の男から逃げ切れるわけもなく,確実に距離が縮められているのが分かる。
「と,止まります!止まりますから,あなたも止まってください!!!!」
限界を迎え,息も絶え絶えにそう叫べば,近づいていた男の気配がふっと遠くなったのが分かった。
そのことに安堵し,はあはあと荒い息を落ち着かせつつ,もつれそうになっていた足を止め,後ろを振り返る。軍服の男はちゃんと立ち止まってくれている。息も絶え絶えな私とは違い,全く息が乱れていない。何とか息を整えながら軍服の男を見れば,びっくりするぐらいのイケメンさんである。
すっと通った鼻筋に切れ長の赤い瞳。漆黒の髪は艶やかで、見慣れない赤い瞳は宝石みたいに不思議な虹彩を放っている。
背は高く,鍛えられているのであろう引き締まった身体と長い脚をもつ彼には軍服がとてもよく似合っていた。
研ぎ澄まされたような隙のない雰囲気をまとっており,ストイックで無口な印象を受ける。
恐らく,無表情がデフォルトなのだろう。先ほど目が合った時も,赤い瞳が見開かれただけで,表情自体はさして変化が見られなかった。そして今は,全くの無表情で何を考えているか分からない。
このまま,立っているわけにもいかないので,私は恐る恐る軍服の男に近づいていくことにした。男の何の感情も浮かべていない赤い瞳に私が映されているのを感じる。軍服の男の腰には,明らかに飾りではないだろう剣がぶら下がっているし…正直ものすごく恐ろしい。
どうか,いきなり切り殺されませんようにと祈りながら,話ができる距離まで何とか近づく。
近づくと、身長の差を顕著に感じた。
大きい。そして、かなり強そうだ。
私は、だんだん怖くなってきていた。
「あ,あの…いきなり逃げて申し訳ありません。
わ,私もかなり気が動転していたようで…。
ほ,本当にすみませんでした。」
震える身体に力を込めて、なんとか声を絞り出す。
声は少し震えてしまったが、なんとか意味のある言葉は紡げたはずだ。
顔を見上げるのも怖くて、頭を下げて謝り倒す。
私は勝手にお屋敷をうろついた挙句,逃げ出してしまったわけで…。
ま,まずは何とかして許してもらわないと…。
これで許してもらえなかったら…どうなるんだろうか…。
焦りと恐怖と後悔がないまぜになった心境のせいか,ガクガクと足が震える…。
「女王陛下,どうか頭をお上げください。」
落ち着いた静かな声に恐る恐る下げていた頭を上げれば,軍服の男は片膝を床につけて跪き,頭を垂れていた。まさしく,王国の軍人といった感じの礼である。これではまるで,私が主みたいだ。
ぎょっとして跪く男を見下ろしていれば,男が頭を垂れたままで,落ち着いた声を発した。
「この塔に閉じ込め,追いかけまわすような形となってしまい,誠に申し訳ございません。詳しく事情を説明させていただきたいのです。どうか数々の無礼をお許しくださいませ。…私が恐ろしければ,女王陛下の前から姿を消します。」
「…え?」
色々と理解が追いつかなかった私は、老婆のような掠れた声しか出せなかった。




