質問
マーカスは人混みの中をやや小走りで進んでいた。手には先程まで身につけていた制服から外したネクタイを握っている。
「おい!気をつけて歩け!」
肩がぶつかった通行人が罵声を飛ばしてくる。それには応じることなくマーカスは足を進める。
彼はネクタイをスボンの後ろポケットに突っ込むと辺りを見渡しながら口元を拭った。
マーカスが地上に降りてから20分ほどたった頃。安全地帯入口の大型駐車場からほんの少しばかり離れたところにある店でカイル・ハーパーは中継されている野球を見ていた。
「こんなご時世でもスポーツとニュースだけはしっかり放送されてるなんてね」
店主は彼と同じように中継を見ている。
「ねぇティアラ。もう一杯貰えない?」
カイルの隣でこれまた同じように野球を見ていたイルザが店主に空になったグラスを差し出した。
「イルザ……。悪いけどそれは無理よ。元々一杯も出す予定はなかったんだし……」
「そう。なら水は貰える?」
店主はイルザからグラスを受け取ると軽くゆすいでそこに水を入れた。
「あなた達姉弟が揃って来るのはいつぶりかしら?営業時間外に渋々店を開けたということは置いておいて」
「数年ぶりかな?ねぇたまにはいいでしょ……。許してよティアラ。どうせディアンサやサラが来た時は普通に開けてるでしょ?」
カイルはそうごねる姉を宥めるのはとっくに諦めていた。彼はまだ酒がだいぶ入ってるグラスを手にしながら贔屓チームのチャンスを応援している。
「そんなわけないでしょ。ディアンサもサラもそれにカイルもよく来てくれるけどしょっちゅう特別待遇してる訳じゃないわ。まずあの2人は営業時間外には来ないし」
「ふ~ん」
イルザは野球観戦に没頭しているカイルのグラスをひったくるとその中身を一気に飲み干した。ひったくる時に中身がやや飛び散ったが彼女は気にも止めなかった。
「おい、姉貴。何をしてくれたんだ?服が濡れたじゃないか!!」
だが彼女の弟はそうではなかった。
「そもそもなんで人のやつをとるんだ!?姉貴は自分のはもう飲んだだろ!?」
彼はイルザに掴みかかった。
「あーもう!たまには姉に感謝するってことを覚えなさい!」
「ディアンサやサラになら感謝してるよ。何度大変な時を救ってくれたか」
「はぁ?私にも感謝することあるでしょ!?」
店主は2人の喧嘩を見て呆れていた。既に2人は互いの服や装飾品を引きちぎる勢いだった。
「ちょっと。外でしてきてよ」
その一声を聞いたカイルがイルザを外へ突き飛ばそうとした時だった。彼はイルザから手を話すと店の真ん前でくだらないやり取りを黙って目撃していた人物に気がついた。
「マーカスじゃないか!もう終わったのか!?」
落ち着きを取り戻した店内でマーカスは清掃員に扮していた際の服はまとめてゴミ箱に突っ込んだ後にこの店の従業員が使用する服とエプロンを身にまといイルザとカイルとは違う、つまりは店主側に立ってカウンターの内部にいた。
「フェリックスはどこにいるのかしら?」
イルザはマーカスがフェリックスと行動を共にしていないことにやや苛立っているらしく携帯電話をしきりに見つめながら彼にそう尋ねた。
「さぁ……。どこにいるかは検討もつかない」
そういえばジェフとウィルが追いかけて来たわけだから逃げる隙は出来ていたなぁ。なんて思いながらもマーカスは返事を濁した。
そもそもここにいる全員に追われているとは一切伝えていない。服が汚れたから貸してくれと言えば人のいい店主は何か貸してくれるじゃないかと思ったこと。そして本命の回収に来たこと。
その2つの理由で足を運んだだけのマーカスはこれ以上何か証拠を残すことはしたくなかった。
「だいぶ荷物があったんだろ?もっと時間がかかると思ってたんだけどなぁ」
カイルは贔屓チームの選手がホームランを打ったことを確認すると上機嫌になりながらマーカスに質問した。
「途中で交代が来たんだ。……ああ、そういう訳で"引き上げ"をする時間が無くて。フェリックスも今日は交代がいるとは知らなかったみたいだし……」
イルザと店主がそれを聞いて何か言いかけた口を閉じた。恐らくマーカスが手に何も持っていないことを不審に感じたのだろう。
そこを不審に感じているというのはおかしくはあるのだが。
服を貸してもらえることを条件に明日に備えて、ある程度の下処理、下準備を手伝えと言われたマーカスはカウンターの中で氷を切り出しながら店主が腰にぶら下げている"車の鍵"に目をつけていた。
「そういえば今日は3号棟の1階で大きなトラブルがあったらしい。怪我人が多く出て重傷者もいるとか」
カイルがマーカスの方を向いてそう話した。
「巻き込まれなかったか?」
「大丈夫だった。そもそも3号棟にはいなかったから」
嘘をついたマーカスは悟られないように氷に目線を戻した。
「ふーん。何があったのかしら?」
イルザは怪訝そうな顔でカイルの方を見たが彼が答えないと分かると大きく舌打ちをした。
氷の切り出しを終えたマーカスが野球の中継にやや気を取られた時だった。
外から閉店の札を見てもなおドアを揺すりこちらに入ってこようとしている人影が見えた。
その正体がウィル・モニアックだと彼が気がつくのに時間はかからなかった。
「少し匿ってくれ!」
彼はそう言うと混乱を隠せない各々の前でカウンターの裏でしゃがみこみ、小さな冷蔵庫を退けてその隙間に入り込んだ。
「何をしてるんだ!?」
カイルが困惑してマーカスが隠れた所を覗き込もうとした時にウィル・モニアックが店のドアを強く叩いた。
「モニアック?」
カイルは気を取られ店主に変わってドアを開けた。
「ありがとうカイル。……なんだお前の姉貴もいるのか」
入ってきたウィルはイルザを見るとバカにしたように笑い、店主に1枚の写真を渡した。
「こいつを見たらここに電話して教えてくれ。緊急なんだ」
そこには数年前のではあるものの笑顔のマーカスが写っていた。
下の方に緑色の蛍光ペンで電話番号が書いてある。
「私がいたら何か悪いのかしら?」
店主が写真を受け取ってやや驚いた表情を見せたとほぼ同タイミングでイルザがウィルに詰め寄る。
「いや何でも。ただフェリックスのやつについて何にも知らないのかと思っただけだ」
「フェリックスが一体どうかしたの?」
ウィルはカウンターの上に置いてあった先程までイルザが手にしていたグラスを取ると店内をそのままゆっくりと歩きながら話した。
「尋問を食らってるんだぜ?それをお前が知らないなんてことあるかと思って」
反応したのはイルザだけではなかった。カイルも店主のティアラも。マーカスは物音は立てなかったが声を押し殺すのにやや失敗した。
「フェリックスが尋問を受けてる?」
カイルは贔屓チームのピッチャーが逆転ホームランを浴びたにも関わらず野球中継そっちのけでウィルに尋ねた。
「倉庫から盗みを働いた。色んなものを台車に乗っけて」
「それで彼はどうなるの!?」
イルザが声を荒らげたがウィルは気にしなかった。
「あいつがどうなるかは知らない。まぁこっからだ。実はフェリックス以外に共犯者がいた。そいつは上手く逃げたが当然みすみす逃す訳には行かない」
「ということは……」
店主が手にした写真に視線が集まる。
「そうだ。マーカス・テイラーが共犯者としてフェリックスと共に盗みを働こうとした。俺はあいつが営業時間外なのにも関わらずにカイルとイルザの姉弟を入れ酒を提供してるこの店に訪れている可能性が高いんじゃないかと思ってるんだ。ここの店主は何かとあいつを助けていたらしいからな」