晦冥
店を後にしたあとマーカスは特に目的もなく内地の方へと足を向けた。
「マーカス!」
そんな彼に後ろから声をかける者がいた。同僚だったカイル・ハーパーだ。マーカスとは所属チームこそ違ったものの数少ない同年代だ。
「フェリックスの奴がお前を呼んでる。倉庫を片付けたいらしい」
「そんなもんあいつ1人で出来るだろ。なんで俺も行かないとならないんだ?」
カイルはそれを聞くと辺りを見渡した。そして小さい声でこう伝えた。
「"引き上げ"の日だ」
少し時が経ち5時30分を時計が示した頃。マーカスとカイルはまだ内装が新しいレストランの一角でどこか苛立ちを隠せないでいた。
「おい。本当にあいつは俺を呼んだんだよな?」
「そうだ。でも来ないときた」
首を振りながらカイルは携帯電話をしきりに気にしだした。
「連絡が一向にない。何をしてるんだ……」
自然とため息をついた姿を見てマーカスは席を立ち上がった。
「どうせイルザのところだ。待ってても仕方がない。こっちから行こう」
この安全地帯の中央部にはその周辺の住宅街と大きく違う異質さを放つ建物がある。大型のショッピングモールのようなその建物には窓はなく、建物周辺には4メートルはあるフェンスと有刺鉄線が張り巡らされ、手に"金属の棒"と小銃を持った人物が出入り口の前に立っている。
その建物の前でマーカスとカイルは身体検査を受けていた。
「まさかお前も一緒とは思わなかったな。久しぶりじゃないか。会えて嬉しいぜ」
口ではそう言うが警備に当たっていた男は明らかにマーカスを歓迎はしていない。それは彼に対する検査の荒さを見れば分かることだった。
「フェリックスが呼んだんだ。どうせここにいるんだろ?」
先に検査を終えたカイルがそう言うと男は手を止めて彼の方を振り向いた。
「フェリックスが呼んだ?本当に?……確かにあいつはここに居るが……。酒でも飲んだのか今は潰れている」
「イルザのところで?」
横から口を挟んだマーカスにムッとしながらも男は答えた。
「そうだ。彼女が介抱している」
カイルとマーカスは互いに顔を見合わせる。
「はぁ?あいつ何してんだ?酒は飲むなよせめて」
最上階のテラス席にて2人は目的の人物、フェリックス・コールを発見した。
彼は右手にペットボトルの水を持って左手を隣にいる女性の肩に回している。
その彼を呆れたように見つめているのはマーカスとカイルの2人だけでは無い。フェリックスの前にいる黒いスーツを着た初老の男性は口を開けたまま、いらだちを隠せないのか足を揺すっている。
マーカスとカイルはその初老の男性に軽く会釈をすると相手が頷いたのを確認してからフェリックスの右頬を思い切り交互に叩いた。
「な、何をするんだ!」
酒臭い匂いを漂わせながらフェリックスは2人に掴みかかったが足をもつれさせて床に突っ伏した。その弾みに隣の女性が手にしていたワイングラスを引っ掛けたのかガラスの割れる音と妙な水の感触が辺りを包んだ。
「なんだ、マーカスか。来てくれたのか……」
「お前が呼んだんだろうが。イルザに捨てられる前に倉庫を片付けてこい」
答えたのは初老の男性だった。
「ノーラン。私はそんなことしないわよ。彼はまぁ素晴らしい人とは言えないけど家族同然だもの……」
「イルザ。お前もフェリックスを甘やかしすぎだ。お前の弟が呆れてる」
ノーランと呼ばれた男性はそう言ってカールをしめした。
「全くだ」
マーカスもノーラン側に立った。
「カイル。別にこれはあなたには関係ないでしょ?フェリックスと私の関係は」
「"仕事に支障を出さない限り"では口出ししてない!」
「……ふーん」
イルザはどこかバカにしたような返答をすると、倒れているフェリックスに肩を貸した。
「わ、悪いなイルザ。じ、実を言うと今日は仕事だったんだ……」
どこかばつ悪そうな返答をするフェリックスに彼女は優しく微笑むと彼の肩をさすりそのままそそくさとどこかへ消えていった。
「お前の姉貴は全員ああなのか?」
「いいえ。流石にイルザだけです。もしディアンサもサラもああなら家は崩壊してます」
ノーランの返答にカイルはそう答えるとまだ真っ直ぐ座れていないフェリックスの頬を今度は拳で小突いた。
フェリックスの呻き声こそ聞こえたがもはや誰も気にしてなかった。
やや酔いが覚めたフェリックスを肩で支えながらマーカスはノーランと軽い世間話をしていた。
「本当は私から何かしてあげるべきなんだろうが……。済まないな。あんな形とはいえ勇退した君に何もしてやれないのは悔いが残るよ」
「いいえ気にしないでください。まだ私のパスが凍結されていないことにどうお礼をしたらいいのかもまだ分からないのにこれ以上されても……」
「それならいいんだが……。これから先も何かあれば頼ってくれ」
「ありがとうございます」
こんな会話をした後ノーランはマーカスの肩に寄りかかっているフェリックスに再び視線を戻すとテラスを後にした。
「もう話は終わったのか?……もう良ければ……るが」
「あんたが1番ダメだろ」
マーカスは呆れながらもフェリックスの問に返答した。
それから30分もしないうちにマーカスと酔いがほとんど覚めたフェリックスは施設地下にある大倉庫の入口に立っていた。
カイルは姉のイルザを探しに行くと言いどこかに姿を消した。
入口付近には既にいくつかのダンボール箱が積み上げられておりその一部に何かしらの検査を受けたことの証明か蛍光色の緑色のスタンプが押されていた。
「こいつらは補給物資だ」
フェリックスが口を開いた。
「ほとんど缶詰だ。あとはタオルが何枚かと石鹸がついている」
言われてみれば固形石鹸の独特な香りがしないでも無い。
「流石にこれを引き上げるのは……」
「違う。これはダメだ。お目当てはまだ眠ってるはずだ。さあ入ろうぜ」
フェリックスは倉庫の入口を、立て付けが悪いのかやや滑りの悪い扉を開けた。
「俺は奥からワインとビールを取ってくる。お前もバレないようにな」
そう言ってフェリックスはマーカスに伝票を放り投げた。
「これで商品名を誤魔化せる。適当なダンボールに欲しいものを入れたら商品名を適当に誤魔化して運び出したらいいさ。期限間近の消耗品なら引き上げても誰も何も言わないさ」
「……バレたことは?」
「ないね。8回やって8回成功してる。まぁここでいい子ちゃんになる必要なんてないだろ?」
大倉庫の中、薄暗く、何年前からあるともしれない機材が埃を被っている。もしかしたら10年以上前からここにあるのかもしれない。
だがマーカスはそれらには興味を示さなかった。彼が必要としているものは秋から冬に備えてのコートなどの外套だ。あとは包帯や消毒液があればといった所である。
「うわ……。嘘だろ?」
暗がりの中で手がやや粘り気のある物に触れた。
それは中途半端に開封された缶詰の中身だった。ラベルを見るに鯖の缶詰だったらしい。だが中身はすっかり腐敗して、どこから湧いたのか蛆虫が大群になって群がっていた。
「最悪だ」
すぐに手をその辺にあった布切れで拭う。布切れもやや埃を被っていたが躊躇いはなかった。
マーカスとフェリックスはただ欲しいものを回収しに来た訳では無い。表向きは倉庫の片付けなのだ。従って先程のような明らかに放置しておくとこの倉庫に害を生じさすものは処分しなくてはならない。
「プラスチックだろうがゴムだろうが構わないが手袋は?」
マーカスはまだ嫌な感触を捨てれずその辺のダンボールで拭いながらもフェリックスに尋ねた。
「生憎そんな物はないな。上は出してくれない」
「なんでだよ。今誰の目にも明らかに手袋が必要な場面に直面してるんだが」
フェリックスは肩を竦めるとマーカスに煤で汚れた軍手を放り投げた。
「数日前に任務で使ったやつだ。捨てるのを忘れてた。何も無いよりはマシだろ?これで何とかしてくれ」
彼は直ぐに踵を返すと手にした栓抜きを愛おしそうにさすって奥の方へと消えていった。
「おい!ここでは飲むなよ!」
マーカスなそう言ったが、忠告が彼の耳に届いたとは思えなかった。それから1、2分もしないうちに割と近くでぶどうのような匂いと喉を鳴らす音が聞こえたからだ。