空虚
夏も真っ只中8月の中旬。なんとも言えない風の中で マーカスは1人、薄ぼけた公園のベンチの上に座っていた。
どこから来たのかもわからない鳥たちが無数に彼の足元に広がったパン切れを一心不乱に突いている。
そのうちの数匹にはどこか気味が悪い赤い斑点が無数に広がっており、時折それを気にするかのような大きな身震いをその気味が悪い斑点のついた羽を巻き上げながらも行っている。
そんな鳥を見てはどこか嘲るような笑みを浮かべたマーカスは手にした袋からパン切れを放り投げるとおもむろに立ち上がった。
「戻るか……」
いつの間にやらどこか気に食わないとでも言いたげな表情を浮かべた彼は、ゆっくりと歩き出した。
いつからだろうか?こんな風に安全地帯の外をただフラフラと意味もなく歩くようになったのは。
マーカスはそう思いながら自信が首からかけている3枚の認識票を外してポケットに突っ込んだ。
車まで戻った彼はやや古ぼけたラジオをつけた。ノイズに混じってやや上擦った男性の声が聞こえてくる。
アクセルをマーカスは強く踏んだ。
マーカスが傭兵を辞めたのは割と最近のことだ。つい4か月前まで彼は民間軍事会社大手AiliceShoesの対変異者部隊に所属していた。まだ22歳だった彼にとって現場は危険ながらもどこか魅力的な匂いを放っていた。
彼は優秀だった。少なくとも同年代と比べて。変異者、つまりは"狂った人間"達に対抗するにはそれなりの精神力と作戦遂行能力が必要なのだ。というのもこの変異者たちは他の動物と圧倒的に違うこととして罠を作ったり計画を立てこちらを襲撃したりと知能が高くそれに加えてその知能の使い方が上手いのだ。
精神力が求められるところは彼らの知能の高さゆえの趣向が現れている場合が多いからである。彼らはいわゆる"猟奇殺人"を好む。何故かは分からないが。その死体を、少し前まで仲間だった者が含まれていることも多いその肉塊を見ても大きく動揺せず作戦を遂行し、時にはそれらを片付けなければならないというのは一筋縄では行かない。
ちょっと前、マーカスが傭兵を辞めてから1ヶ月もしなかった時に車両護送を行っていた傭兵グループが襲撃された事件があった。
襲撃された傭兵グループは全員装備を脱がされ目をくり抜かれそこに何かは分からない小動物の目玉で作り上げられた肉団子が詰め込まれていた。
それだけでは無い。襲撃された車両に乗っていた警護対象はパーツごとに切り離され車の中にあった油性ペンか何かで下手くそな文字で誰を刺してるかも分からない名前が書かれていた。
警護対象の飼い犬はもっと悲惨だったかもしれない。腹を引き裂かれ、カラースプレーらしきもので内蔵に色をつけられた後に兵士が所持していた弾丸の火薬か何かで表面を炙ったかのような後があったのだ。
この事件の調査を行った傭兵達のうち数人は強い精神障害を覚え現在入院生活が続いている。
調査をした傭兵達はそのような出来事に遭遇したことはなかったとはいえ全員が少なからず体調を悪くしたことは記録で残っている。
そんな過酷な環境にマーカスは居たのだが彼はそのような事件に何度も直面しても狼狽えることはなかった。チーム最年少だった彼はむしろ年配の傭兵たちのメンタルケアをするぐらいだった。
だがそれは過去の話だ。今現在のマーカスはただ安全地帯の外で警護もつけずに車を乗り回している変人である。
「こいつも長いもんだな」
彼はそう言い車のハンドルを撫でた。やや年季の入った車であることはそのハンドルの様子から判別がつく。
車は午後4時を過ぎてもなお明るい道をどんどんと進んで行く。2、30年ほど前ならスピード違反で取り締まられる者が増加したに違いないほどの無人地帯を。
唯一当時と違う点があるならば、当時はこれ程荒れ果てた廃墟の街ではなかったということだろう。
「また崩れそうだ」
マーカスの目の前に電線の切れたそして大きなヒビの入った電柱が絶妙なバランスで5度ほど傾いていた。
野球ボール程の石をぶつければ例えアンダースローであったとしても既に陥没があるこのコンクリートの道路に大穴を開けることは間違いないだろう。
「今度はこの道は使わない」
そう呟いてマーカスはアクセルをより一層踏み込む。錆び付いた看板が示す制限速度など優に超えている。
安全地帯の入口に彼がたどり着いたのはそれから1時間ほど後の事だった。
「また遠出してたのか?」
呆れたように免許証を放り返したのは警備に当たっている傭兵だ。4ヶ月前までは同僚だった。
「悪い?」
「ああ悪いとも。少なくともお前には。いいかマーカス。ハッキリ言ってやる。お前はやっぱり傭兵に戻るべきだ。じゃなきゃ全てを台無しにしてしまう。このままいけば狂った奴らに襲われて死ぬだけだ」
「そうなりゃその時だ」
マーカスは警備に当たっていた傭兵の悪態の声をよそにマーカスは車を安全地帯内入口付近の大型駐車場に停めるとラジオを切り、車から降りて閉店と看板の出ている店の扉をやや強引に開け中に入った。
店の中には困り顔の店主と机に突っ伏して立ち上がらそうにない老人がいた。
「マーカス。閉店の文字が読めなかったの?それともなに?この前の苦情の続きかしら?」
店主はカウンターに腕を置いてマーカスの方を見つめた。
「いいや。生憎そんな気分じゃない。とりあえずこいつを返しに来たんだ」
そう言ってマーカスは店主にスマートキーを放り投げだ。
「気分が紛れたならそれで良かったわ」
「ああ。暫くは借りに来ないよ。……それとアリ。あんたはもう起きた方がいい。狸寝入りするメリットなんかないだろ?」
突っ伏していた老人が大きなため息をついて顔を上げた。やや恨んでいるかのような目でマーカスを見る。
「ほっといてくれマーカス。俺みたいな老人にとってここは天国なんだ」
「本当の天国ならすぐに見れるさ。わざわざ偽物を楽しむ必要は無いだろ?」
アリと呼ばれた老人はそれを聞いて少し笑うと懐から札を掴んで店主に押し付けた。
「今までのつけをこれで精算した。今度からはVIP待遇をしてくれ」
「無理よ。まだ足りてないもの」
店主の返答を聞いたアリは大きくため息を着くと再び懐から札を取り出し店主に渡した。
「誤魔化せなかったか……」
「ええ。まだ足りてないわよ」
アリが金を払っている間、マーカスはカウンターに座るとすぐそこの道路にら群がっている鳩を眺めていた。
「そんなに面白いかしら?」
アリの相手が終わった店主がマーカスに声をかけた。
「まあ何もしないでいるよりかマシだろ」
そう言いマーカスは立ち上がった。
「空いてる時間はいつなんだ?ここ1週間は休みを取ってたじゃないか?」
「明日の5時からまた営業は再開」
「そいつは良かった」
そう言ってマーカスは店を後にした。