前兆
男二人はゆっくりと歩き回り始めた。時折若いほうが暴れだす。それを年配の男はたしなめ続けている。
「こっちだと思うんだが君はそうは思わないのか?」
年配の男はマーカスがいるハンバーガー屋を含むフードコート一帯を指さした。
「奥の方だろ。俺ならそう逃げる」
だが若い方、パクストンは年配の男、フリードの考えには同意しない。というよりも”同意したくない”といったところだろうか?先程よりも強い不満の色を見せている。
そしてそれを感じ取っていたのはマーカスだけではなかった。
「......私が向こう側に逃げただろうと言えば君はフードコート側に逃げただろうと主張すると思うんだが違うか?」
フリードはそう言いながらマーカスの方へ視線を向けている。バレてはいない。
「そうだと言ったら?悪いがあんたもお偉方の連中も宛にはならないと思わざるを得ない。少なくともここ数日はな」
パクストンは悪態をついた。彼の興味はこちらを探すことではなくフリードをどうやったら言いくるめられるかに向いていた。
「落ち着けパクストン。君がなにか不満を抱いているのならこれが終わったら抗議に行けばいい。だが今は駄目だ。それに無理だ」
フリードはパクストンに小銃をちらりと見せた。
「脅しか?」
「いいや違う。そんなにこれが気になるなら持っておくといいさ」
小銃がフリードからパクストンの手に渡る。
「マジかよ。お前が持つのか......」
遠目にやり取りを見ていたマーカスはそう呟いた。
パクストンとフリードはフードコートから遠ざかり、トイレやら休憩スペースがあるところやらへと進んでいった。
マーカスにとってもし移動するなら絶好の機会だ。
彼はゆっくりと体を出すと、しゃがみながらハンバーガー屋の裏側、厨房の方へと進んだ。
その間男二人の姿は見えなかったが叫び声や銃声、近づく足跡がなかったことからマーカスが動いているのはバレなかったようだ。
厨房にはドリンクバーなどの機材、ボンベ、冷蔵庫などがホコリを被ったまま放置されていた。
どうやらここはもう使われていないようだ。
「なぜここは使われなくなったんだ?」
昔、仲間と立ち寄った時の記憶が蘇る。
だが彼はそこまで深くは考えなかった。今はそれをするときではないと自覚していたのだ。
今、彼がすべきなのは何とかして男たちの追跡から逃れることだ。そのためにはどんな手段でも取るつもりだ。
壊れた車での逃走には限界がある以上は代替手段を取らなければならない。
だが現実的に自動小銃に拳銃とテーザー銃で立ち向かえるかと言われればノーであり、彼らが他に武器を隠し持っていないという確信があるのかと言われればそれもノーだ。
つまり、仮に戦闘行動を取るとして一番可能性の高いのは不意打ちだ。至近距離から最初の一撃を先に与えることができれば。......可能性は十分ある。
使われていないロッカーにマーカスは目をつける。中には何もない。ここに隠れておくことはできそうだ。
マーカスはゆっくりとロッカーを開いた。まだ中に入ることはしない。あの二人が戻ってくる前に他にいいところを見つけることができるかもしれないのだ。
マーカスが厨房内をまだ探し回っているときだった。
「あんたが正しかった。こっちにはいない!」
パクストンの叫び声が聞こえた。そしてこちらへ向かってくる足音も。
パクストンとフリードの二人はフードコートに潜んでいると睨んでいる。
マーカスは急いで隠れ場書を探しはじめた。彼らがこのブースに到着するまでに潜伏場所の選定を終えなければならなくなった。
「そうだ。ここは?」
マーカスが選んだのはスタッフルームだった。鍵はかかっていないが内側からはかけることができる筈だ。
急いで、だが落ち着きは忘れずに彼は扉を少し開けてその隙間から滑り込んだ。
やがてフリードとパクストンがフードコートへとやってきた。
声はやや遠くから。壁を挟んでくぐもってはいるが聞こえてくる。
「俺が思うに、いるとするならばこのハンバーガー屋かそこのチキン屋だ!他のところとはスペースが段違いだ!」
強い怒鳴り声だ。そして物を壊すような音が聞こえてくる。
そしてくぐもった声がする。フリードの声だ。はっきりとは聞こえなかった。
それから10秒もたたないうちにパクストンの声がマーカスの耳にはっきりと聞こえてきた。
「わかった!わかったから黙ってくれ!」
そして今度は銃声だ。
「......これぐらいやらなきゃやってられるか!」
苛立ちの解消のために発砲したのだろう。
マーカスはスタッフルーム内を手探りで奥へと奥へと進んでいた。電気回路が切れているのかスイッチらしきものを押してもなんの反応も見られない。ただパチパチと音が響くだけだ。
そんな状況なのだから当然明かりはない。
「まずい.....。落ちそうになった......」
段ボール箱の上に乗っていた花瓶がぐらついた。陶器製ならば大きな物音を立ててしまうことになる。
マーカスは軽く舌打ちをした。再びパクストンの声が聞こえてきたのだ。
「こっちだ!もうこの2つのうちのどっちかだ!そこのチキン屋を確認するんだ!こっちは俺が見る!」
そして再び破壊音がした。木が割れるような音と何かが割れるような音がする。
「パクストン!!そんなに荒すな!!どうせ潜んでいることがわかってるんだから落ち着いて探すんだ!!見落としがあるかもしれないだろ!!」
フリードがパクストンに怒鳴っている。彼の声は遠い。だがそれに対するパクストンの反応は先程よりかなり鮮明に聞こえた。
「わかってる!黙ってろ!」
足音だか物音だかはっきりとわからない音が大きくなっている。
「どこにいるんだ。さっさっと出てこい!」
苛立っているパクストンの声も次第に大きくなっている。そして段々と空気が変わってきた。
マーカスが見つめるスタッフルーム入口のドアはまだ動いていない。先程締めたはずの鍵に不具合がないことを祈りながら彼は部屋の一番奥。掃除用具入れと化していたロッカーを慎重に開くと、息を殺しながらその中に入った。
「うわぁ......」
ホコリが舞う。だがここは我慢の時だ。
ゆっくりとロッカーを内側から締めたとき、強くスタッフルーム入り口のドアが揺さぶられた。
揺れは数秒続いた。
「くそっ...!鍵がかかってやがる!」
ドアが大きな音を立てて膨らむ。体当たりしているのだろうか?何にせよ無理やり開けようとしているようだ。
「こっちだ!間違いないさ!やっぱりここにいる!」
パクストンの叫び声はとてもよく聞こえた。
「そこのチキン屋はもうどうでもいい!このハンバーガー屋で間違いない!それもこの部屋で!」
誰かが走る音、そして物を倒す音が近くなってくる。どうやらパクストンのところにフリードがやってきたようだ。
「その確信はどこからくるものか説明が欲しいところだ」
「ここに来る時にホコリや汚れの跡を見なかったのか?不自然に途切れてたり積もってなかったりしただろ?ここのドアノブも同じだ」
マーカスは自身の血の気が引くのを感じていた。逃走する時にそこまで考えが回らなかった自分にやや腹も立っていた。
「そうか。パクストン。お前が荒らしまくるからわからなかった」
「それでもあんたならわかると思ったんだがどうやらとんでもない勘違いだったらしい」
フリードに対するパクストンの嫌味が聞こえる。
「いつも上から偉そうにしてるお前の仲間もそんなもんなのかもしかして?老害と言われるわけだ」
「勝手に言ってるんだな」
再びドアが膨らむ。そして今度は戻ることはなかった。嫌な音を立てながら内側に膨らんだドアはそのまま倒れ込んだ。
パクストンとフリードの2人がこのスタッフルームに入ってきた。