出発
倒れているウィルの手をマーカスはガムテープで縛った。電極はウィルの鎖骨のやや下辺りに刺さっている。
「足も縛っとくか」
マーカスはウィルの足をクロスさせた。そして縛り始める前にもう一度引き金を引いた。
押し殺したようなうめき声がウィルから聞こえてくる。やや立ち直り出した彼の体は硬直の後、力なく項垂れた。
一通り縛り付けた時だった。
「ひっ!?」
軽い悲鳴を上げて店主がゆっくりと厨房内へと足を踏み入れた。その後ろには店主と同様に困惑しているイルザとカイルが続いたり。
「なんなのよ……。これ……」
イルザは厨房内の惨状へと目を向ける。
「色々あった」
マーカスは再びテーザー銃の引き金を引くと、惨状をしっかりと捉えた。
床にはゴミや道具、金属片、ガラス片などが散らばり、棚は倒れている。調理台やコンロには変形したものもあり、それらには点々とした楕円状の血痕が付着していた。
床にも傷がついて、壁の塗装は剥がれている。
「色々って……」
カイルは床に落ちていた金属片を手に取りながら呟いた。
「な、何があったのかの説明を求めても?」
店主は混乱を隠せない様子だった。しかし倒れているウィルを気にする事はなく店の惨状ばかり考えているようでこれからかかるであろう修繕費の計算式を呟いている。
「ちょっとした戦闘があった。結果は見ての通りさ」
マーカスはそう言うとウィルの腰に着いていた装備を取り上げて、まだダメージの少ない調理台の上へと置いた。
「ちょっと!?そこに置かないでよ!つい最近、お客さんに料理に食べれないものが混じってるってクレームを受けたのよ!?ゴミが混じるようなことが無いようにここでは清潔を保ってよ!」
店主の怒りの声をマーカスは鼻で笑った。
「このままじゃどうせ無理だろ?今更汚れの1つ2つ関係ないさ」
彼はそのまま装備品を調理台の上に1つ1つ広げた。
「予備の弾倉が3つとペンライト、テーザー銃のカートリッジが1つ、止血帯か」
無線機などの通信機器や警棒などなないことに驚きつつマーカスは装備を調理台の端に固めた。
「なぁ……。一体全体どうして敵対してるのかを説明してくれないか?」
カイルがマーカスの前に立ってそう言った。
「さっき聞いたんだがどうも腑に落ちない点があって。どうしてお前はこんな風に追われてるんだ?まるで命を狙われてるみたいじゃないか。そいつがイマイチ分からない」
だが理由を知りたいのはマーカスも同じだ。
「さあね。確かに"引き上げ"をしようとしたのは認めるけど結局なんにもしてないから。こっちが知りたい。フェリックスが尋問をそれも拷問に近しいような尋問を受けてそうな理由は分からないとしか言えないね」
「それなら彼に話してもらおうかしら。さっきは話してくれなかったけど今なら違うでしょ?明らかに自分が不利な今なら」
イルザが店主の足元で横たわっているウィルの顔にコップ一杯の水を引っ掛けて強い口調で詰め寄った。
「フェリックスとマーカスは何を取ろうとしたの!?何がここまで強引な追跡を強行する理由になってるの!?答えなさい!」
ウィルは虫の息とでも言おうか、荒い呼吸の中で断片的に言葉を絞り出そうとしているようだった。
「ダメよイルザ。彼は答えれそうにないわ」
店主は屈んでウィルの様子を観察すると首を横に振った。
「じゃあもう少しして口が楽に開けるようになるまで待とうかしら。それまで飲んでるわ」
腹いせだろうか。イルザはウィルの脛を強く蹴ると厨房から出ていった。
「おい姉貴!カウンター内の酒を勝手に飲みに行くなよ!」
カイルが慌てて姉の後を追って行った。
悲惨なことになっている厨房の中では横たわっているウィルを端に押しのけて床の掃除を始めた店主と、2重にしたビニール袋の中にウィルが先程まで身につけていた装備を突っ込み、袋口を縛った後に床に落ちていた拳銃を探しているマーカスが残っていた。
「はあ……。一体いくらかかる事やら」
大きく剥がれた塗装と壁紙を前にして店主は意気消沈気味だった。
マーカスは床に落ちていた拳銃を拾い上げた。弾倉の中身を調理台の上にぶちまけると残りは10発だった。
「5発も何に撃ったんだよ」
弾丸を詰め直しながら彼はそう呟いた。
その作業が終わると彼は店主に自身の要望を願い出た。
「悪いんだが車を貸してくれないか?早急に必要なんだ」
店主はマーカスの方を向き直ると顔を顰めながらも車の鍵を彼に放り投げた。
「理由は聞かないわ。ただしここの修繕費は今度請求に行くからそのつもりで」
「ありがとう。心配しなくても修繕費は払うさ。さすがにほとんど負担するってのは勘弁だけど。グレッグ宛に請求書を出すんだな。きっと弁償してくれるさ」
マーカスはそう言うとビニール袋を引っさげて踵を返し、厨房から出ようとした。
「待って。……次はいつ来るのかしら?いつ車は私のところに帰ってくるのかしら。それを聞きたいわ」
店主の質問に彼は人差し指を1本だけ立てるとそのまま厨房を後にした。
店内は相変わらず静かだった。
「どこに行くんだ?」
カイルがカウンターに突っ伏して眠っている自身の姉の面倒を見ながらマーカスに尋ねた。
「俺達はウィルを尋問する。あいつの話がどこまで本当でどれほど深刻なことなのかを見極なきゃならない。少なくとも姉貴はそうするつもりだ。……クソっ、起きろよこのアマ」
カイルが姉の体を強く譲ったことには何も言わず、マーカスは肩を竦めた。
「少しの間だけ姿を隠すよ。映画の主人公ならフェリックスの救出にでも行くんだろうけど」
「そうか。こんな言い方でいいのかは分からないが無事であることを祈ってるよ」
2人は互いの手をしっかりと握りしめ握手を交わした。
「早く行った方がいい。さっき姉貴がウィルのことを中央に通報したんだ。傭兵たちがやってくる」
「わかった。お前の姉貴には何してくれたんだと伝えといてくれ」
マーカスはそう言うと慎重に通りを見渡すと店を後にした。目的地は大型駐車場だ。
数時間前に車を停めたところにマーカスは到着した。
車に変化はなかった。
「まだ情報が完全に広まってないと信じてるぜ」
助手席にビニール袋を載せ、運転席に彼は腰掛けた。
夕暮れ時だ。
車はゆっくりと1番近い安全地帯のゲートへと向かって動き出した。
ゲートではマーカスが帰ってきた時に彼のチェックをした傭兵がやや眠気と格闘していた。
「おーい。通りたいんだ」
そう叫ぶと彼は大慌てでマーカスの所へ来た。
「今からどこに行くってんだよ……。もう夕暮れだ」
「すぐ戻ってくるさ。ちょっとした忘れ物があったんだ。取ってくるだけだ。……そんなに危険な所に行ってた訳じゃないから大丈夫さ」
それを聞いた警備員は軽く笑うとマーカスに手のひらサイズ程の機械を放り投げた。
「なんだこれは?」
「午後5時を過ぎてから、あるいは午後5時以降も安全地帯外に居ると申告したものにはこの通信機を支給するんだ。正直そこまでいいものじゃないが周波数さえ合わされば18年ほど前の航空無線並の機能はする」
マーカスは機会を眺めた後にそれを助手席に入れた。
「その服装ってことはあれか?」
警備にあっていた傭兵がマーカスの服装が変化していることに触れた。
「そうだ。バイトの面接が通ったんだ。今日は店は無いがさっきまで紹介写真を撮ってたんだ」
「残念だ。これでお前の傭兵復帰はまた遠のいた」
ゲートが開く。安全地帯の出入口が顕になる。
「しばらくごめんだな」
完全に開いたことを確認してからマーカスはアクセルを踏み午後の夕暮れの中を進んで行った。