8 闇夜に光る、鏡の月と、人形と
夕暮れの赤い空が真っ暗になる。真っ暗だから、月は雲に隠れてしまっている。海も島影も、何も見えないような暗さとなっていた。
春平達が泊まっているホテルの明かりも、チラホラと数える程度になっていて少し暗く見える。ただ、起きている男子の騒がしい声が時折、響いていた。
一方の女子は全員、すでに自室へと戻っていて、各々が就寝の準備に入っていた。
秋恵もその一人で、彼女は自室の窓際の前に立っていた。
外が暗く、部屋が明るいから、窓ガラスの表面には部屋の内装と就寝用のジャージを着た秋恵自身の姿が映り込んでいる。
唯一、道路脇にある外灯の光とホテルから漏れている光だけが、近くの風景を照らしだしていた。
秋恵がフッと、窓際の側に置いてあるテーブルへ目をやる。
テーブルは窓際の高さとほぼ同じで、上にはガラスケースが置かれてあり、中には女形人形が、ロビーで見たときと変わりの無い美しい立ち姿で入っていた。
「秋恵ちゃん」
布団の中に入ろうとしている皐月が呼び掛けた。
「悪いんやけど、明かり消してもらってええかな?」
「あ、はい」
秋恵が部屋の出入り口へ向かって歩き、電灯のスイッチを押す。
部屋が外と同じ闇に包まれた。
「足下に気を付けてね、秋恵ちゃん」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
移動した秋恵が、モソモソと自分の掛け布団をまさぐって、足だけ中へ入れた。
皐月が、秋恵の方へ寝返りをうち、
「ひょっとして、ブラ着けたまま?」と言った。
「そうですけど……?」
「寝るときくらい外したら? 苦しくない?」
「大丈夫です。ワイヤーの入ってないヤツですから」
「ナイトブラなん?」
「日中も兼ねたヤツです」
「へぇ、そんなんあるんやね」
「こういう外泊のとき、便利ですよ?」
「へぇ~。ウチもそういうのにすれば良かったかなぁ……」
「今度、一緒に見に行きます?」
「せやね。二葉君の件も気になるし、その話でも聞きながら」
秋恵がはにかみ、うつむく。
「それにしても」と、皐月が窓際の方を見やった。「明日の朝、二葉君がどんな顔して来るんか楽しみやねぇ?」
そう言った皐月と共に、秋恵がガラスケースの置いてある机の方を見やった。
「ガラスケース、割れやんくって良かったですね」と秋恵。
「二葉君、割とおっちょこちょいやからねぇ…… 子供っぽいトコあるって言うか……」
秋恵がクスリと笑った。
「紙袋やなくて、もっと頑丈な袋とか、大きめの鞄に入れてくれば良かったのに」
「確か、ケースとかは引きとってもらえやんのですよね?」
「ここたいは釣り具屋さんがあるから、そういうところで袋を買えばええって話やけど…… 心配やわ」
「──あの、部長たちはまだ?」
「朝までってことは無いと思うけど…… 朝食の前にお風呂、入ってもらわんとね。寝惚けてるのか酔っ払ってるのか分からんのは困るわ」
秋恵が苦笑いで応える。
「そろそろ寝よか」
「はい。おやすみなさい、先輩」
「おやすみ、秋恵ちゃん」
皐月が目をつむった。
秋恵はしばらく天井を眺めていたが、目蓋が下りて、三〇分もしないうちに寝息を立てていた。
秒針の進む音だけが、部屋に響く。
それがいくつ鳴ったのか分からないくらいのとき、不意に、水の流れる音がした。
セパレード式の浴室から秋恵が出てくる。
途端に表情がこわばった。
彼女の視線の先には、半円の白い背景と人の形をした影が映りこんでいる奇怪な光景があった。
秋恵は深呼吸を繰りかえした。その効果なのか時間経過のおかげなのか、段々と落ちつきを取りもどした。
ジッと人影を凝視し、ついで机の方へ目をやった。
どうやら外からの強烈な光が部屋に差し込んできて、たまたま人形に当たってしまっているらしい。
普通の月明かりにしては明るすぎる……
直感的に気味の悪さを感じとった秋恵が、眠っている皐月のところへ行き、膝を突いて、
「先輩……! 先輩……!」
と、体をゆすって起こそうとした。
しかし、皐月は熟睡しているのか寝言をつぶやきながら寝返りを打つだけだった。起きる気配が全く無い。
秋恵はしばらく、妙に輝く光に当てられた人形を見ていたが、決意を固めたようで、慎重に注意深く、警戒しながら人形の傍へと寄っていった。
逆光で黒く見えていた人形も、さすがに近付くと姿形が見えるようになる。特に変わった様子は無い。
そうすると壁に映っている奇怪な光景は、外からの奇妙な光が原因だろう。
秋恵は窓際へと移動し、外の様子をうかがった。
いつの間にか空が晴れていて、丸い月が皓々と、きらめいている。
秋恵は、不思議なくらい強い光がどこから出ているのか探す。
外の景色は全体的に青白く、海面や島の影が墨汁の染みのように、ぼんやりと暗闇から滲み出ている。
「どこ……?」
遠方にある突堤の灯台でも無さそうだし、ホテル前の道路に車の姿も無い。ましてや、暗い海上に船舶の影や形があるはずもない。
「あっ……!」
光源は、以外と近くにあった。
堤防の上に置いてある何かから、光線のように部屋の中へ届けられてくる光…… その光を秋恵が、まぶしそうに見つめていた。