62 ヒトカタは黄泉(よみ)に佇(たたず)む
冬樹が商店街の道を抜けて、浪切ホール前の横断歩道まで走ってきた。そうして、夜空を焦がすほど赤々と輝く炎を見てとった。
やっと冬樹に追いついた夏美が、彼の見ている方角を見やった。
「火事……! 火事だよ、部長さん!」
「化学薬品でも引火したんか……?」
「とにかく行ってみましょ!」
「あっ! 夏美ちゃん待ちぃや!」
冬樹が夏美を追いかけた。
冬樹が夏美を追っている頃、炎から逃れるように、春平が二階への階段をのぼっていく。
二階の部屋に通じる扉の前で立ち止まった。
ノブを回すが、扉には鍵が掛かっている。
春平は秋恵──が入っているであろう人形を地面に置き、扉へ前蹴りや体当たりを繰りかえす。
煙が充満してきて、春平が咳込みはじめた。
「こん畜生ッ……!」
と言って、気合いの掛け声と共にドアを蹴る。
鍵が壊れる前に、扉の下のプラスチック板がへし折れて、四角形の大きな風穴があいた。
春平は、そこから中へと侵入する。無論、人形を持って。
二階の部屋には誰もいなかった。
煙もほとんど無く、一階が燃えさかっているとは思えないほどの静寂である。
「どこや……」
キョロキョロ、部屋の隅々まで観察した。
すると、窓が一つだけあいている。
そから顔を出すと、下は木材やら端材やらが燃えに燃え、業火と化していた。
揺らめいて空へと昇る炎の尾が、二階の春平の顔に今にも届きそうである。
春平は熱気で熱くなった頬を冷やそうと、右方向を見やった。そこには四車線道路があり、その道路を挟んだ反対側の歩道には、野次馬がたくさんいるのが見えた。
――上から壁をこする音がする。
窓の上を見やると、女の足が見えた。その女を引きあげる男の姿も見えた。
どうやら二人は、建物の四隅に付いている排水パイプを使って、屋上へ避難したらしい。
「上か……」と春平がつぶやく。
「行きなさい」
振りかえると、巫女人形が立っていた。
「じきに人形たちも動きはじめます。下へ下りると炎が包み込むでしょう」
「お前……」
「急いで逃げなさい、時間がありません」
「行くって…… どこへ行くん? 下はアカンのやろう?」
「屋根の上です」
「屋上かいな……」
「立ちさりなさいと警告したのに、あなたはここへ来てしまった。もう後戻りはできません」
「あの声、やっぱりお前やったんか」
「煙や炎が来ます。人形も追ってきます。ここにいては、まず助かりません。逃げるなら上です」
「そら分かってるけど……! でも、無事にあがれる保証も無いやんか。あいつらに突き落とされるかもしれやんし」
「大丈夫です。彼らにはもう、そんな気力は残っていません。あの光を浴び過ぎていますから」
春平が眉をひそめ、「魔鏡の光か?」と言った。
「あの光は月の照り返しではありません。本来は『この世のモノが浴びてはならぬ光』です」
「俺も光、浴びてもたで?」
「あなたが浴びた光は、炎を使ったこの世の光です。だから、その子を正気に戻すことも出来た」
春平が、持っていた人形──秋恵に目をやった。
「この鏡を見つけた人間は賢明でした。自らも光を避け、なるべく反射が起こらぬよう処置を施しましたから。しかし、あの人たちはそれを取り払ってしまった」
「その…… 僕らと違う光ってのを浴びたら、どうなるん?」
「あの世もこの世も無くなり、境が消えます。底なしの負の光…… そういう光なのです」
状況と相まって、春平が無意識的に息をのんだ。
「さぁ、それよりも早く行ってください」
「せやから──」
「あなたは何も心配する必要はありません。大丈夫です」
「お見通しみたいに言うんやな……」
「分かっていることを伝えただけです」
「いつから動けるようになったん?」
「あとでお話しします」
「一つだけ訊きたい」
「大丈夫です」と即答された。「今は気を失っていますが、じきに目覚めます。あなたのお持ちになった人形が、彼女を救ったのです。――そのことも含め、あとでお話ししましょう」
春平が頭をかいた。そして、
「君も一緒に来るんやろ?」と尋ねた。
「ええ、あなたに掴まっています」
春平が上着の裾をズボンの中に入れ、下に物が落ちていかないようにした。
そうして、秋恵を上着の中へ入れ、巫女人形を拾いあげた。
「とにかく、つかまっててよ。ええか?」
「私も彼女と一緒に、中に入っています。邪魔は入りませんが、頑張りは必要です。頑張って下さい」
そう言って巫女人形が春平の腕を伝って、首元から、服の中へ潜りこんでいった。
春平は戸惑いながら、溜息をつく。
――無遠慮なところが夏美と同じで人形らしい。そう思った。




