57 邪悪な人形あそび
闇夜の中、荷物を持ったタカシとサチコが、青色に塗られた倉庫の前にやってくる。周りには角材や板が積みかさねてあって、端材の山も所々にあった。
「持っててくれ」
サチコが荷物を受けとると、タカシが倉庫の扉の錠を解いた。
「鍵なんて持ってたんだ」
「知りあいから譲ってもらったのさ。──あいたぞ」
二人が倉庫の中へと入って行く。
中は案外せまく、カラの棚がいくつかと机がいくつか残っているだけの、特に目を引く物が無い、殺風景なところだった。
見ようによっては廃屋と言えなくは無い。
「ここ、もう使われてないの?」
サチコが懐中電灯の明かりをともす。
「最近、他の倉庫へうつったらしい」と言いながら、窓際に寄ってブラインドを下げた。「まだ買い手が見つかってないから、こんな状態なんだ」
「ブラインドなんかは残してあるのね」
「いらない物を残してあるんだろう。それより、あの人形は?」
サチコが、机に置いてある鞄を平手で打った。
「さっそく話を聞こうじゃないか」
「そうね」
笑みを浮かべたサチコが、鞄を開けて秋恵を取りだした。
「大人しくしなさいよ……!」
サチコが叩きつけるようにして、秋恵の体を机に押しつけた。
「離してッ!」秋恵が叫んだ。「あたし、人間ですッ! 人間なんですッ!」
「どうでもいいのよ、そんなこと!」と、サチコが笑みを浮かべたまま怒鳴った。「あなた、どうやって人形になったの?」
秋恵は泣くのをこらえているだけで、答えなかった。
「あっ、そう。教えないの?」
サチコの顔から笑みが消えた。彼女はあいている方の手で秋恵の左腕をつかむと、その腕を強く引っ張った。
「や、やめてッ!」
サチコは構わずに引っ張り続ける。
秋恵の左腕がミチミチと音をたてる。
ついに、腕がもげた。
「本当の人形になりたくないでしょ? なりたくないわよね? どうなの?」
秋恵が泣きだす。
「答えろって言ってんだよッ!」
サチコが、今度は左足をつかんだ。
「やめてくださいッ!」と、秋恵が嘆願する。
「痛みは感じないんだ。残念」
薄笑うサチコと、すすり泣く秋恵。
「どうやって人形になったのか教えなさい」とサチコ。「どういう経緯でそうなったの?」
秋恵は答えずに泣いている。
「サチコ」と、タカシが言った。「もう少しじっくりいけよ。そうじゃないと、答える前にバラバラになってしまうぞ?」
「ごめん、ごめん。あたしって回りくどいの嫌いなのよね」
「知ってるが、ガキみたいにビービー泣かれたら答えさせることも出来ないだろう?」
「泣けない状況にしたらいいんじゃないの?」
「どうするんだ?」
「火をつけるとか」
「明かりはマズい。周りは一応、住宅街なんだ。そもそも音だって、立てていいわけじゃないんだぞ?」
「はいはい、全く」
サチコはそう言って、秋恵の左足をつかんで引っ張った。
「ほらほら、早く言いなさいよ。左足も無くなるわよ?」
「やめてッ!」と叫ぶ秋恵。タカシは溜息を漏らしていた。
「だ~か~ら~…… やめてほしいならさっさと人形になった経緯を話せっての。その汚い方言じゃないと理解できないの?」
「知らんって言うてるやんッ!」
「知らないなら、どうして、あたしたちの人形を盗んだりしたのよ?」
「知らへんッ! あの人形は堤防の上に置いてあっただけやんかッ!」
「そう、置いてただけなの。別に捨てたワケじゃないのよ?」
サチコはそう言って、さらに口元を緩めた。
「人の物を盗んだ罰よ。あの人形が一枚からんでるんでしょ? だから、あの男の子が持っていったんでしょ? 大阪まで」
「知らへんのです……! ホンマにあたし、何も知らへん……!」
秋恵の左足がミチミチと音を立てはじめた。
「もうやめてッ!」
「どうしてそうなったのかを話せって言ってるの。別に人形になった理由を訊いてるワケじゃない。──言葉の意味、分かる?」
「光です!」と秋恵が叫んだ。「夜、部屋に光が入ってきて、それを覗き見てたら、知らん間に人形と入れ替わってて……!」
「大体、分かった」とタカシ。「夜、鏡の反射した光が部屋に入って、それをこの女が浴びながら見たんだろう。それで人形になって、俺たちが持っていた人形が原因だと分かって回収した…… そうだろ?」
「──どうなの?」
「やめて……!」
サチコは、つかんでいた秋恵の左足から手を離した。そして、
「タカシ」と彼を見やる。「さっそく試してみましょ」
「試すと言っても、人形が無いぞ?」
「無ければ調達すればいいじゃない」
「簡単に言うなよ……」
「調べて」
タカシが携帯端末を取りだし、検索し始めた。
「どう?」
「ちょっと待て」
「ここ、そこまで田舎じゃないんだし、近くに百貨店とか専門店とか無いの?」
「おお!」と叫ぶタカシ。「付いてるぞ、サチコ」
「あったのね?」
「探してみるもんだな。いくつか人形を扱ってる店がある。淡島神社にあるような日本人形がたくさんあるみたいだ」
そう言ってタカシが、携帯端末に表示させた画像を見せた。
「いいじゃない。あとは人間を連れてくるだけね」
「ひとまず、人形だけで試してみないか?」
「人間がいなきゃ入れ替われないでしょ?」
「入れ替わるってことは、元々、人形の中に何かいたってことだろ? ──おい、その辺りはどうなんだ?」
「います……! あ、あたしの体、その人に──……!」と、声を詰まらせて答える。
「と言うことは、まず人形だけでも効果があるのか試してみる価値があるってことだ。そっちの方がリスクも小さいし、何より早く結果が分かる」
「いいじゃない、それ。確かに動く人形を作るのに一々、誘拐するのもリスクが高いもんね」
「ダメだったら誘拐を考えよう。犯罪史上に残る怪事件を作ることになるから、それはそれで楽しみだ」
「本人が人形の中だもんね。永久に見つかることも無い……」
二人でクスクスと笑いあっていた。
「じゃ、ちょっと行ってくる」とタカシ。「大したこと無いだろうから、一人でも大丈夫だ。お前はそいつが逃げないよう見張ってろよ? あと、それ以上、傷を付けないでくれ。商品価値が落ちる」
「分かってるわよ。人形あそびが出来ないのが残念だけど」
「悪いが、これは持っていくぞ」と、タカシが懐中電灯を掲げてから、外へ出ていった。
彼を見送ったサチコは、秋恵を鞄の中へ押しこみ、ファスナーを閉める。
──急に静まり返った。
外の道路をたまに通過する車の音だけが、部屋の中に入ってくる。それに混ざるような形で、秋恵の押さえこむようなすすり泣きが聞こえていた。
サチコがおもむろに、ジッポの明かりをともす。
周囲の景色がぼんやりと現れた。
彼女はライターの明かりを机の上に置き、鞄のファスナーを引く。
「大人しくしてなさい」と、見上げている秋恵に言って、鏡を持った巫女人形を持ちあげる。
「よく考えたら、ここにあるじゃない」
そう言って、サチコはファスナーを閉めると、巫女人形の手と鏡を持ち、それらを別方向に引っ張った。
まず右手から、鏡が引きはがされる。
サチコは同じようにもう片方の手も引きはがし、人形からうばった鏡を顔の近くまで掲げた。
「こんな小汚い鏡が金になるなんて……」
独り言の最中に口角をあげていたサチコは、その口角の高さを保ったまま、周囲を見渡していた。
「あそこがいいわね」
彼女が見ていたのは、薄暗く照らしだされている、事務用の棚であった。
サチコはその棚に鏡を置き、机の上に置いてあった巫女人形に鏡面を向けた。
ジッポを取りあげ、その明かりを鏡に近付ける。と、鏡が光を反射して、暗闇から巫女人形を明るくうつし出していた。それをサチコは、期待の眼差しで見ている。
いくばかりかの時間がたって、サチコの表情が段々と曇ってきた。
舌打ちをし、鞄のところへ戻ってファスナーを荒っぽく開き、秋恵をつかみ上げた。
「嘘ついてるんじゃないの?」
「ウソ……?」
「人形がちっとも動かないわよ? どういうこと?」
「し、知りません…… あたし、何も知らんのです……!」
不意に、ジッポの炎が揺らめくと、途端に火が消えた。
全てが闇に閉ざされる。
「クソッ」と言ってから、また舌打ちをしたサチコが、ジッポをつけようと発火石を回す。しかし火花が散って、一瞬、明るくなるだけだった。
どうやらジッポのオイル切れでは無く、芯の部分が摩耗しているために火がつかないようだ。
サチコはそのことに気付いていない様子で、ジッポの発火石を何度も回している。
火を付けようという試みを諦めたのか、彼女は秋恵を鞄の中へまた押しこむと、かわりにジッポオイルを取りだした。
そうして、足下にあった鉄製のバケツを拾いあげ、机の上に置き、周りにあった端材や紙くずを放りこんだ。
次に、持っていたオイルをそこへ注ぎこんでいく。
それから発火石を回して火花を生じさせ、その火花をバケツの中へと落とした。
突然、バケツの中に火が現れる。それが、どんどん熾っていった。
サチコは驚きながら少し後ずさったが、自分の顔を赤々と照らす炎を見て、満足気な表情を浮かべていた。
「燃やしてやろうかしら……」
彼女が独り言を口にしたとき、物音がした。出入り口にタカシの姿がぼんやりと浮かんでいる。
「驚かさないでよ」
サチコが振り返って言った。
「それはこっちの台詞だ。勝手に火をつけるなんて……」
「気にし過ぎよ、この程度の明かりが外に漏れるわけないでしょ? それより、どうだったの?」
「全く……」
彼はそう言って、袋を持ちあげた。そして、サチコの近くに寄りながら、
「その明かり、消した方がいい」と促す。
「ブラインド下げてるし、大丈夫よ。それより早かったわね?」
「すぐそこだったからな。人もいなかったし、セキュリティも甘くて、お陰で助かったよ」
「そうそう」と、サチコが不機嫌そうに言った。「さっき鏡を持ってた人形に試してみたんだけど…… 全然ダメだったのよね」
「試した?」
「鏡に光を当てて、その反射光を使うんでしょ?」
「そうらしいが……」
タカシが机に袋を置いた。
「あの女、嘘ついてるんじゃないの?」
タカシは鞄のファスナーを開き、秋恵をつかんで持ちあげた。彼女はまだ泣いている。
「さっき、光を浴びて人形になったと言ったな?」
秋恵は答えずにすすり泣いている。
「どうなんだ?」
今度はうなずいていた。
「どんな光だ?」
「どんなって……」
「太陽の光では無かったはずだろ? 電灯の光が反射したのか? それとも他の光か?」
「多分…… いえ、きっと…… 月の光、です……」
彼女は震える声をなんとか押しだしていた。
「本当だろうな?」
「それ以上、知りません……! あたし、ホンマになんにも──!」
タカシは、今にも泣きだしそうな秋恵を、ぞんざいに鞄へ突っ込み、ファスナーを閉めた。
「サチコ、さっきは何で試した?」
「ジッポの火」
「じゃあ、今度は月で試してみよう」
そう言って、タカシが棚の方へと移動した。
「袋から人形を出しておいてくれ。俺は向こうのブラインドをあげてから、鏡の表面を磨いてみる。
それでダメなら、もう片方の手と両足を引き千切ってやろう。そういう人形遊びを好む人間も、たくさんいるからな」
タカシが、最後の言葉を強めに言った。サチコは口角をあげ、
「血も出ないし、死体も残らない…… そもそも人間じゃないから、何やっても問題ないわね」
と、薄ら笑って言った。
同時に、鞄の中にいるはずの、秋恵のすすり泣く声はピタリと止んでいた。




