36 後輩との談笑
電車が南海の尾崎駅を過ぎる頃には、夏美も寝息を立てていた。
春平はよしよしと、ほくそ笑む。
――これで、静かに大阪を目指せる。
昨日、夜更かししてくれたお陰で助かった、などと思いつつ、春平が夏美の寝顔を眺めていた。
「寝顔は秋恵ちゃんやのになぁ……」
「先輩」
春平が一瞬、飛びあがりそうになった。
彼が足下に目をやると、リュックのファスナーが少しあいていて、そこから女形人形が顔を覗かせていた。
「あの…… 喋っても大丈夫そうですか……?」
「あ、ああ」と言いながら、キョロキョロと見渡す。「大丈夫や、僕と夏美しかおらんし…… あっ、ちょっと待っててな」
そう言って、春平が窓のカーテンを引いた。
「よし、とりあえず小声で頼んどか」
「ゴメンなさい……」
「ええよ。それで、なんやっけ?」
「今はどの辺りなんですか? 鞄の中やと、走行音でアナウンスが聞こえやんくって……」
「なるほどな。──今、尾崎駅ってところを過ぎた辺りやわ」
「それじゃあ、まだ泉南ですね……」
「あ、そうや」と言って、春平が前の座席の背面に付いているテーブルを引きだし、そこへ秋恵を座らせた。
「すいてるし、乗務員にさえ気ぃ付けとけば大丈夫やって。それに、いつまでも鞄に詰めこまれてるんもイヤやろ? 息詰まってまうし。僕やったら泣いてまうわ」
フフッと笑う声がした。
「せっかくやし……」
春平はそう言いながら夏美をチラッと見て、寝ていることを確認してから、
「今、僕らのやってることを簡単に説明しとか。隣のヤツが邪魔で説明できてなかったさけ」と言った。
そうして、冬樹が例の巫女人形を調査しているあいだ、自分が夏美を引き止めておくことになったと話した。
「そんなわけやから」と、締めに入る春平。「僕の家に着くまでのあいだ、鞄の中に居てもらうけど…… 堪忍な」
「あの」
「ん?」
「良かったら、私の財布も使ってください。このままやと大変でしょうし……」
「あ、ああ…… えっと……」
春平は遠慮しようかどうか迷ったが、フッと、冬樹が秋恵ともホテル代を割り勘云々と言っていたのを思いだし、
「すまん、頼むわ……」と、うなだれた。
「本当はもっと早く言うべきやったんですけど」
「まぁ、今の今までドタバタしとったさけ。とにかく、お言葉に甘えさせてもらうわ」
『──間も無く、和泉佐野です』
「やっとか……」
春平が、カーテンのあいだから見える外の景色を見つつ言った。
「先輩、私は鞄に戻った方が……」
「大丈夫やって。有料座席に知りあいが乗りこんで来ることなんか無いし」
「でも、怪しまれませんか?」
「隣に夏美がおるし、大丈夫やと思うけどね」
そう言って、春平が夏美を横目で見た。彼女は起きそうも無く、スヤスヤと気持ちよさそうに眠っている。
この姿を見ていると、秋恵が受けている理不尽な仕打ちに腹が立ってくる。それが高じて、なんでこんなヤツのために、自分たちがこれほど苦労しなければならないんだと思い始めた。
「先輩?」
「――ん? なんや?」
「その…… どうしたのかなって……」
「ああ…… ええ気なモンやなこいつ、って思っててん」
「――先輩」
春平が振りむき様に首をかしげる。
「夏美さん、どうしてあんなに会いたがるんでしょうか?」
「復讐やってさ」
秋恵の肩がピクリと動いた。
「昨日、部長から聞いてん。せやから、こいつとマユちゃんを会わせるワケにはいかへん」
「復讐やなんて……」
秋恵の独り言が意味あり気に聞こえたから、春平が「どうしたん?」と言ってみた。
「いえ、なんて言うか……」
「言うてみてよ。この際やし、なんでも聞きたいねん」
秋恵が、春平の顔を見上げる。
「昨日、夏美さんと言いあってたときに、人形が持ち主に執着するのは当たり前だって言われたんです…… 好きな人を好きだと思って何が悪いんだって……」
「そんなん嘘やって」
春平が即答した。
「ホンマに好きなんやったら、復讐がどうたらなんて、口に出すわけないやん」
「それは、夏美さんの性格と言うか…… 素直じゃないのに素直と言うか……」
「秋恵ちゃんは優しすぎるんやって。昨日は泣かされたんやろ? こいつに」
「それは……」と、うつむく秋恵。
「こんなヤツの言うことを好意的に受け止めてたら、それこそ好き放題されるで?」
「そう、ですか……?」
「違うんやったら、さっさと体返してくれてるって。こないにゴネたりせぇへんよ。相手のことを考えやんような、自己中のサイコパス女やさけ、平気で秋恵ちゃんの体を好き勝手つかおうとしてるんやんか」
秋恵が、通路向こうの窓を見やってから、
「確か、持ち主はマユさんって言う方ですよね?」と言い、春平を見上げた。「その方、先輩と幼馴染みでしたっけ?」
「まぁ…… そんな感じやね、多分」
「子供の頃によく遊んだりしてたんですか?」
「そやなぁ…… よう覚えてるんは、お菓子やら料理やらの試食係にさせられて、えらい目にあったこととか、割とヤンチャやったさけ、引き止めるのに苦労したとか…… そんなんかな?」と、うなじをかいた。
「幼馴染みって、中学に入った辺りからほとんど会うことも無くなるって、聞いたんですけど……」
「そうやね。僕も彼女も、行事で会うくらいになったかな」
「行事?」
「ほら…… 花火とかクリスマスとか、そういうヤツ。僕の両親とマユちゃんの両親が仲ええさけ、そういうので会ったりしててん」
「そうなんですか…… なんだか羨ましいです」
「秋恵ちゃんは幼馴染みとかおらんの?」
「異姓の幼馴染みはいなかったです。同性の子は、小学校のときに遠くへ行ってしもたんで」
「そうなんか…… やっぱり、交流とか少なくなるんかなぁ」
ゴトゴト、車両の拍子が刻まれていく。
「えっと……」
秋恵が、結ってある髪を触りながら言った。
「先輩はバイト、いつ入ってるんですか?」
「バイト? 僕は確か……」と切って、「三日後やんか……!」
「あたしもなんです……」と、秋恵が心配そうに言った。「どうしましょう?」
「なんとか今日、明日で片付けやな…… いや、もしものために誰かと交代した方がええかもしれへん…… いやいや、なんとか早く…… う~ん」と、アゴをさする春平。
「二人でなんの話してるの?」
「バイトどうしようかなぁって話」
そう言ってすぐ、春平がハッとする。
「『ばいと』って何?」と、夏美が目をこすりながら言った。
「お、お前、いつ起きたんや……?」
「ん~? さっきからだけど?」
いつもの吹っかけだ、と春平は思って、
「その割には眠そうやな」と言った。
「シュンちゃんだって、起きてすぐに元気ってワケじゃないでしょ?」
そう言って、夏美があくびをしてから、
「で? 秋恵さんと何を話してたの?」と続けた。
「せやから、バイトの話」
「だから、その『ばいと』って何?」
夏美が、春平と秋恵を交互に見て言うから、春平と秋恵が互いを見合ってから、バイトについて説明しはじめた。




