31 露店風呂で作戦会議
水平線から光の層が消えさって、外灯の明かりがつき始める。それでも、空はまだ濃藍色の明るさを僅かに残していた。
春平は露天風呂の湯船につかりながら、ぼうっとその光景を眺めている。
「いや~…… しもたなぁ……」
隣にいる冬樹が、春平と同じように加太の暗い遠景を望みながら言った。
幸いと言うべきか、他に客がいなかったため、話題は自然とあの『事件』となった。
「全く……」と春平。「どれだけ僕らを困らせたら気ぃ済むんや、あいつは」
「今の夏美ちゃんは、部分的には子供やな。思考能力は秋恵ちゃんのものを受けついどるみたいやさけ、僕らとそう変わらんけど……
体の変化に対して鈍感なんと同じで、成人に備わってるはずの常識とか習慣がまるで無い。エピソード記憶とかファジー記憶の一部が欠落してるような状態なんかもな」
「もはや痴呆症ですね、それ」
「記憶喪失って言うた方が近いと思うで」
「そんな状態やから、あんな姿で僕らの前に?」
「あれは、いくらなんでも不意打ち過ぎたけどな…… 元々が人形なんやから予測できたやろって言われたら、それまでやけど……」
「あとで、もう一回あやまっときましょうよ」
「せやなぁ」と、天を仰ぐ冬樹。「不可抗力とは言えなぁ…… 秋恵ちゃんは繊細な子やから、心配やねぇ」
春平は、どんな言葉で秋恵に謝ろうか色々と思案した。
ここまで真剣に考える理由は二つある。
一つは文字通り、申し訳ない気持ちから来ているのだが、もう一つは、あの光景をなんとか消し去ろうというものであった。
風呂の熱と知恵の熱に耐えつつ、例の光景を忘れようとする姿は、さながら修行僧のようであった。そんな苦行を自主的におこなっていると、
「そろそろ、今後の話でもしよか」と、冬樹が提案した。
「あ……」と、我に返る春平。「そうですね、中断してましたし」
「え~っと、どこまで話してたっけ?」
「確か、マユちゃんに会わせたくないって話です」
「ああ、そうやったな。え~っと…… 僕の意見、まだ言うてなかったよな?」
「ええ、聞いてません」
「マユちゃんの家って春平君の家から近いの? ──あぁ、実家の方な」
「隣です」
「お隣さんかぁ……」
「なんかマズいことでも?」
「いやね、離れてるんやったら時間かせぎでも、って思うてたんやけど…… せやなぁ……」
そう言って立ちあがった冬樹が、湯船の縁へ腰を下ろし、側にあったタオルを太腿の付け根あたりに掛けた。
「まず、夏美ちゃんをマユちゃん…… やっけ? その子に近付かせやんように引き止めとく必要がある。目的がハッキリせん以上、会わせんのは危険やと思うし」
春平がうなずきながら、上半身だけお湯から出るように、階段のところへ移動した。
「それから例の、鏡を持った巫女人形についても調査する必要がある。
今のところ分かってんのは、フリマで誰かがあの人形を入手したってことだけや」
「フリマ?」
「フリーマーケットの略やで。あるやろ? アプリとかで」
「ああ、ネットのフリーマーケット…… えっ?!」
「どないしたん?」
「ぶ、部長! 僕その話、初耳なんですけど……!」
「あれ? そうやっけ?」
春平がうな垂れて、大きく長い溜息をついた。
「まぁ、あれや」冬樹がすぐ言った。「友ヶ島への船を待ってるあいだ、ネットでアレコレと調べてたんよ」
「そういう大事なことは、早う言うてください……」
「すまん、すまん」
「で…… フリマって、どういうことなんです?」
「ネットで、伊賀地方に特有の人形ってあるんかどうか調べててん。
まあ、氷川神社とかいう神社に巫女人形があるらしいんやけど、こう、達磨さんのちっちゃい人形やったし、埼玉県にあるらしいから……」
「伊賀に特有の人形やなかったってことですか?」
冬樹がうなずき、そのあと口角をあげていた。
「それで画像検索で似たような人形ないか探してたら、思いっきり、
あの人形の画像が載ってて、袴のところに『伊賀』って刺繍されてんのも、まぁ見えにくかったけど確認できたさけ、その画像があるページへ移動したら…… って流れやね」
「なるほど。でも、なんであんなもん出品してあったんですかね?」
「ページの文章から分かるんは、つい最近の出品であること、代理出品であること……
それから遺品整理の一環で出品したさけ、人形の他にも絵巻物やら古文書やらが一緒くたに出品されてたってことやな」
「それが、なんでこんな場所に……? 人形だけいらんかったから、あそこに捨てたってことですか?」
「捨てた可能性が高いやろうね。ぶっちゃけ、精巧に出来てても需要ないさけ、歴史的な何かとかではない限り、二束三文にもならんやろうな」
「絵巻とか古文書って、どんなヤツなんですか? やっぱり人形にまつわる何かとか?」
「いや、絵巻物の画像や商品紹介の文章を見るに、妖怪やら幽霊に関するもんやね」
「妖怪って……! まんまやないですか!」
「可愛らしい妖怪よな」
「部長、趣味わるいです……」
「君が気に食わんだけやろ?」
春平が了承しかねるといった顔になったから、
「まぁ、その辺はもうええねん」と、制するように冬樹が言った。「こっからが大事な話やで、春平君」
心持ち、春平の上体が冬樹の方へ寄っていた。
「まず、出品内容やけど…… 代理出品やったさけ、誰が依頼したのかは特定できやんと思う。そもそも、出品者の情報も伏せられとるしな」
「まぁ、普通はそうでしょうね。ネットやし……」
「それで、即決の早い者勝ちっぽい形で出品してあったけど、購入条件として人形の供養を淡島神社ですることってのがあげられとったさけ、出品内容にしては、割と時間たってから落札されとる」
「供養? 購入者がですか?」
「せや。
詳細は落札後ってあったから、詳しくは分からんけど…… なんらかの理由で淡島神社での供養が出来やんから、お願いしたかったんやろうね。供養の有無を確認したあとに、出品物を引き渡すって書いてあったわ」
「まぁ、そこは色々と事情あったとして…… 購入者が供養しやなアカンってことは、昨日、神社に来てた男と女が犯人ってことですよね?」
「犯人? なんの?」
「巫女人形を堤防へ放置して帰った、諸悪の根源ですよ」
「あぁ、そういうことか。諸悪かどうかはさておき、放置したんは十中八九、あの二人で間違いないやろな」
「ガラ悪いと思ってたけど、とんでもない奴らですわ、ホンマ……!」
「まぁ、ぶっちゃけアイツらのことは、もうどうでもええ。
大切なのは、人形の持ち主やった人と会うことや。夏美ちゃんがあの人形のことを知らんと分かった今、頼れる情報源は持ち主だけやからな」
「でも、遺品整理として出品されたんでしょう? 持ち主、もう亡くなってるんとちゃいますか?」
「どうやろうね。代理を依頼した人間と違うて、出品したその人が持ち主って可能性もあるし…… とにかく、出品依頼者と出品者のどちらかを見つけ出す必要がある」
「場所とかフリマの運営者に訊けるんですか? 普通は無理ですよね?」
「発送元──つまり、大方は出品者のおる場所ってことなんやけど、それが今、僕らのおる和歌山になってんねん」
「加太って確か、泉南ちゃうんですよね。驚きましたよ」
「和泉山脈あるさけ、分かりやすいと思うけど…… まぁ、ええわ。とにかく、出品者が和歌山に住んでる可能性は高い」
「この近くってことですか?」
「残念ながら県名しか分からんのよ。それに出品依頼者は県外って可能性も高い…… 下手したら関西圏とちゃう場所に住んでるかもしれへんし」
「あぁ~…… それやと厄介ですね……」
「さらに厄介なことに、和歌山だけに限定しても北部と南部に分かれてんねん。場合によっては中部って分け方もされとる。要するに、想像以上に広い場所なんよ。――ほぼ、山ばっかりやけど」
「なんか、三重県と一緒で縦長って印象あります。半島やからでしょうかね?」
「せやな。高速でも南紀いくのに三時間くらいは掛かるみたいやで。すいてて三時間やさけ、混んでるとどうなることやら……」
「僕はとにかく、もう山歩きとかは勘弁です……」
「その点は心配せんでもええと思わ」
「えっ? なんでです?」
「あの手の絵巻なんかは骨董店で買うたもんやろし、そういう店は大抵、都市部にあるもんやろうから、比較的、人口がある町に住んでると思ってるんよね」
「ほな、この辺りにはおらんってことですか?」
「和歌山市とか橋本市とか…… あと南紀の新宮市とか田辺市とか、そういうところには骨董店あると思うで。
和歌山市とかやったら、電車や車で大阪へも行きやすいやろし、それこそ条件にあうし、世話ないんやけどね」
春平は無意識に溜息を出していた。
田舎とは言え、数千数万の人がいる市内から見つけ出すのは、さすがに骨が折れる。本当に見つかるのか心配になってきた……
「ひとまず明日の朝にでも淡島神社へ行って、話きけたら、訊いてみら」
「神社に行くんですか?」
「宮司さんとかやったら、普通の人より人形について詳しいやろし、『こっち系の人形』の話、なんか知ってるかもしれへんやろ?」
「まぁ…… そうかもしれませんけど」
「人形の持ち主を探すのも大切やけど、目的はあくまでも、人形の正体と性質を知ることや。そこさえ分かれば、ぶっちゃけ持ち主に会う必要も無くなるさけ。秋恵ちゃんを元に戻す算段も立てられるやろし」
「なるほど。
あっ…… でも神主さんって、僕らみたいな一般人に会うてくれるんですか?」
「さぁねぇ…… 今日の夕方に電話かけたけど、留守電やったし」
「あ、そう言えば部屋から出ていってましたね」
「まぁ、とにかく明日、神社へ行ってみるわ」
「分かりました」
「そんなわけで春平君。僕が情報収集してるあいだ、夏美ちゃんを引き留めといてくれ」
「はい。──ハイ?」
しばらく目をパチクリさせたあと、じわじわ驚いた顔に変化していった。
「えぇッ!? ぼ、僕があいつをですか!?」
「自分で言うのもなんやけど、春平君はこういう調査って苦手やろ? 全く知らん人からアレコレ無理やりにでも訊き出さなアカンさけ」
「うっ…… それは、まぁ……」と、たじろぐ春平。
「頼む。
いくら秋恵ちゃんでも我慢の限界はあるし、なるべく早く解決させたいんや。そのためにはどうしても、二手に分かれて動く必要あんねん」
確かに、と春平は思った。
夕食中に何度か彼女の様子を見たけれど、暗くなっていく外の景色を眺めているだけで、会話に参加してこなかった。
大人しい性格とはいえ、余りにも元気が無い。そして、今回のあの出来事……
「さすがに可哀相ですもんね」
春平のつぶやきに、冬樹がうなずく。
「頼むで春平君。とにかく、夏美ちゃんを引き止めとくんや。そのために君の下宿先を使う」
「えっ!?」
「しゃーないやろ? 大学やと何かあったら収拾つかんさけ、君の部屋で引き止める方が賢明なんや」
「せやけど部長……!」
「僕は実家からの通いやさけ厳しいし、最後の手段で秋恵ちゃんに頼んで、彼女の部屋にするって手もあるで。ただし、今の状況を考えたらエエ手段ちゃうけどな」
春平が黙りこむ。
「なんでもええさけ、くれぐれも夏美ちゃんに不審がられて、逃げられたりせんようにね。
それと春平君には難しいかもしれやんけど…… 彼女と話をするときは、とにかく聞き役に徹するんやで?」
「それくらい、なんてことありませんよ」
春平がムッとしながら言った。
「ほな、夏美ちゃんから色んな話を引きだしてくれ。巫女人形のこと知らへんって、嘘の可能性もゼロとは言えやんさけ。ええか?」
「任せといてください、そんなの造作も無いです」
やってやろうじゃないか、と春平は決心した。




