23 鬼ごっこの結末
広場から海岸方面へ、海岸沿いの荒れ道から建物の基礎部分らしき敷地へ行き、その基礎跡から壕底に埋まってる煉瓦造りの建物を横切って、灯台のところまで戻ってくる。
彼女が、灯台へ行くために上った坂道を下りていくのが見えたから、春平も急いで追いかけた。
下りで坂道な上に悪路だから、彼女の走る速度が自然と落ちている。春平は、しめたと思った。
このあいだに、なんとしてでも距離を詰めなければならない。それなのに、
「あいつ、なんであんな足速いんや……!」
秋恵より自分の方が運動神経が悪いなんて認めたくないし、格好が付かないから、意地でも追いついて捕まえてやる……!
春平の走る目的が、秋恵を助けることから、自分の陳腐な自尊心を保つことに切りかわっていた。
二人して緑のトンネルを駆けていく。
そのトンネルを抜けると、今度は底が緑に萌えているキャンプ場が現れた。右手には海と浜辺が見える。
彼女は、広場から再び森の中へ突入するところだった。
また森の中を走っていくと、左右に道が分かれているのが見えた。
(どっちや……?!)
春平は、彼女が袋小路に入ることを期待する。
彼女は一瞬の躊躇のあと、左へ折れた。
春平も左へ曲がる。蝉がけたたましく鳴き始めた。
悪路のデコボコには夏の木漏れ日による光と影がくっきりと付いていて、二人の足が、その光と影を強く踏みつけていく。
そのうち、また分岐点が見えてくる。右へ曲がるか、真っすぐ進むしかない。
ところが春平には、彼女がどちらへ曲がるのか分かっていた。
真っすぐ進むと、こちらへ歩いてきている観光客の団体とぶち当たることになる。あいだを抜けていくことも出来そうにない。
春平の思惑通り、彼女は右へ折れた。
どんどん、坂が急になっていく。
「ゼェ……! ハァ……!」
息を切らせる春平。汗が流れて止まらない。
前を走る彼女も追い掛ける春平も、すでに走る格好で歩いていた。
つづら折りの山道をあがっていくと、休憩所のような場所が左手にあるのが見えた。そこを通りすぎると、またもY字の別れ道が現れる。
彼女は立ち止まって、看板を見ている。が、春平の姿を見つけるや否や、「もう~!」と叫んで走りだし、右では無く真っすぐの坂道を選んで上っていった。
「また坂道かい……!」
愚痴りながら春平も追う。
段々と道が広くなる。
右手には鉄骨で組んだ、巨大なパラボラアンテナのような物が見えている。
あれが航空ビーコンのアンテナか、と春平は思った。
アンテナの方へ逃げてくれれば、完全に行き止まりとなる。
近くにあるという大展望台に行ってくれてもいい。とにかく、どちらかに通じている階段へ行け、と願う春平。
──彼女は左のスロープを下りていった。
「なんでやねんッ!」と、疲れた声で荒らげる春平。
スロープの先は石畳の通路だった。さらに右手は、レンガ倉庫らしき廃虚が連なっている。
彼女は当然、そんな場所には入らず、突きあたりの左にあるトンネルへ入った。
トンネルとは言っても短く、すぐ外へ出る。
見るからに廃虚と分かるレンガ造りの建物が二つ並んでいた。そんな場所を写真に納めている物好きな人々が、猛暑の中、山道を走る女性と春平を、物珍しそうに見送っていた。
石垣で狭められた道を通って、坂をくだる。
もはや、お馴染みとなりつつある別れ道が見えてきた。
今までと違う点は、Y字や丁字では無く三つ又となっている点だ。
「どっちやぁ~……?」
疲れた顔で言いながら、春平は注視した。
ヘトヘトの彼女が選んだ道は左だった。左の道はくだり道だ。
夏の山道を走って、すでに疲労困憊なのに、坂道を上がったり下がったりさせて、この女は鬼だと春平は思った。
そのときである。
向こう側から歩いてきた青年が、彼女の行く手を遮るようにして立ち塞がった。
「どいて!」
息も絶え絶えに彼女が言うと、
「宿り主の体で好き勝手すんのは、なんぼなんでも、どうかと思うで?」
「ぶ……! 部長~!」
春平がほころんだ笑顔で言った。
「くれぐれも追いかけ回すようなこと、したらアカンって言うたやろ?」
ポケットに突っ込んでいたペットボトルを飲みほしていた春平が、息を整えてから、
「そいつが勝手に走りだしたんですよ……!」
と言った。
「まぁ、しゃーないか」
冬樹がリュックを前へ回してきて、側面のネットに差しこんであったペットボトルの飲料水を、彼女へ差し出した。
「人の体も楽ちゃうやろ? 人形さん」
彼女は警戒しながらペットボトルを受けとり、飲み口へ唇をつけた。そしてすぐに、水が出てこないことに気付いて戸惑った。
「それ、《あける》って書いてある方向へ回したらええねん」
冬樹がジェスチャーを交えつつ言った。それで、彼女はようやく中の液体を飲むことが出来た。
「さてと」頃合いを見て、冬樹が言った。「僕は冬樹って名前で、春平君よりも年上の先輩や。君の名前はなんていうんかな?」
「秋恵でしょ?」
「秋恵ちゃんはホテルにおるで。僕は君の名前を訊いてるんやけどね」
「聞いてどうするの?」
「船に乗るとき、乗船名簿に名前を書かなアカンかったやろ?」
春平の鼓動が高鳴った。
夏美は黙ったままである。
「なんて書いたん? 二葉 秋恵とか?」
「──違う」
「ほな、なんて書いたの?」
「部長」と春平が言った。「とにかく桟橋へ戻りましょうよ。ここやと誰か来るかもしれへんし……」
「別にええんとちゃうか? 話してるだけなんやし」
「せやけど、人形の話なんてしてたら……」
「名前の話やさけ、気遣えないって」
春平が何か言おうとした瞬間、「覚えてたんだ」と、振りかえって彼女が言った。
「夏美おばあちゃんのこと」
春平が、あけていた口をゆっくり閉じた。
「ナツミおばあちゃんって?」
冬樹が春平を見て言った。彼は目を合わせず、
「近所におった、知り合いのおばあちゃんです。昔ちょっと──」
「私の持ち主だった人」
夏美が割りこんで言った。春平は当然、不快に思って眉根を引き寄せている。
「なるほど」冬樹が頬笑んだ。「それじゃあ、君のことは夏美ちゃんって呼ばせてもらうわ。──春平君、ええかな?」
「部長、桟橋に戻りましょうよ。足が痛くて痛くて……」
冬樹は苦笑い、夏美を見やった。彼女も汗だくで疲れきった顔をしている。
「せやな、歩きながらでも話は出来るさけ。──もう逃げたりせんといてよ?」
「逃げ道、無いもん」
夏美が両肩をすくめて言った。




