18 二千円札
小走りで数分後。
やっと目的の橋――加太大橋が見えてくる。
手すり近くに、志紀が立っていた。
「志紀!」と呼び掛ける春平。
「なんや、走ってきたんか?」
息を整えつつ、「待たせんの悪いやろ?」と言った。
「そういう気遣い、秋恵ちゃんにしてあげたらええのに」
「その秋恵ちゃんやけど…… どこ行ったか分かるか?」
「お前さ、ホンマに秋恵ちゃんとはなんも無かったんか? 付き合うとか関係なしに」
彼はこの手の話にしつこい方だが、それを加味してもしつこかったから、何かあるんじゃないかと思い直し、
「ホンマになんも無いけど…… なんでよ?」
と、訊き返した。
「秋恵ちゃんと喧嘩でもしたんかなぁって」
「喧嘩? なんで?」
「告白して、お前に振られたから様子が変わったてるんかなって」
「そんなことになっても無いさけ、そこは心配せんでええぞ」
「じゃあ、なんでやろ…… 親戚の人と何かあったんかなぁ」
「だから、何あったん?」
「秋恵ちゃん、なんかえらい雰囲気かわってもててさ。なんか、喋り方もぎこちないって言うか…… なんかあったんやろ?」
「え~っと…… 多分、あれちゃうか?」
「あれって?」
「ほら、親戚の人のところで手伝いすることになったとか、なんとか言うてたやん。それで機嫌わるいんとちゃうか?」
「秋恵ちゃんがその程度のことで不機嫌になるとは思えやんけどなぁ」
「そう言われても僕には分からんよ」と、肩をすくめた。「そもそも、今朝から会うてないし」
「まぁええわ、親戚のことやったらあんまり突っ込んでもしゃーないし。本題、入ってもええか?」
そう言うと、志紀が手の平を見せてきた。
「なんやこの手……」
「二〇〇〇円返して」
「──は?」
「秋恵ちゃんがな、お前から貰っといてくれって言うんでな」
「え、ちょ…… どういうこっちゃそれ」
「こっちが訊きたいんやけど…… まぁ、こっちの成り行きをざっくり話すわ」
そう言った志紀が、手すりを手の平で打ちながら続けた。
「この橋の上でばったり秋恵ちゃんと会うてな。
呼び止めたら、二〇〇〇円あるか? って言うてくるから、てっきり昨日いうてた二〇〇〇円札のことかと思うてん。
それで見せてあげたら、欲しい言うから両 替でええでって言うたんよ。せやけど、急いでるから学校かなんかで、春平から二〇〇〇円もらっといてって言うさけ」
「それで渡したんか?」
「お前も朝食のときにおらんかったし、ひょっとしたら二人で何かするつもりなんかなぁ、とか、学校で返してもらうとなると、面倒やからイヤやなぁ、とか、まだお前が加太に残ってるんやったら、別にええかなぁとか、色々なこと考えて、結局わたしてもたんよ」
春平は、どうしてもっと相手を疑わなかったんだ、と思った。そしてすぐに、疑われていたら秋恵で無いことがバレると考え、あきれ顔から安堵の顔へと変化していった。
志紀は春平の気持ちなどお構い無しに、
「なんか怖かったからなぁ、秋恵ちゃん……」と、述懐する。
「有無を言わさへんっていうか…… あれ? 待てよ…… 確かお前のこと、シュンちゃんとか言うてた気が……」
「い、いつもの秋恵ちゃんらしくないな、うん。そら怖かったやろな」
志紀がこちらを見てくる。春平は誤魔化し笑いで耐えていた。
「なるほど、なるほど。まぁ、そういうことやろなぁ」
「どういうことや?」と、内心ビクつきながら尋ねる。
「将来はカカア天下やなぁ」と、ニヤつく志紀。
「なんでやねん……」
しつこいと言うつもりが、安心してこう返してしまった。
「まぁ、なんにせよ」
と、志紀がまた手の平を見せてくる。
春平は渋々と財布から、偉人の肖像が印刷された紙幣を二枚取りだし、彼へ手渡した。
「おおきに、おおきに」と財布へ収める志紀。
「なんで僕がこんな……」
「将来の恋女房なんやし、ええやろ」
「しつこいっちゅうねん」
「冗談やのうて、秋恵ちゃんの話、聞いちゃりな。あの子、お前にしか色々と話さんみたいやさけ。せやろ?」
志紀は唐突に真面目になるところがある。その点が冬樹によく似ている。だから反応に困ることが多いのだ。
春平がどんな返事をしようか悩んで固まっているあいだに、志紀が挨拶をして離れていく。
ちょっと待ってくれと言いながら、春平が志紀の前へ回りこんだ。
「すまん。最後に訊いときたいんやけど…… 秋恵ちゃん、どこ行ったか分かる?」
「なんや、結局は気になっとるやないか」
「心配なんやって。今朝から見てないし、お前の話きいてたら、なんかあったんかと思うようになってきたって言うか……」
春平は自分の発言に手応えを感じていた。
先程の志紀の発言と合わせた、それらしい理由を言えたからだ。
「二〇〇〇円札を渡したら」と、志紀が答えてくれた。「速攻で走って行ってさ…… 多分、あっちへ行ったと思うんやけど」
志紀が指差す方向には、引揚船台があった。
「なんであんなところへ?」
「ちゃうちゃう。あそこや、あそこ」
志紀が何度も人差し指を前へ突き伸ばす。もっとハッキリ指してくれと、春平は思った。
「旅館のビル?」
「ちゃうってば。その手前のところにある階段」
「え? 階段?」
「あそこの、駐車場っぽいところに下りられる階段あるやろ? あそこやと思う」
「下へもぐって逃げたんか……」
「ん? 逃げる?」
「あ、いや…… とにかく、ありがとうな志紀。気ぃ付けて帰ってや」
「また晩に連絡するさけ、どうなったかちゃんと教えてくれよ。ええ加減、生殺しは良くないからな?」
「分かった分かった。こっちから連絡すら、安心して待ってて」
やっぱりこのパターンか、と春平は思った。




