天使は永遠に忘れない
ノースタリア王国には、二つの噂がある。
一つは、この国のお城には幽霊が住んでいるというもの。
なんでも、昔から城には特別に許可された者しか立ち入ることの許されない不可侵の区画があるらしい。
城で働くメイドが言うには、夜な夜なその区画から誰かの泣き声や笑い声が聞こえるそうだ。また、最近では真っ白な長髪の女性の霊を見たと言い出す者もいる。
噂の真偽は定かではないが、そこに『何か』がいるのは確実だった。
***
夜、月が照らす王城の奥の奥。
この国の王太子アレンは5つ年上の側近クロードを連れて、いわく付きのその場所を訪れていた。
「行くぞ、クロード」
「はい、アレン殿下」
アレンは重厚な扉の鍵穴に金色の鍵を差し込むと、それをカチャッと回す。そして鍵を抜くと、ゆっくりと扉を押した。
重厚な扉からはギギギっと不穏な音が鳴る。
中から漏れ出てきた冷たい空気に頬を撫でられ、クロードは思わず身を震わせる。
そのまま赤絨毯の敷かれた暗い廊下を進むと両サイドに2つずつ、そして正面奥にひとつ、木製の扉が見えた。
右側にふた部屋はキッチンと風呂場、左側のふた部屋はトイレと衣装部屋。そして、真正面の奥にあるのが寝室らしい。
王が住まう城には似つかわしくない、まるでちょっと広めのアパートのようなその場所は、遠い昔に改築されたそうだ。
アレンはその一番奥にある寝室の扉を勢いよく開けた。そして…。
「イヴ!!」
クロードの制止も聞かず、奥の部屋のベッドに横たわっていた少女目掛けて突進していった。
少女はそんなアレンを華麗に躱し、ベッドから降りる。
アレンはその勢いのままベッドを通過して、壁へとぶつかった。
「ちょっとクロード!連れて来るなら前もって言ってってば!」
「すまん、イヴ。アレン殿下がどうしてもと仰るから」
「今何時だと思ってんのよ!」
ぷりぷりと頬を膨らませて憤っている少女の名はイヴ。
雪のように白い肌と白い髪、そして深紅の瞳を持つ大層美しい容姿をした、元踊り子である。
「イヴ!頼む!明日の帝国との会談が不安で不安で眠れないんだ!一緒に寝てくれ!」
「いやよ。馬鹿じゃないの?」
「頼むよ、イヴ!」
アレンはイヴの真っ白なワンピースの裾を掴むとめそめそと泣き出した。
そんな主人の姿を見て、クロードは銀の長い前髪をかきあげ、ため息をついた。
この男、ノースタリア王国の第一王子アレン・フォン・ノースタアリアは文武両道で、どんなこともサラッと完璧にこなす完全無欠の王子様だ。
それでいて彼はその能力の高さを鼻にかけることもなく、「自分はまだまだだ」と言って努力を惜しまない謙虚な一面を持つ。
皆がそんな王子を慕っていた。
だが、それは外側から見た彼。本性を隠しているからこそ素敵な王子様に見えるだけ。
本当は誰よりも臆病で甘えん坊な情けない王子なのだ。
「どうせ、『明日もお任せください、陛下。必ずや我が国にとって有益な条約を結んで参ります』ってキリッとした顔でキメてきたんでしょう。そして、後でそんな大口を叩いたことを後悔していると」
「さすがイヴ」
「ご明察」と、側近のクロードは眼鏡をくいっとあげた。
「仕方がないわねぇ」
イヴはアレンをベッドに座らせると、子供をあやすようにギュッと抱きしめて、優しくその艶やかな黒髪を撫でる。
アレンはイヴの心臓の音を聞きながらゆっくりと深呼吸した。
「なんだかんだと言いながらも、アレンはいつも成功させてきたじゃない。大丈夫よ」
「大丈夫だと言う根拠は?」
「え?ない…」
「ないのかよぉ」
「な、なくても私にはわかるのよ。アレンは大丈夫。それに…ほら、何かあればクロードがなんとかしてくれるわ!」
「なんで俺…」
「主人のフォローは側近の仕事でしょう?」
イヴは呆れ顔のクロードに向かってにっこりと笑った。
イヴとクロードの主人であるアレンの出会いは今から2年前まで遡る。
王国領のひとつを任されたアレンがその重圧に耐えかねて任命式前日に城下へ逃亡した夜、逃げ込んだ酒場で流浪の踊り子として舞を披露していたのがイヴだった。
当時から立派な王子になろうと常に周囲の目を気にして生きていた彼は、上辺だけの自分が褒めそやされて評価されることに苦痛を感じていた。
そんな時に、自分の情けないところも弱いところも全部を丸ごと包み込んでくれるようなイヴの優しい舞に出会い、強く心惹かれてしまったのだ。
その後、酒場でしばらく話した彼らは意気投合。そして、『気に入ったのならそばに置いてみる?』と言うイヴの冗談を間に受けたアレンが、そのまま王宮にお持ち帰りしてしまったという流れである。
逃亡した主人が流浪の踊り子を抱えて帰ってきた姿を見た時、クロードはそろそろ職を辞そうかと本気で考えた。
アレンはその後すぐに、父王にイヴを王宮で囲いたいと相談した。
王はイヴの姿に少し驚いたような表情を見せたものの、今までわがまま一つ言わなかった可愛い息子が珍しく欲しがったものだからと、父王は『公にはしないこと』と『決して妃にはしないこと』を条件に王宮の一角を与えた。
幸いにも、イヴは身の回りのことは一通り自分でできるため、必要なものは定期的にクロードに届けさせることで事足りており、イヴの存在は国王とアレン、クロード以外には知られていない。
ちなみにこの時、立太子前の王子が得体の知れない流浪の踊り子を囲うことに反対しない国王を見て、クロードが退職願を書いたのは言うまでもない。
「イヴ。舞を見せて」
「やだ」
「見たら頑張れるから」
「い、や!」
「お願いだよおおおお!」
「アレン、煩いっ!」
ゴチンと鈍い音が部屋に響く。
自分の腕の中で叫ぶアレンにイヴは頭突きをして黙らせたのた。
アレンは額を押さえてイヴに抗議の視線を向ける。
「いたい。イヴが優しくない」
「私が貴方に優しくしたことなんてある?」
「…ない」
「でしょう?さ、早くお部屋に帰りなさいな。お坊ちゃん」
そう言って微笑むイヴは妖艶な大人の女性だった。
イヴは見た目こそ16前後のまだあどけなさを残す少女のようだが、中身はアレンよりもずっと大人だ。少なくとも彼女にしがみついて、やだやだと駄々をこねる王子様よりは数倍は確実に大人である。
「イヴ。ここはスパッと踊ったほうが早く終わるぞ」
「それはクロードが早く休みたいだけでしょう?」
「そうとも言う」
「そうとしか言わないじゃない」
心の底から面倒臭そうにため息を吐くクロードは、視線で早く踊れとイヴに訴える。
イヴはまた「仕方がないなぁ」と小さく息を吐くと、椅子を引いてそこにアレンを座らせた。
そして、純白のワンピースの上に、金糸でブルースターの花の刺繍が施された白いストールを羽織る。そして同じくブルースターの柄の入ったヴェールをかぶると、アレンの前に跪き首を垂れた。
「アレン。明日の貴方が頑張れるように、神に祈りを捧げてあげる」
イヴはそう言うと顔を上げ、ヴェールを捲る。
彼女がクルクルと回るたびにスカートの裾は朝顔の花のように広がり、ストールは蝶が舞うようにひらひらと靡く。
アレンは感嘆の息を漏らした。
指先まで全神経を集中させたイヴの舞は繊細で美しく、けれど儚さとは程遠いほど暴力的で、力強く…、見る者全てを惹きつける。
彼女の舞は見る者の心情によって、鼓舞しているようにも見えれば、叱責しているようにも見える不思議なもの。
アレンは良く、この舞を『自分の心を映し出す鏡』だと言う。
(まただ…)
アレンがうっとりとした表情で彼女の舞を眺めている横で、クロードは険しい顔をした。
アレンはこの不思議な舞に魅せられたらしいが、クロードは舞っている時のイヴがどうも苦手だ。
全てを見透かしているような深紅の瞳が自分を映す瞬間、心の中を覗かれたような感覚になる。
王子としては優秀だが人の良いアレンのために、クロードは黒いことも沢山やってきた。それが側近として求められていることだと思うし、アレンのためならば汚れることも苦ではない。後悔もしていない。
だが、イヴの舞の前では、見られたくない内側の汚い部分まで全部曝け出して許しを乞いたくなる。
(見たくないのに…)
目が合えばもう最後。視線を逸らすことを許してはくれない。
最後にくるりと華麗にターンを決めたイヴは、スカートを摘み、頭を下げた。
「お粗末様でした」
彼女がそう言うと、アレンは立ち上がって拍手した。
「流石はイヴだ。すごいよ!やはりイヴの舞は他とは全然違う。がんばれって、お前ならできるって背中を押してくれる」
「そう?元気が出たならよかったわ」
イヴはニコッと微笑むと、アレンの手を引いて扉前へと誘導する。そして、扉を開けて無言で退室を促した。
「僕はもう少し余韻に浸りたいんだけど…」
「私はもう眠いの。元気出たなら帰って」
本気でちょっと怒っているイヴの眼力に負けて、アレンは渋々部屋を出た。
帰り際、クロードはアレンに手を振るイヴに耳打ちする。
「イヴ。明日の夜、時間をくれないか?」
いつになく真剣なその表情に、イヴは小さく頷くとゆっくりと扉を閉めた。
「案外短かったわね…」
イヴは少し寂しげな目をして、布団に潜り込んだ。
***
次の日の夜。
クロードは一人でイヴの元へとやってきた。
どことなく暗い顔をしている彼に、イヴは気持ちを落ち着かせる効果のあるお茶を出す。
「イヴ…」
「なに?」
「アレン殿下も今年で17になられる」
「そうね」
「聡い君のことだ。もうわかっていると思うが…」
クロードは顔を伏せ、手元をいじる。その先の言葉がどうしても出てこない。
イヴはフッと笑みをこぼした。
「出て行けと言うのね」
「すまない…」
消え入りそうな声でクロードは謝罪した。
アレンも今年で17。このままいけばそろそろ立太子される年齢だ。
いつまでも素性の知れない踊り子をそばに置いておくわけにもいかない。
「アレンは知ってるの?私が出て行かねばならないこと」
「アレン殿下は君をどうにかして留めて置けないかと考えていらっしゃる」
「なるほど、それで主人に黙って一人でここまで来たのね」
クロードが一人でイヴの元に来ることはほとんどない。
今夜、今すぐここから出て行けということだろう。
傍から見ればひどい話だが当然のことだ。相手は一国の王子なのだから。
アレンはこの国を受け継ぐ者として、流浪の踊り子にいつまでも縋っていてはいけない。
もういい加減、終わりにしなければなならない。
「婚約者は決まってるの?」
「宰相の娘だ。次の殿下の誕生日に発表されるだろう」
「あの方なら安心だわ。しっかりしていらっしゃると噂だものね」
かのご令嬢はアレンとは幼馴染でよく知った仲だ。少し気が強いらしいが、そういう部分もアレンの伴侶としては必要だろう。
きっと甘えん坊なアレンのケツを引っ叩いてくれる人だとイヴは笑う。
アレンを小馬鹿にしたような言い方だったが、その目はとても優しいものだった。
「アレン殿下はあのご令嬢は小言が多いと嫌がっていたけどね」
「あら、それならきっとお似合いだわ。アレンは多少尻に敷かれているくらいが丁度良いはずだもの」
「確かに」
男は女房の尻に敷かれているくらいがちょど良いと父も言っていた。
「あ、忘れてた」
クロードは思い出したよう、胸の内ポケットから巾着を取り出した。
そして、「陛下から」と言ってその巾着をイヴに手渡す。
「手切金かしら」
「まあそんなところだ」
イヴの手のひらに乗せられた巾着はチャリンと重い音がした。
中に詰まっていた金貨は、多分、向こう4、5年は遊んで暮らせるくらいの額だった。
「…前の分も入ってるってことかしら?」
イヴは自嘲するような口調でポツリと呟く。
その呟きに、クロードは首を傾げた。
「前?」
「以前もどこかのお貴族様に囲われていたことがあるのだけど、その時はある日突然、体一つで追い出されたなぁって思い出しただけよ」
「そうか…」
色がない流浪の踊り子。珍しい容姿の彼女を愛人にと欲しがる男がいても不思議ではない。
きっと自分には計り知れないほどの苦労があったのだろうと、クロードは同情した。
少し悲しそうな表情をしている彼に向かって、「気にするな」とでも言うかのようにイヴはスッと立ち上がると、明るく「荷造りしてくるね」と言った。
衣装部屋へと向かう彼女をクロードは追う。
「貰った服とかはどうすれば良い?」
「好きに持っていけだって」
「そう。じゃあ、ありがたく頂くわ」
イヴは一着一着、吟味しながらトランクに服を詰め込む。それらはアレンが街に出た時、『イヴに似合うと思って』と言い買ってきたものだ。
時折、そんなことを思い出しているかのように愛おしそうに微笑むイヴ。
扉にもたれかかり、荷造りする彼女を眺めていたクロードは徐に口を開いた。
「君は、悲しくはないのか?」
「どうしてそう思うの?」
「君はアレン殿下のことを好いていたから、ずっと軟禁生活を受け入れてくれていたのではないのか?」
アレン達は、自由が似合う流浪の踊り子から自由を奪い、この部屋の中だけの生活を2年も強要してきた。
そして彼らは自分の都合だけで会いにくる。
必要なものは買い与えたし、イヴは特に嫌がる素振りも見せていなかったか、第三者が見れば彼女のここでの生活はペット扱いされているように映ることだろう。
だが、そんな扱いを受けながらも彼女は逃げなかった。
クロードは一度、逃げるのなら手助けをするとする言ったが断られている。
その時イヴは言っていた。
『アレンは大事な人だから、自分が必要なくなる日までそばにいて支えたい』と。
「あれって、つまりはアレン殿下が好きってことだろ?」
そう言うクロードに、イヴはプッと吹き出した。
「やだ、違うわよ。アレンは弟…いや、むしろ息子みたいなものね。大体いくつ歳が離れてると思ってるの?」
「いくつって、せいぜい3つか4つくらいだろう?」
イヴの容姿からすれば、年上だとしてもせいぜい20かそこらだろう。その程度の歳の差ならそこまで気にすることはない
しかし、イヴは全然違うと笑う。
「もっとよ」
「え?」
「もっと上」
「…イヴは一体いくつなんだ?」
怪訝な顔をするクロードに、イヴは彼の唇に人差し指を当てて妖艶に微笑んだ。
「ひみつ」
その仕草に、クロードは体内に流れる血が沸騰するのを感じた。
「…ここを出た後、行くあてはあるのか?」
「んー特にはないかな。また適当に踊って食い繋ぐよ」
「もしイヴさえよければ、俺のところに来ないか?」
イヴはクロードからの申し出に目を丸くした。
「意外だわ、心配してくれているの?」
「…なんでそんなに驚くんだよ」
「だって、クロードには嫌われていると思っていたから」
彼はイヴが舞を踊るたびに険しい顔で彼女を見ていた。
きっと主人を誑かした悪女とでも思っているのだろうと、そう思っていたのに。
「そんなことない」
クロードは強い口調で否定した。
「君の舞は、俺には刺激が強すぎただけなんだ」
アレンのように、全てを曝け出して身を預けたくなる。自分の情けない部分も弱い部分も、全部受け入れて欲しくなる。
それがどうしようもなく怖かっただけ。
「でも、イヴが俺の前からいなくなるのは多分耐えられない」
いずれこんな日が来るとわかっていたけれど、それでも心のどこかで、イヴはずっとここにいてくれるんじゃないかと思っていた。
いや、そう思いたかったのかもしれない。
今、クロードはどうしようもなく胸が苦しい。
「…俺、イヴのこと好きなのかもしれない」
気恥ずかしそうに目を逸らせて、クロードはボソッと呟くように告白した。
イヴはぶっきらぼうな彼からの告白にクスクスと笑い、肩を震わせる。
「それって愛の告白?」
「…それ以外に何があるんだよ」
自分の告白を笑われたクロードは不服そうに口を尖らせた。
「だって、『かもしれない』って…」
「いや…それは…」
まごまごするクロードに、イヴはまたクスッと小さく笑った。
「…悪いけど、聞かなかったことにするわ」
イヴは彼の方を見ずに、明確に拒絶の意を示した。
「…それはつまり、俺の告白を無かったことにする、ということか」
「そういうことよ」
「それはちょっとひどくないか?これでも結構本気なんだが」
「貴方のその感情は錯覚よ」
「そんなことはない」
「そんなことしかないわ」
「それは君が決めることじゃないだろう」
自分の気持ちを否定されたクロードは静かに憤る。
イヴはふぅっと小さく息を吐いた。
「貴方は私の魔法にかかっているだけよ。私の舞にはおまじないの効果があってね、見た人に幸運をあたえるものなんだけど、その副作用としてみんな私に親愛の情を持つの。だから、貴方の私に対する感情も所詮は作られたもの…。偽物よ」
貼り付けたような笑みを浮かべて、唐突に突拍子もないことを言い出すイヴ。
クロードはそんなあり得ないバカみたい話で、自分の好意をなかったことにするイヴをキッと睨みつけた。
「…バカにしているのか」
低く重い声が部屋に響く。
「バカにしていないわ。本当のことだもの」
「俺の気持ちに応えられないのなら素直にそう言えば良いだろう」
「貴方が本気で言ってくれていると思ったから素直に応えたのよ」
イヴはそう言ってクロードの胸ぐらを掴み、強引に自分の方へと引っ張ると勢いに任せて口付けた。
クロードは一瞬驚いたように目を見開き、そして次の瞬間には苦しそうに顔を歪めた。
(意味がわからない…)
元々つかみどころのない女性だったが…、好意に応えるつもりなんてないくせに、自分から口付けてくるなんて意味がわからない。
「貴方が私を好きだと言うのなら、どうか私を忘れないでいてほしいと願うわ」
唇を離したイヴはそう言って、今にも泣き出しそうに笑う。
クロードは反射的に彼女の後頭部を掴むと、強く深く口付けを返した。
しばらくして唇を離したクロードは、「はぁー」と深く息を吐くとぎゅっと力任せにイヴを抱きしめる。
「何?どういうこと?」
「私の気持ちは本物だけど、貴方の気持ちは偽物なの」
「ちょっと意味がわからないんだが…。何?俺のこと好きなのか?」
「私は好きだけど、貴方は私のこと好きじゃない」
「好きだって言ってるだろう。俺の気持ちだって本物だ」
「…じゃあ、5年後同じことが言えたら貴方を受け入れてあげる」
イヴはクロードから少し体を離して、真剣な眼差しでジッと彼を見つめた。
クロードは彼女のその言葉の意味がわからなかったが、「余裕だ」ともう一度口付けた。
「アレンに手紙を書いても良い?」
荷造りを終え、寝室に戻ったイヴは机の引き出しをから便箋を取り出し、クロードに見せた。
「…わかった。渡しておくよ」
イヴはクロードからの了承を得て、筆を取る。
そして、『どうか幸せになってほしい』『ずっとあなたを見守っている』という旨の手紙を書いて、それを部屋の机の上に置いた。
ブルースターの刺繍のヴェールとともに。
「ヴェール、置いて行っていいのか?」
「…これは覚えていて欲しいという私のわがままよ」
「アレン殿下は絶対に忘れないよ。俺だって」
熱を帯びた目でジッと自分を見つめるクロードに、イヴは「かわいい」と小さく呟いた。
小さなトランクを抱えたイヴは人払いした裏門で立ち止まる。
「ねえ、最後にここで踊っても良い?」
「いいよ」
イヴはスカートを翻すと、月を背に静かに舞った。
彼らへのお礼と、彼らの今後の人生が笑顔あふれる幸せなものになることを願って。
翌朝、イヴが出て行ったことを聞かされたアレンは彼女のヴェールを抱きしめて泣き崩れた。
***
5年後、無事に立太子されたアレンは幼い頃からずっと彼を支えてきたという公爵令嬢と結婚した。
結婚式当日、花嫁はブルースターの花の刺繍が施されたヴェールを被り、ヴァージンロードを歩いたそうだ。
何でもそのヴェールは、王太子アレンが『覚えていないけれど、とても大事なものだった気がする』と言ってずっと大切に保管していたものだったらしい。
側近のクロードは、あの日、昔の恋人のものかもしれないそれを嫌がることなくかぶる公爵令嬢に感心したことを、ふと思い出した。
「どうしました?」
「何でもない。少し疲れているのかも」
ぼーっとしていたことを部下に指摘され、クロードは笑って誤魔化した。
「ここ数日、明日のご成婚パレードのことであまり寝れてませんもんね」
少し気分転換に外出してきたらどうかと、部下はクロードに提案する。彼はその言葉に甘えて、明日のパレードの下見も兼ねて城下へと出た。
適当なところで馬車を降り、ここ数日執務室に缶詰状態の部下への差し入れを買いに、菓子でも買おうかと製菓店を探す。
すると、店を探すのに夢中になりすぎたのか、目ぶかに外套のフードを被った少女とぶつかってしまった。
「すみません。大丈夫ですか?」
クロードは転んでしまった少女に慌てて手を差し伸べる。
少女が自分の手を取ったことを確認すると、彼は少女を立ち上がらせた。
「ありがとうございます」
少女はフードを取り、深々と頭を下げた。
フードの中から姿を表したのは混じり気のない真っ白な髪だった。
少女の白く長い髪がそよ風に揺れる。
彼女はそれを少し煩わしそうに耳にかけた。
その仕草は見た目の年齢に似合わずどこか大人の色気があった。
「綺麗だ…」
思わず口に出してしまったクロードは、ハッとして口を手で塞ぐ。
「貴方にそう言ってもらえると、うれしいです」
少女は、少し寂しそうに「ありがとうございます」と呟くとその場を走り去ってしまった。
「…名前くらい聞いときゃ良かった」
綺麗な子だったな、とクロードは少し後悔した。
翌々日。
雲ひとつない青空のもと、王太子アレンの成婚パレードは盛大に執り行われた。
街頭の人々が、彼の結婚を祝う中、クロードはとある噂を耳にした。
それはノースタリア王国は天使の加護により守られているらしいという噂だ。
嘘か真か。その日、二人の結婚を祝うかのように、青空を舞う真っ白な天使の姿を見たものがいるらしい。
「天使の舞か。見てみたかったな」
パレードの後始末に追われながら、クロードはポツリと呟いた。
すると彼の呟きを聞いていた部下の一人が言う。
「そういえば先代国王の結婚式にも同じような光景を見たとか、ばあちゃんが言ってました」
「お前のばあちゃんはこの前もそんな話してたろ。幽霊が出るとなんとか」
クロードはその話を鼻で笑った。
お粗末様でした。
勢いで書いたので至らない部分も多いかとは存じますが、最後まで読んでくださりありがとうございました!
ここまで読んでくださった方に5億円が当たるよう作者も神に祈りを捧げておきます_(:3 」∠)_