17話 暴食
「仕方ない、誰か食いに行くか……」
車を降りると、気が向かないまま繁華街へ向けて歩き出す。
時刻は15時を回っていた。
※ ※ ※
繁華街を歩いていると、様々な人間達が目に入ってくる。
タピオカの入った飲み物を片手に笑顔で写真を撮る女達。
スマホで通話をしながら足早に人々を追い越すサラリーマン。
以前なら、どれも美味そうに見えたが、今は少し濁って見える。
相変わらず理由はわからないが、食欲が無い。
もやもやとした気分を抱きながら、無理にでも誰かを食おうと品定めを始める。
暫く歩いていると、通話をしながら裏路地へと入っていく若い女の姿が目に入った。
(よし、あの女にしよう……)
女の後をつけて裏路地へと入る。
すると女は壁に寄り掛かり、顔を赤らめながら声色を変えた。
『気をつけて帰れよ。最近失踪事件が多発してるらしいからな……4ヶ月目に入れば楽になるからな、もう少しの辛抱だぞ!』
「うん、そうだね。頑張るよ……」
耳をすますと電話越しに相手の声が聞こえる。
どうやら電話の相手は男のようだ。
この女は妊娠しているのか。
道理で顔が赤い訳だ。
俺は静かに女の背後に立ち、左手をスライム化させ、女の胴体を包み込む。
「ドロッ……」
「ひっ! なっ、何これ……」
女は体を震わせ、目に涙を浮かべながら俺へ視線を向ける。
「あ……あなた、一体何なの?……」
「お前を……食わせてくれ……」
女はペタリと地面に座り込んだ。
「ジュン君ごめんね、あたし、帰れそうにない……」
『おい! おい! どうしたんだ!?』
女は目に涙を流しながら、俺の顔を見詰めている。
どうやら電話の相手の名前もジュンと言うらしい。
「ジュン君……さようなら」
女は諦念の表情で俺を見つめる。
「……!?」
一瞬、女の顔が真実と重なって見えた。
もしも真実が知らない奴に殺されたら、俺はきっと発狂するだろう。
一瞬の躊躇いに判断が鈍り、食欲が失せてしまった。
「クソッ! やめだ!」
女に纏わせたスライムを回収する。
「な……何? どうしたの?……」
「行けよ。俺の気が変わらないうちに……」
女は足を震わせながら、一目散に走り去っていった。
その光景に俺は思案を巡らせる。
今まで“人間”を食ったと思っていたが、それは間違いだった。
実際には“食った人間に繋がる関係”も食っていたのか……
俺はもう人間ではない。
人間社会の関係など、どうでも良い筈なのに……
なのに何故、不安が湧き上がるのか。
何故、人を食う事を躊躇うのか……
その答えが出ないまま、裏路地を後にし車へと向かった。
※ ※ ※
車に乗り込むと、癒しを求めて真実の家へ向けて車を走らせる。
時刻は17時を回ろうとしている。
真実の家の前へ車を停めると、ぬいぐるみの目を通じて部屋の中を伺う。
今日も清楚な白い服を着こなし美しい。
暫くするとエントランスから真実が出てきた。
辺りを警戒しているようだが、不審者は見当たらない。
今日も無事、真実の出勤を見届け家路に就こうとハンドルに手を乗せた。
しかし、真実の正面に白髪混じりの男が現れる。
(あれは……ラドウ……なんで……ここに?)
ラドウの突然の登場に混乱する。
だが、奴は真実の前で立ち止まると俺に向けてニイと嗤った。
何かを企んでいる。
悪寒を覚えた俺は車から飛び出すと、真実の元へ走り出す。
「真実ぃー!!」
真実は振り返り俺を認識すると顔を顰めた。
「じゅ……純くん!?」
しかしラドウはこの瞬間を狙ったかの如く真実の腹部に手を翳す。
「ッパーン!」
爆発音と共に真実の胴体が弾け飛び、頭部が宙を舞う。
さらに辺りには肉片が散乱する。
「ゴトッ……」
そして俺の目の前に真実の頭が転がった。
「ま……なみ……」
辺りを見回すと、そこにはラドウの姿は既に無かった。
混乱が収まり我に返った俺は、漸く事態を把握する。
真実はラドウに殺されたのだと。
「嘘だろ?……」
だが、意外にも俺は冷静だった。
俺には“能力”がある。
真実を殺されはしたが、肉片は目の前に散らばっている。
これを捕食し複製すれば、真実は蘇る。
何も悲観することは無い。
これは今までの経験から確信がある。
人間を複製し、自我を持たせれば元の人間だ。
何も恐れることはない。
速やかに両手からスライムの放出を試みる。
『ブシャァァァァァァ……』
やがて周囲をスライムで満たすと、意識を集中させ慎重に真実の肉片を捕食する。
「シュゥゥゥゥ……」
ゆっくりと確実に、食べ残しの無いように真実を捕食していく。
それと同時に久々に人間の旨味が体全体に沁み渡る。
この感覚は何日ぶりだろうか?
最後に真実の頭部の捕食を終えると深呼吸する。
「ふう……」
(待ってろよ、真実。今作ってやるからな……)
呼吸を整えると、左手からスライムを放ち、真実の複製を開始する。
「ブシャァァァァ……」
スライムは真実の体を形成していく。
「ジュグジュグジュグ……」
そして真実の体が完成すると、命令を下す。
「自我を……持て……」
固唾を飲んで見守ると、真実の目には生気が宿る。
「純くん……」
どうやら複製は成功したようだ。
ここはもう危険だ。
ラドウの手から逃れる為に、俺は真実の手を引いて走り出す。
「真実ちゃん! よ、良かった……取り敢えず逃げよう!」
「純……くん……ドシャッ」
だが、真実の身体が砂のように崩れ落ちた。
頭部だけが原型を留め、俺を見詰めている。
「ま……なみ……」
複製が失敗した。
俺は再び左手から真実を複製する。
「ブシャァァァァ……ジュグジュグジュグ……」
スライムが真実の体を形成し終えると、真実が口を開く。
「純くん?……ドシャッ」
だが、真実の身体は再度虚しく崩れ落ちた。
「……ハハッ」
渇いた笑いが口から溢れる。
現実が受け入れられない俺は、がむしゃらに真実を複製を繰り返す。
「ブシャァァ……ジュグジュグ……じゅんくん……ドシャッ」
「ブシャァァ……ジュグジュグ……じゅんく……ドシャッ」
「ブシャァァ……ジュグジュグ……じゅん……ドシャッ」
「ブシャァァ……ジュグジュグ……じゅ……ドシャッ」
※ ※ ※
気が付くと、眼前には真実の肉塊が山のように積み重なり、辺りには数十個もの真実の頭部が転がっていた。
「ま……なみ……は……死んだ……のか」
漸く真実の死を実感する。
そんな俺の様子を多数の野次馬達が眺めていた。
「うえぇ……グロっ!」
「気持ち悪い……」
「臭っさ!……」
「おぇぇ……」
「ネットに上げようぜ!」
口を抑えて怯える者や、恐怖に支配され震える者、嘔吐する者、撮影する者など様々だ。
だが、いずれも真実に対しての哀悼ではない。
身勝手な反応をする人間達に失望し、ラドウに対する抑えきれない怒りが湧き上がる。
「よ……くも。よくも……真実を……殺りやがったなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
怒りに身を任せ、体内のスライムを全て放出する。
『『ブシャァァァァァァ!!……』』
スライムは噴水の如く空へと打ち上げられ、やがて濁流の如く街を飲み込んでいく。
人が。
「ギャァァァ!!」
「ドプッ」
車が。
「ビィィィィ!!」
「ドプッ」
家が。
「ミシミシミシッ……」
「ドプッ」
ビルが。
「ギギギギギギ……」
「ドプッ」
何もかもが悉く俺の体に包み込まれると、人や車は漂い、家やビルは地面から剥がされて泳ぎ出す。
そして。
「お前ら……」
俺は……
「見せもんじゃ……」
超えてはならない一線を……
「ねぇぞおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
(食わせろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!)
「シュゥ……」
超えた。
※ ※ ※
暫くして怒りが収まり我に帰ると、スライムを通じて広がる視界には、半径およそ500mに存在する、あらゆる物が跡形も無く消え去っていた。
(俺は、なんて事を……)
己の力に愕然としながらも、排水口の如く音を立ててスライムを体内へ収納する。
「ギュルルルルルルルル……」
ひたすらに、黙々と。
(…………)
「ギュルルルル……」
(……)
「ギュルッ」
全てのスライムの回収を終えると、嘗て街だった平野を見渡す。
(建物、何も無ぇじゃねぇか……)
抉れたアスファルトの道。
建物だけが綺麗に取り除かれ、基礎が露わになった空き地。
まるで巨大な竜巻が去ったかの如く、そこには視界を遮るものが総て取り除かれた平野が広がっていた。
「クソッ! ラドウ……許さねぇ……アイツだけは、絶対に許さねぇ!!」
俺は怒りと絶望を抱き、目に涙を浮かべながら、廃墟へ向けて力無く歩き出す……
※ ※ ※
一人のスライムにより、僅か数時間で一つの街が消滅した。
死者、14,976人。
死因はスライムによる捕食死である。
――累計食殺数:15,006人 残り:19,984,994人
次回から新章となります。
引き続き、よろしくお願い致します。
次回の更新は5日の予定です。