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#2

 1時間前の最高な気分が嘘みたいに俺は重たい足取りで歩いていた。片手にはスーパーのレジ袋。もう片手には500mlのペットボトル。俺の魂――霊魂水がちゃぷんと揺れる。


「はあ……どうすればいいんだ……」


 自然とため息がこぼれる。このまま警察に駆け込むか?あの婆さんを弁護士に訴えるか?でも、なんて?騒いだところで頭がオカシイと思われるのがオチだ。ヘタをすれば、逆に婆さんから名誉棄損で訴えられるかもしれない。どこの誰が信じる?霊魂水なんて。

 そうだよ、俺馬鹿じゃん。霊魂水とかあるわけないじゃん。どうせ全部、あの婆さんのインチキに違いない。世の中の連中はこうやって悪徳宗教に引っかかってしまうのだろう。あぶねー。ふっ、婆さん、残念だったな!俺は21世紀に生きるシティーボーイ、非科学的な迷信は通用しないんだぜ!

 ほら、ちょうどあそこにコンビニのゴミ箱がある。後顧の憂いなく捨ててスッキリとしてしまおう。俺はペットボトルをゴミ箱に伸ばすが、その瞬間、脳裏に濁った目のネズミのことが思い浮かぶ。確か婆さんいわく、肉体と魂の距離が100m離れれば死ぬらしい……万が一、本当だったら……ごくりとツバを飲み込む。捨てられるわけねえだろう!ちくしょう!

 結局、俺はペットボトルと共に帰宅したのだった。


「お兄ぃ!おそい!」


 俺が家のドアを開けると、すぐそこの廊下に妹が仁王立ちしていた。タンクトップのインナーにショートパンツといういつもながら露出度が高い格好だ。


「全然帰ってこないし、何してたわけ?」

「……色々あってな」

「色々って何?」

「色々だ……」

「ふーん。ま、いいや。それよりご飯。買ってきてくれたんだよね?あと、ジュース」


 妹はレジ袋をひったくるとリビングに消えていった。取り残された俺は手を洗うため洗面所に向かう。嫌な汗をかいたことだし先に風呂に入ってさっぱりした方がいいかもしれない。そして今後のことをじっくり考えよう。まずは霊魂水の保存方式についてだ。なんだよ、ペットボトルって。落としても割れない安心感はあるものの、もっと他に何かあるだろ。……魔法瓶とか。違うか。名前はそれっぽいが単なる水筒でしかない。


「って、ペットボトルは!?」


 いつの間にか手の中にないことに気づく。慌てて辺りを見回すも見当たらない。まさか、さっきか。妹にレジ袋をひったくられた時を思い出す。どうやら家に帰り着いた安心感で警戒心が薄れてしまっていたらしい。俺は洗面所を飛び出すと、急いでリビングに向かった。

 リビングに入った俺が目にしたのは、腰に手を当てて500mlのペットボトルをがぶ飲みする妹の姿だった。ジュースの方だよな。という淡い期待は一瞬で打ち砕かれる。ラベルなし、無色透明のそれは、間違いなく、霊魂水。妹の喉はごくごくと動き、そして今まさに最後の一滴まで飲み干される。妹はぺろりと唇を舌でなめた。


「〜〜〜〜〜〜〜〜!」

「あ、お兄ぃ。これポ○リ?甘いね」

「〜〜〜〜〜〜〜〜!」

「もうほんと暑くてさー、冷蔵庫に何もないわ、外は地獄だわで、喉がカラカラで一気に飲んじゃった」

「どどどどどどうして、それは、俺の――」

「もしかして口つけた?へーき、へーき。私、そういうの気にしないし」

「お前のはこっちだよ!」


 俺はレジ袋からスーパーで買った500mlペットボトルを掴むと妹の方へ見せる。


「ん、そうなんだ?こっちももらっていい?」

「え?ああ、いいぞ……じゃなくて!なんで飲むんだよ、勝手に!」

「なんでって、お兄ぃが渡してくれたじゃん!」


 確かに渡したが、渡したことは事実だが、普通こんな得体のしれないものを飲むか?俺は空っぽとなったペットボトルを手にとって愕然とし、それから不機嫌な顔の妹を見る。霊魂水――俺の魂は妹に美味しくいただかれてしまったとさ。なんか卑猥な表現だが、現実は絶望的状況だ。吐き出させるか。グーパンで。さすがにそれは気が引けた。こうなったのは俺が9割悪いし、もし吐き出させたとしても清らかな水だったのが吐瀉に変わる。俺の魂が吐瀉だ。


「なんかヤな感じ。いいからお兄ぃはご飯の用意でもしておいて」


 俺がどうすべきか必死に知恵を絞っていたら、妹がリビングを出て行こうとする。俺は妹の手首を掴んだ。


「どこに行く気だ?まだ話は終わってない」

「いいでしょ、どこだって」

「とりあえず、ここにいてくれ。な?」

「意味わかんない。痛いんだけど、放して」

「だから、どこに行くんだ」

「――トイレよ」


 と、い、れ。その三文字を頭で処理するのに三秒、そして、廊下に出ていた妹をリビングに押し戻すのに三秒要した。


「待て待て待て待て。早まるな」

「はあ?」

「お前は我慢できる子だ。トイレくらい一日二日しなくても平気だよな?平気だと言ってくれ」

「さっきから何?いい加減、ウザいんだけど」


 妹がブチギレる寸前だ。こうなったら仕方ないか。俺は妹をイスに座らせて全てを話すことにした。帰りに婆さんを助けたこと。婆さんは魔女と名乗ったこと。お礼に霊魂水を渡されたこと。霊魂水が完全になくなれば死に、肉体と100m離れても死ぬこと。それを妹が飲んでしまったこと。ちなみに、俺は床の上に正座して誠意を見せている。


「あのさあ、お兄ぃ、それ本気で信じてるわけ?」

「分からん。分からんが、万が一、本当だったら取り返しがつかないだろ」

「あ、そ。ま、いいんじゃない?それで、お兄ぃは私にどうしてほしいの?」

「へ?」

「だってさ、トイレに行かないなんて無理だよね?今時、アイドルだってトイレに行くんだよ」

「それは……」

「で、どうしてほしいの?」


 この時すでに俺は一つの解にたどり着いていた。しかし、往生際悪く、他の方法がないかと考えるが、そんなの思いつかなかった。つまり至ってシンプルな話だ。体に取り込まれてしまったのなら、体から出てくるのを集めればいい。自然な、生理現象として。俺は空っぽのペットボトルを妹の方に差し出した。


「……くれ」

「くれって、何を?」

「その……おしっこを……」

「ちゃんと言って」

「……おしっこをくれ……」

「それが人に物を頼む態度?私は別に霊魂水とか信じてないしどーでもいいんだけど?」

「……っ、……妹のおしっこを俺にください」


 俺は両手を床につき、恥辱と屈辱にまみれながら絞り出すように言った。それから恐る恐る顔を上げると、妹の冷めた視線とぶつかった。


「つまんない」

「つまんないって、お前」

「ねえ、お兄ぃ、スマホちょうだい」


 条件反射的にスマホをポケットから取り出して渡す。妹はスマホを操作し出す。指が止まる。その瞬間、妹の目と口がニヤァっと歪んだ。それは俺が今まで一度も見たことのないサディスティックな表情で背筋がゾッと凍えた。

 妹はスマホの画面をこちらに向ける。そこにあるのは彼女、マイハニーの名前。通話状態となっていた。意図が分からず、妹に目で問うと、妹は口を動かす。「言え」、と。……嘘だよな?俺は首を振り懇願してみるが、拒否権は与えられてないと知った。


「……妹のおしっこを……俺にください……」、ダン!と妹が床を踏み鳴らす。「ッ!妹のおしっこを俺にください!妹のおしっこを俺にください!妹のおしっこを俺にください!妹のおしっこを俺にください!妹のおしっこを俺にください!妹のおしっこを俺にください!……はあはあはあ……」

「アハハハハハハ、さいっこー、お兄ぃ。はい、スマホ」


 着信が切れたスマホが投げ返された。


「それじゃ、トイレ行ってくるね」


 俺はリビングを出ていく妹を呆然と見送る。ヤバイ。その一言が頭の中をリピートする。逆らえないプレッシャーに飲まれとんでもないことを口走ってしまった。早くマイハニーに言い訳せねばっ。でもさ、前言撤回とか今さら無理じゃね?言い訳すればするほど傷口が広がるだけじゃね?あれ、これ、詰んでね?

 思考停止で固まったままでいると妹が戻ってきた。


「ペットボトルの口って小さいから一度紙コップに入れなきゃいけなくて大変だったんだから。感謝してよ、お兄ぃ」


 妹はイスに座って500mlのペットボトルを俺の目の前で振ってみせる。底の方にたまった黄色い液体がちゃぷんと揺れる。直視したらいけないような気がして、俺は顔をそらす。


「私って、これ、どのくらい続ければいいの?」

「……出来れば一ヶ月くらい」

「一ヶ月かー。長くない?」

「せめて夏休みの間は……頼む……」

「うーん。まあ、その代わりお兄ぃが何でもするってなら、いいよ」

「分かった。何でもする……」

「本当に?」

「ああ……」

「じゃあ、お兄ぃ、契約しよっ」


「契約?」と疑問を口にする前に、妹はペットボトルの蓋を開けるとゆっくりと傾けていく。あふれ出た黄色い雫が落ちる場所は、ショートパンツから伸びる組まれた素足だ。上になってる方の足を俺に向けていくる。


「契約の証になめて。何でもするって言ったよね?」


 有無を言わさぬ口調だった。つい数時間前まで人生最高の日だったはずなのに、どうしてこうなった?俺はこの急転直下に心がへし折られたまま、妹が言う言葉にただ従って、素足に顔を近づける。つんとアンモニア臭が漂う。流れた水滴をたどるようにして、くるぶし、そして、ふくらはぎへと舌を這わせていく……。


 翌朝、午前七時。俺は妹と婆さんの家を訪ねていた。こんな朝早くから非常識かもしれないが、そうも言ってられない状況だ。あとあとよく考えてみれば、人は汗によっても水分を出すから、今こうしている間にも妹の体からは俺の魂が蒸発していっている。霊魂水の減少は存在感の減少と等しい。まあ、この先待ち受けている未来を思ったら、存在感がない方が生きやすいかもしれないが。

 婆さんは、唐突に取り出した黄色い液体にも顔色ひとつ変えることなく――さすが魔女だ(?)――、俺の話を聞き終わるとペットボトルを手にとって鑑定した。結果、やはり俺の霊魂水がわずかだが混ざっているらしい。もはやどうすることも出来ないという希望のないお墨付きをいただいた。俺は失意のまま家を出る。


「あ、お兄ぃ。ちょっと待ってて。忘れ物してきたみたい」


 妹が婆さんの家に戻っていく。この夏はどこに行くにも妹と一緒になるだろう。そして、その後は……想像するのさえ恐ろしい。あれからマイハニーからの着信はない。もしかしたら俺の奇行がもうクラス中に拡散してしまっているかもしれない。否定しようにも、俺はこれから毎日学校に持っていかなければいけないのだ。リ○ル○ールドって言い張ればワンチャンないかな。などと馬鹿なことを思いながら、ふっと目線を上にあげる。ハハ、空が青いぜ……。

2話で終わらず。最後、妹サイド。

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