3・記憶
「・・・んで、死に掛けたって?」
木村先輩がとんでもないことを本人に聞く。
「6分心臓止まったって・・・覚えてないけど・・・ああ、これは覚えてなくてもいいのか。麻酔で眠ってたし。」
本人も本人で、そんな大変なことを普通に答えているから分からない。
口元に笑みを湛え穏やかに話すこの短髪の少年・・・木村先輩と同い年だから21歳だ・・・を、不思議な気持ちで見つめてしまう。
昔の印象とまるで違うこの人が、本当にボクの知っている冴木晃さんだろうか?
あまりにも期待が大きかったのか、ボクには昔の髪の長い冴木さんとここにいる彼が結びつかなくて、無意識に他の場所を探してしまう。
「久保田、どうしたんだよ。」
戸惑うボクに気付いたのか、木村先輩が隣へ手招きしてくれる。
「晃、久保田のこと覚えてる?」
木村先輩が面白そうに、ボクには「晃のヤツ、15〜18までの記憶はボロボロだから、ちょっとスリルあるぞ。」そんなことを言う。
右足だけ縁側に上げ、その膝に右手で頬杖ついて、その人がボクを凝視する。
――もしかしたら、忘れられているかもしれない。そんな気がして下を向いてしまう。
「・・・でっかくなった?俺の記憶だとこん位・・・」
と、ボクを覗き込むように肩くらいの位置で左手を水平に振る。まるで、大人が久し振りに会った子に言うような口振りだ。その一言で、ボクの中で何かが切れた。
「でっかくなった?・・・って。あれから何年経ったと思ってるんですか?ボク、もう高3ですよ?そりゃあ、大きくもなりますよ・・・ずっと・・・ずっと、会えるのを待っていたのに・・・.」
なんだか、泣きたくなってそんな駄々っ子みたいなことを言ってしまう。
あの頃から、ボクの身長は25センチも伸びて、とっくに彼を追い抜いている筈なのに、昔のような口調に戻ってしまう。
「それに、目が見えなくなったって・・・イラストで個展だなんても教えてくれないし・・・その上、死に掛けた・・・なんて、どういうつもりなんですか?酷いじゃないですか。」
覚えていて貰って、嬉しかった・・・のだろうか。改めて、今日初めて知らされたことがショックだったのだと理解する。
「変わってないな・・・」
抱えた膝に頬を乗せて、困ったような笑ったような顔をする。
「死に掛けたのは・・・さすがに不可抗力だけど、その言い方は酷くないか?」
苦笑しながら大きく煙を吐く。
「だって・・・」
「久保田・・・やめろよ」
木村先輩が袖を引いて、ボクの注意を引く。だけど、口から出てしまった言葉はもう戻せない。
「・・・もう、会えないと思ったんだよ。あんな風になっちまったから・・・」
出口のない暗闇の中で、自分ではどうすることもできなかった・・・あくまでも穏やかな様子でそう言う。
「それなのに、会っちまったろ?・・・あそこで。」
煙草を挟んだままの左手が、桜の木を指す。――大方食べ終わったんだろう、さっきまでバーベキューコンロを囲んでいた人たちが思い思いに談笑している。
「狂っていた筈なのに、ひと目でお前だって理解できてしまった・・・見られたくなかった。」
――やはり、あの時冴木さんはボクを分かっていたんだ・・・自分で蒔いたことなのに、居たたまれない。
「やめろよ・・・晃・・・あの頃のことをお前の口から聞くのは辛いんだ。」
何もしてやれなかったのが苦しい・・・木村先輩が言う。いつも笑っているクセに、冴木さんのこととなると先輩は有り得ないくらい真摯だ。
「病院に入れられて・・・1年以上も・・・。少し前までは高校生だったのに、滅多に入れない病室の常連だった。自分が自分でなかった・・・ヒトでさえなかった。」
冴木さんの端正な顔が苦痛に歪む・・・そんな風に言わないでほしい。
“事故”のことは、今でも欠落したままだそうだ。
“事件”に至るまでの経緯は「理解している」から、ボクのことも忘れずにいてくれたらしい。
最初の病院のことはほとんど覚えていないけど地獄のようだった。J大付属病院の精神科以降のことは、ぼんやりと記憶に残っている・・・そう話してくれる。
冴木さんが「覚えている」「記憶にある・ない」と口癖のように言うのは、記憶障害の自覚から「覚えていない」ことが常に不安だからだそうだ。
「今日来ている宇梶医師と笈川さんがいなかったら、俺は今でも最初の病院で狂ったままだと思うよ。範行や勢伊子さんが諦めなかったから、こっちに戻って来れた。」
その上、木村やいっちんが昔のままで本当に感謝している・・・そう口元を歪めて「笑う」顔を作る。
「やめろって、言ってるのに・・・」
木村先輩が冴木さんの薄い肩を抱く。
「成り行きでイラストを始めて・・・それで生活できるまでになったけど、自分はココじゃないんだとずっと思っていた。だから、昔の知り合いに会えるなんて考えてもいなかった。なのに、今日会ってしまうし・・・。」
範行から来るって聞いていたけど、どんな顔で会えばいいのか正直分からなかった・・・右手でキャップを取る。伸びかけた髪が光に透けて、冴木さんの表情が見えない。
「だから、久保田まで昔のままでびっくりした。あの時のことがあったのに・・・あんなことをした俺が許される訳ないだろう?」
冴木さんが、ボクに「許されない」?
ボクの方こそ、冴木さんから「拒絶された」のに・・・。
「ボクがそんなことする訳ないじゃないですか!見くびらないで下さい!!」
つい、声を荒げてしまう。
「そう・・・なんだ?」
心底驚いたように、冴木さんは――木村と同じこと言うんだな・・・そう言って大きく息を吐いた。