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1.始まりの恋

 私――クリスルーデ・ルビレウスが、アイリア・スゥ・レイリシアと初めて出会ったのは、僕が10歳。彼女が7歳。

 私の生家である屋敷の庭での事だった。






 澄み渡る空に雲ひとつない青空。

 日の光は柔らかに、地上の生き物たちを優しく包み込んでくれる、あたたかな春の日。


 その日は朝から、憂鬱だった。


「――クリス、そんな顔をするではない。お前にはもったいないような可愛らしいお嬢さんだぞ」

「そうですよ、クリスさん。私もお会いしたことがありますが、とてもお優しいお嬢さんでしたよ?」


 朝食の席でルビレウス侯爵家の家長である父がそう言い、母が追従して微笑む。

 王家よりも信頼が厚く厳格で何よりも尊敬している父の言葉であっても、いつもにこにこと穏やかに笑う優しい母の言葉であっても、この日ばかりは素直に頷く事ができなかった。


「そういう問題ではありません。父様も母様も、私が無理に結婚をする必要はないのだと、おっしゃっていたではありませんか」


 棘を含んだ声でそう言えば母は困った顔をした。

 父は私の視線を真正面から受け止め、それから話し始める。


「おまえの言う事は最もだ。前言を(ひるがえ)す事になった事は詫びよう。すまない」


 鉄壁将軍という呼び名にふさわしく、表情を変えず声色も普段通りに厳格なままであるが父は嘘をつかない。仕事や国の為に嘘をつく事もあるようだが、それでも母や私には嘘をつかない。そういう時にはただ一言、言えないとだけ言うのだから。

 父が私に詫びると言って謝罪をしたという事は、本当に悪いと思っているのだろう。

 その事がわかっているだけに、私も強く出る事はできない。


「……わかっています。父様が悪い訳ではない事はわかっています。けれども私もまだ十になったばかりの若輩者なのです」


 心の整理がつかないのだと言えば、父もそうだろうと頷いた。

 母は困った表情のまま、静かに父と私を見比べている。


「気持ちはわからなくもないが……」


 父が言葉を濁す。

 それは母や給仕のいるこの場では言えない事であるからだ。

 けれども私は数日前、父からあらかじめ説明を受けている。

 濁した言葉の意味を正確にくみ取れたのはこの場では、言葉を濁した父以外には私だけであろう。


「……わかっています」

「ならば良い」


 理由を知ってはいても納得できるほど大人ではない。

 理由を知っているからこそ否定できるほど子供でもない。

 当時の私はだからこそ、不服であることを隠せずに、それでいて嫌だと駄々をこねる事も出来ずに頷いた。


 そんな私の複雑な気持ちに、私の両親は気が付いていたように思う。

 父は私の言葉に頷き、話を切り上げた。

 母は父と私の話が終了したタイミングで両の手を組み、心配しているときの表情になる。


「ねぇ、クリスさん。きっとね、あなたと同じようにレイリシアのお嬢さんも急なことで戸惑って……とても不安に思っていると思うの」 


 母の言う通り、今回の件は急に決まった話であった。

 父も母も、家名を継ぐ者などどうとでもなるのだから結婚相手を無理に決める必要はない。家を気にせずやりたい事を追及すると良い。そう言って、本来であれば貴族家を継いだり騎士になる為に国営の学園に入園し通っている年齢になっても学園へは通わず、私の望むように家庭教師を雇い勉強させてくれていた。

 それが先日、父に書斎へと呼び出された時に変わった。

 自由にさせてやることが出来なくなった。婚約者も付き、学園へも編入する事が決まったと言われ、突然の事に私は疑問を挟む事もせずにただ驚き、茫然と父の言葉を聞くだけで精一杯であった。


 侯爵家の人間としての責務と言われてしまえば拒否はできない。

 正直に言えば国なんてどうでも良いのだが、国へ仕える父の事は尊敬しているし、その父を傍で支え続けている母も敬愛している。両親が大切にしているものを守る為と思えば今回への件にも異存もない。

 異存はないと思いながらも、それでも自由にしていいと言ったのにと口に出してしまったのは大人になり切れてない年齢であったが故であろう。

 割り切りというものは貴族社会に置いて大切なもので、それは大人も子供も変わらない。

 変わらないが、それでも割り切れないのが人間というものなのだろう。

 大人になってすら割り切れない事が多々あるというのに、大人になり切れていない子供が割り切れると思う方が間違っているのだ。


 突然に私の婚約者に選ばれた彼女も、さぞ困惑したであろう。

 最初の日に困惑を隠し、最後の日まで私の前では仮面を外さなかったのは、貴族に生まれたが故の悲劇とも言える。


「……そう、ですね」


 突然に私の婚約者に選ばれた彼女も、さぞ困惑した事だろう。

 それでも最初の日には困惑を隠し通し、最後の日まで私の前で仮面を外すことがなかったのは、貴族家に生まれたが故の悲劇と言える。


 煮え切らない私の返事に母は少し考え席を立ち、父へと寄り添い手を取った。


「添い遂げる仲になるのですもの。仲が良いに越したことはないでしょう?」


 現に私は旦那様と結婚できて幸せだものと母は言い、父を見つめてほほ笑んだ。

 父の表情は変わらないが、その耳にわずかにではあるが赤みが差したのは気のせいではないだろう。

 当然、母はそんな父の変化に気が付いていて、嬉しそうに笑みを深めている。


「父様と母様はとても仲がよろしいですものね」


 二人の様子に私がそう言えば、それは母の望む通りの言葉であったらしい。

 にっこりと笑って、母は頷いた。


「努力はします。私とて、一生を傍で過ごす方と仲違いをしたいとは思いませんから」


 今にして思えば何を生意気な事を言っていたのだろうか。

 けれどその時の私は彼女のことを知らず、彼女によって自らに起こる変化も予想できるものではなかった。




 それから数刻後になる昼過ぎ。彼女との初めての出会いの時。


「アイリアともうします。よろしくおねがいいたします」


 日の光を反射し優しく輝く金糸の髪に、珊瑚の海のように透き通った薄緑色の瞳。

 幼さの混じる少し高めの小鳥のような可憐な声。

 父親でもあるレイリシア伯爵に促され、はにかむように笑いドレスの裾をつまみ腰を折り挨拶をする彼女。


 ただそれだけの事であったのに、私は恋に落ちたのだ。





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