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「さてと……」
何はともあれ、邪魔者は消えた。犯行開始である。
い、いや、ちゃんと許可は取ってるからね。ほら、今朝《歓迎する》って言ってもらってるし。
とりあえず自転車を乗り捨てて、先程見つけた塀の切れ目から屋敷の中に侵入する。おっと、人の眼は? よし、誰も見てないな。
中に入ったが、明かり一つ見えない。どうやら、さっきのUFOは本格的に見間違いだったらしい。
しかも、お屋敷にも電気は点いていなかった。やっぱりあの先生はもう帰ってしまったのだろうか。しかも屋敷の裏から入ってしまったので、家の玄関も見つからない。更に屋敷までの間には木が生い茂っており、どうやらこちらからは近づけもしないようである。一度外に出て回り込むしかないか。
ズ……、ズ……、ズ……。
ん? 何の音?
ズ……、ズ……、ズ……。
何やら人が足を引きずっているような音が聞こえるのだが、暗闇でその姿はよく見えない。あの若い先生だろうか? いや、でもこんな暗いところにいるなら懐中電灯も点けないでいるはずはないだろう。じゃあ、一体誰が?
ズ……、ズ……、ズ……。
暗闇の中響き渡る正体不明のその音はもはや不気味としか言いようがない。
いや、待てよ。そういえば、あの先生は、《日曜の朝》に来てるって言っていたような。今はもう夜。ってことはこの家には今は誰もいない? ふいに屋敷を見るが、やっぱり一切明かりは点いていない。ってことは?
不安さから思わず後ずさると、踵に何か固いものがぶつかった。振り返ってみるとそこには何やら石が積まれているようだ。更にその先に目線を送ると……。あれは? お墓?
い、いや、まさかねぇ。ほら、そもそも聞き間違いかもしれないし。だいだい、このシチュエーションだからって、いくらなんでもベタ過ぎでしょ。幽霊なんて。
ズ……、ズ……、ズ……。
「き……、きぃやぁぁあああぁああぁっ!」
金切り声と共に一目散に逃げ出した。一度足に何かを引っ掛けて思いっきり転びそうになったが、何とか堪えて元来た塀の切れ目に身体を飛び込ませる。自転車っ! あったっ! 慌てて飛び乗り、思いっきり足に力を込める。たぶん、この時の発車速度は間違いなく私の人生史上最速のものだったと思う。
あっという間に家の玄関までたどり着いたが、もう満身創痍だった。スタミナには自信があったのだが、未だかつてない程の疲れと恐怖に完全に息が上がってしまっていた。正直、部活の試合でもこんなに疲れたことはなかった気がする。
っていうか、さっきのって何っ! 幽霊? こわっ! マジ意味わかんないし。あぁっ! もう、ほんと何なんだよぉっ!
ガサッ!
えっ! なにっ? 後ろで急に音がしたのである。恐怖に苛まれながらも、つい振り返って確認してしまう。というか、見ない方が逆に恐怖が増すのである。隣家の生け垣の中に長い尻尾が消えていくのが見えた。
……、ネコ?
もうっ! ホントもうやめてよ。
もう後ろからは何の音もしないのだが、何かの気配があるような感覚がまとわりついてくる。こう首筋がぞわぞわするというか、何か寒い気がするというか……。当然気のせいのはずだが、こういう恐怖ってなかなか消えてくれない。恥ずかしい話だが、夜、トイレにも行けなくなってしまいそうである。
あぁっ! もう、一体何だっていうんだっ!
もう泣きそうだった。よく人には頼りになるとか、かっこいいとか、男らしいとか言われる私なのだが、ホラーは死ぬほど苦手なのである。
どれ位かというと、例えば遊園地で、どんな絶叫マシンでも怖がらずに乗りこなす(別にこなしてはいない)自信はあるのだが、お化け屋敷だけは、友達の肩につかまっていないとまず間違いなくその場にへたり込んでしまう位なのである。実際、一度入らされたときは終始ともちゃんの後ろに隠れ続けていた(実際には大きさ的に全く隠れられていなかったが)。
「はぁ……、ただいま~」
溜息を吐きながら帰宅。本日、五回目だっけ? 何かもうすでに非常に不幸な一日だったような気がするのだが、果たしてどうやったらこれ以上不幸になれるものやら……。
「あっちゃ~っ! ダメだわ。これは」
キッチンからママの声が聞こえる。
「ママ、ただいま。どうしたの?」
「あら、詩織おかえり。いや、ちょっと困ってたのよ。あんたが今朝カレー食べなかったから、結構残っちゃってて。昼もいなかったし。だから今夜もカレーにするつもりだったんだけど……」
いや、私は断じて自分から食べなかった訳ではない。それに、むしろ出来るならぜひ食べたかったくらいだ。
「ほら、見てよ」
そう言い、ママが炊飯器の蓋を開いて見せる。そこには水に浸ったまま、もちろん全く湯気など出てきていないお米があった。
「なんか壊れちゃったみたいで、ご飯炊けなかったのよ」
なに? ご飯がない? ちなみに私はカレーが飲み物とは断じて認める気はない。もちろんインド人でもないので、ナンなんかでは食べる気もさらさらない。
いや、別にインド人を否定する気も、カレーは飲み物派を否定する気もないけれども、それにまぁ、ナンは割と美味しいとは思うんだけれども……。
でも、やっぱりカレーはライスでしょ。
「どうしようかしらね? まぁ、うどんはあるから最悪カレーうどんには出来るけど、でも、やっぱりカレーならお米よね……。ねぇ、あんたコンビニでご飯買ってきてくれない? ほら、あのレンジでチンするやつ」
「あ、うん」
ママもご飯派のようだった。もちろんその意見には大賛成なので、ママに手渡されたお金を手に玄関へ向かう。
が、戸を開いた瞬間に足が止まる。
完全に日が暮れ、真っ暗になった街が広がっている。いつも見慣れた家の前の景色なのだが、何故だか今日は物々しい雰囲気が漂っている……、気がする。
ダメだっ! そんな雰囲気ごときに飲まれたらっ! 私はカレーライスを食べるんだ。こんなことで負けてたまるもんか。
しかし、あの「ズ……、ズ……、ズ……」という音が頭から離れない。妙な想像で思考が満たされる。
そう、今にもあの横道の向こうから……。いやっ、落ち着けっ! 負けちゃだめだっ! 負けちゃ……。
ガサッ!
……。いや、落ち着こう。
そうっ! さっきの猫だ! そうだよっ! 猫……、だよね……。
ガサッ!
……。えっと……、うん。そう、そうだよね。うんっ!
決意を固め、思いっきり駈け出し、
「ママぁ、やっぱり私カレーうどん食べたくなったんだけど、ご飯買いに行かなくてもいいかな?」
家の中に飛び込んだのだった。
「あら、そう? まぁ、あんたがそう言うならいいけど……」
たまにはカレーうどんもいいものである。いや、決して逃げた訳ではない。逃げた訳じゃ……。
だって……、怖かったんだもん……。
とりあえず、前言撤回。たまには諦めも肝心である。
食卓にママが茹で始めたうどんの湯気が立ち込める。夕飯までもう少し。




