9
「うんっ! で~きたっ!」
さえ箸で刺したじゃがいもを口に入れて満足そうな顔をするともちゃん。
「ほんとっ? じゃあ、私も一口っ!」
雛鳥みたいに口を開いておねだりしてみる。
「ふふふ、は~い。あ~ん」
笑いながら、さえ箸でじゃがいもを一つまみ。私の口へと運んでくれようとするともちゃん。うわ~、なんか新婚さんみたいだなぁ……。あ~ん。
「んんっ! はふっ! ふっ、はっ、ひっ、ふぅぅっ!」
妙な妄想で油断しきった口の中を、高熱になったじゃがいもが転がりまわる。
ちなみにここでさっきまではぶっていた「は」と「ひ」を偶然にも回収。
まぁ、実際のところそんなことを考えている余裕なんてなかったのだが……。
「ごっ! ごめんっ! しおちゃんっ! えっと……、お水っ! お水だよねっ!」
慌てて水を溢しそうになりながら、私にコップを差し出すともちゃん。
受け取ると同時に急いで口をつける。
「ふえぇ、はぁ~、熱かったぁ」
もう完全に涙目だった。
心憎いサービスでしっかりたっぷりと入っていた氷を口の中で転がすと、じんわりと口の中に冷たさが広がる。
「大丈夫?」
おずおずとこちらを見つめているともちゃん。
「うん。まぁ……、一応大丈夫」
「ほんとに……?」
「ほんとっ、平気だってっ!」
まぁ、舌はまだひりひりとしているのだが。
「ごめんねぇ……」
「ううんっ! でも、流石ともちゃんっ! やっぱむっちゃ美味しいじゃんっ!」
「えっ、いやっ、こんなの普通だって……」
だから、それだと私が普通未満になっちゃうんだって。
謙遜も時には人を傷つけるのである。
まぁ、どうせアク取りも知らなかったような私だから、別にいいんですけれどもね~。
どうせ、料理での唯一の活躍が生ゴミシュートだけだった訳だし……。
……、料理じゃないなぁ……。
「じゃあ、盛りつけよっか。私お皿とってくるね」
そそくさと食器棚に向かおうとするともちゃん。
「うん。じゃあ、私も用意するね」
そそくさと冷蔵庫に向かおうとする私。
ちなみに現在15時半。おやつにはちょうどいい時間だが、肉じゃがはおやつに入るのだろうか。まぁ、そもそもお昼がケーキだったのだから、逆さまになってちょうどいいのかもしれない。っていうか、お昼ケーキだけか。思い出したら急にお腹が空いてきた気が……。
「……、ねぇ、しおちゃん。何で冷蔵庫? 何を……?」
テーブルに食器を置きながら、こちらに声を掛けるともちゃん。
「ん? これだけど……」
冷蔵庫の棚から取り出したそれを、指で摘んでぶら下げて見せる。
「えっ……?」
私の手に持っているものを見て、表情の凍りつくともちゃん。おや? 手元のお箸が震えている? えっ? っていうか、なにっ? その反応?
そんなにおかしいのだろうか?
「もしかして、それ、肉じゃがにかけるの?」
「えっ? うん……」
「もしかして、私の味付け薄かったとか……?」
なにやら悲しそうな表情でこちらを見つめるともちゃん。
「ううんっ! 全然っ! ちょうどいい、っていうか、むっちゃ美味しいと思うよっ!」
「えっと……。じゃあ何で?」
「えっと……。普通かけない?」
沈黙。
あっ、手元のお箸が転げた。
「えっと、私はかけないかな……? っていうか、初めてかも。肉じゃがにマヨネーズをかける人って……」
そう言いながら、足もとに転げたお箸を拾うともちゃん。
「えっ! マジでっ!」
「う……、うん……」
そんなバカな。うちはみんなかけて食べるのに。う、うちがおかしかったのか? 生まれて15年10カ月にして初めて知る事実である。
「え~と、つまり……、しおちゃんはマヨネーズ派ってことなんだよね?」
「え……、う……、うん。まぁ、そうかな?」
「えっと、キュウリには?」
「マヨネーズ」
「トマトには?」
「マヨネーズ」
ともちゃんがうんうんと頷いている。別に普通だよね。野菜、サラダと言えばマヨネーズ。
「じゃあ、おにぎりと言えば?」
「ツナマヨっ!」
「もちろん、肉じゃがには?」
「マヨネーズ」
「……、ちなみに、カレーには?」
「マヨネーズっ!」
ともちゃんが首を傾げている。えっと……、普通だよね。料理のトッピング、アクセントと言えばマヨネーズ……。
「……、えっと……、じゃあ最後に、マヨネーズを直接吸ったことはな……」
「あるっ!」
セリフを遮り、つい即答。
「……いよね、流石に……」
それでもって、思いっきり沈黙。
「……、えっと……、ごめん。なんかごめん」
なぜか謝り、眼を伏せるともちゃん。
「えっ? いや、べつにっ、まるまる一本吸ったことがあるとか、そういう訳じゃないよっ!」
「そ、そうだよね~!」
語尾を上げながら、こちらに目線を戻すともちゃん。
「うんっ! ほっ、ほらっ、マヨネーズって使ってくと最後、出が悪くなるじゃん」
「うん」
「そのとき、もったいないから残りを全部吸って、中身を失くしてから容器を捨てるじゃない? そういう意味よっ!」
「そ、そうだよね~」
語尾を下げながら、今度は顔を背けるともちゃん。
「……」
「……」
再び、しばしの沈黙。
「え……、え~と……、もしかして、普通しない?」
「う……、うん」
気まずそうに頷くともちゃん。
「えっ、でも、じゃあ残っちゃった中身ってどうしてるの?」
「えっと、もったいないから振って先の方に偏らせて、なるべく使いきるようにしてるけど」
「そ、そうなんだ~」
「う……、うん。でっ、でも、それでも確かに少しは残っちゃうから、吸い出しちゃった方がいいのかもね~」
「そ、そうだよね~! ほっ、ほらこれももう残り少ないじゃん。こういうのを吸って失くしちゃう訳。せっかくだからともちゃんもやってみようよ」
と、手元の残りがもう五分の一くらいになってしまっていたマヨネーズを指差して、ともちゃんに差し出してみる。
「えっ……」
何やら、とっても困惑した表情で、私の人差し指の延長線上にあるものを見つめる。
「ん? ともちゃん、マヨネーズ嫌いだったっけ?」
「い……、いや、そうじゃないけど……」
一歩後ずさるともちゃん。
「じゃあ、いいじゃん。マヨネーズもう一つ入ってたから、私はそっちを肉じゃがに使うからさ。ささ、遠慮せず」
「いや、遠慮してる訳じゃないんだけど……」
また一歩後ずさるともちゃん。
「じゃあ、なんで? ほら、食べず嫌いはいけないよ~」
「えっ……、でも……。やっぱり、私はいいかな……」
三歩目の足を後ろに送り、更に一歩、二歩と私から距離をとるともちゃん。
「え~、なんで~? 美味しいのに。ねぇ、せっかくなんだからやってみようよっ! 一回でいいからさ~。ねぇっ! 絶対に美味しいからっ!」
五歩分以上の距離を離されないようにともちゃんに滲みよる。せっかくのチャンスなのだ。ともちゃんにマヨネーズに目覚めてもらうための。さぁ、一回でいいからグイッと一気に吸ってみよう。違う世界が見えるはずだから。
傍から見たら、さながらゾンビか吸血鬼のように自らの仲間を増やすべく、ともちゃんに襲いかかる私がいたのだと思う。ともちゃんを壁際まで追い込み、右手にはマヨネーズを構え、左手ではともちゃんの後頭部を鷲づかみにしていた。
「し……、しおちゃん。わかった。わかったから、とりあえず、手は離して欲しいかな……。ねっ、自分で出来るから……」
「ダ~メっ! だって、こうでもしないと逃げちゃうでしょ? さっきみたいに。さぁ、お口を開けてごらん。あ~ん」
「うぅ、ヤダぁ……。離して……」
細い2本の腕で私の右手を抑えながら、必死で抵抗するともちゃん。しかし、そんな抵抗も空しく、マヨネーズは刻一刻とともちゃんの口元を目指して近づいていく。接触まであと30cm弱。
やばい。何か楽しい気がしてきた。
なんて言うか、つい好きな子に嫌がらせをしちゃう子どもの感覚ってヤツ?
よし、もうちょっと。あと20cm弱。さあ、諦めて口を開けちゃいなさい。そして、早くこっちの世界の住人になろうよ。完全に何かの悪役である。
ガチャっ。
「ただいま~っ」
キーっ。
「あ~、おなか減った~。お姉ちゃんいる~?」
バタンっ。
「お姉ちゃん? えっ? しお姉? どうして? っていうか何やってんの?」
ヒーロー参上。もとい、ともちゃん弟帰宅である。
ちっ、絶妙なタイミングで帰ってきやがったな。
「ゆっ、ゆーくんっ? たっ、助けて!」
ちっ、させるか。
「ゆうっ! 邪魔しないでっ! 今いいところなんだからっ! っていうか、手伝ってっ!」
当然聞くべき命令は決まっている。
もちろん、後者である。
「えっと~……」
困惑した表情でこちらに近づいてくるともちゃん弟、こと優太。
ちなみに、ともちゃんとマヨネーズの距離はもう10cmくらいになっていた。
そして漸く覚悟を決めたのか、何かを悟った様な表情で私の右手に手を添える優太。
その様子を見て、「やめて……」と半泣きで抵抗するともちゃん。
最後の一押しに目一杯の力を込めるべく、新たに加わった手に一瞬マヨネーズの軌道を委ね、その隙に腕に力を溜める私。
よしっ! そのまま一気にあと10cmの間隔を詰めればっ!
だが、この瞬間。敢え無く私の右手からマヨネーズは取り上げられたのである。
「ゆーくん……」
優太を見上げ、表情を晴らしていくともちゃん。
その表情を見て、「はぁ」と溜息をつく優太。
ちっ、このシスコンめ。
一体私は何をしていたのだろう。
いや、ことの成り行きはちゃんと覚えているのだが、よくよく鑑みれば何故あんなことをしてしまったのかが、いまいちわからない。
まぁ、その場のノリってやつだったんだろうけど。
ともかくだ。
普段だったら私の胸辺りに在るはずのともちゃんの顔が、今は私の頭上から不自然なくらいいつも通りな笑顔でこちらを見つめてくる。
「ねぇ、しおちゃん?」
「はっ、はい」
すでに正座の状態だが、更に姿勢を正す私。
「何か言いたいことはあるかな?」
「いっ、いや、えっと……」
声が笑っていない。っていうか、何かを後ろに背負っている気がするんですけど。
「じゃあ、なんであんなことをしたのかな?」
「いっ、いや、あのっ、えっと……」
そんな……、説明を求められても。っていうか、いや、マジで怖いから。
「ねぇ、しおちゃん?」
「えっと、何て言うか、ほんと……、ごめんなさいっ!」
「何で謝ってるのかな? ねぇ、しおちゃん?」
「あぅ……、えぅ……」
も、もう勘弁してよ……。
「ま、まぁ、もういいじゃん、お姉ちゃん。ほら、この肉じゃがも冷めちゃうし……、ね」
コンロの上に置かれた鍋の中を覗きながら、私に助け舟を出してくれる優太。
「あっ、そっか、すっかり忘れてた。お皿に盛りつけなきゃだね。ゆー君も食べる?」
「うん」
どうやら気を反らしてくれたらしい。ありがとうっ! ゆうっ!
さっきの裏切りのことはもう水に流していい……。
「あっ、しおちゃんはそこで待っててね。まだ、お話終わってないんだから」
って、ダメじゃんっ! ゆうっ!
ていうか、なに普通にお皿の用意してるのさ。前言撤回。この裏切り者~。
そして、お皿の盛り付けを終えたともちゃんがこちらを振り向く。
さっきと変わらない不自然なくらいいつも通りな笑顔で、一歩、二歩とゆっくりとこちらに近づいてくるともちゃん。
気が付くと、私は頭と手を自らの膝の前へと伸ばしており、
「本当にごめんなさいっ! もうっ、もうしませんからっ!」
と、ついにはフローリングの床に頭を落としていたのだった。
ふう、と溜息が聞こえ、
「もう……。もう、いいから。ほら頭上げて。肉じゃが冷めちゃうから、早く食べよう」
お許しの一言。
顔を上げると、自然ないつも通りの笑顔に戻っているともちゃん。よし、後ろにももう何もいない。




